東北の瓦礫の処理を巡って、その受け入れ表明をした自治体の一部で住民の反対運動


がニュースとしてマスコミを賑わしています。


私はあれを見て、同じ日本人としてなんとも情けない気持ちにさせられました。


北九州市では、瓦礫を積んだトラックの下に反対市民が潜り込んで処理場への搬入を


ストップしている光景がテレビで映し出されていました。


私にはあの心境は理解できません。



同じ日本人が未曾有の震災・津波の被害を受け、ゴミの山の中で今なお暮らしている


ことを思えば、その処理を少しでも分担して早めようというのは当然の責任だと思っ


ているのですが、現実は放射能の汚染を心配する住民達が受け入れを表明した行政の


人達を吊るしあげています。


静岡県島田市では、瓦礫の中からコンクリートブロックや石が入っていたというので


処理が中止されました。


あの混乱の中で瓦礫の収集をしていたのですから、そりゃブロックや石ぐらい入るの


は仕方ないんじゃないでしょうか。


それを「受け入れは木材だけだ」と杓子定規に振りかざして受け入れをストップして


しまうのはどうなんでしょうか。



確かに放射能に汚染された瓦礫なら拒否反応は理解できますが、ちゃんと放射能検査


も行われ、安全性を確認された瓦礫なのですから何も問題はないはずです。


瓦礫は被災地の処理能力を大きく上回っており、しかも長年にわたる放置の結果、腐


敗による悪臭、さらには自然発火まで起きており、ドライアイスで冷やすことまで行


われています。


本格的な夏の到来を前に、益々問題は深刻化しているのです。



私は福井県や福井市も受け入れを早く表明すべきだと思います。


明日は我が身です。


情けは人の為ならずです。


いつ逆の立場に置かれるかもわかりません。


困った時はお互い様と助け合うのが日本人の美徳だと思っていましたが、そんな日本


人は過去の存在で、今や自分のことしか考えない国民になってしまったのでしょうか。


なんとも情けないし、悲しくすらなります。



北九州での反対運動に対して感想を求められた東北の方が次のようにテレビで答えて


いました。


「私達は今も(処理を反対される)、その瓦礫の山の中で暮らしている。そのことを


忘れないで欲しい」


まったくその通りです。


同胞の痛みを痛みと感ぜず、自分のことしか考えない人達は必ずいつかしっぺ返しを


食のではないでしょうか。


私はそう思います。