「発信する!尚禮舘空手を沖縄から」
尚禮舘 事務局は、師 渡口政吉先生の沖縄本来の文化としての「尚禮舘空手」。それを約束の地「沖縄」に還す道場を設立し発信する為に活動しています。
10月12日発売
月刊秘伝特設ページ
渡口政吉先生、尚禮舘、平川樹高師範にご興味がある方はこちらからどうぞ。
戦前 戦後と剛柔流 宮城長順先生から直接指導を受けた数少ない3名の空手家達。
自ら道場をかまえ晩年までその普及に努めた先生方は私の知る限りこの3名しかいません。
・八木明徳先生の明武舘
・宮里栄一先生の順道館
・渡口政吉先生の尚禮舘/尚礼舘
沖縄剛柔流は殆どこの先生方の系統です。
戦後は各先生方それぞれの道に歩みを進めます。
八木明徳先生は警察官から那覇税関長に就任。
(私もお会いした事があります。)
宮里栄一先生は、警察官として治安を守る。
渡口政吉先生は、師 比嘉世幸先生を自宅に呼び同居その後糸満で道場を開設。
尚禮館は宮城長順先生が亡くなられた年。
昭和28年コザ(現沖縄市)に移り指導を始められていた渡口先生。
翌年29年に師、比嘉世幸先生に許可を頂き、「空手道剛柔流研究所尚禮館」が生まれました。
昭和35年まで沖縄空手界で尽力され沢山の優秀な弟子を育てました。
後を弟子に任せ、日本本土に沖縄伝統の空手の普及に出て行かれました。
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剛柔流は師、比嘉世幸先生がサイパンに指導に行かず日本本土に行かれたならばどうなっていたか。
渡口先生が沖縄を離れず日本本土に行かなければ、沖縄の空手界、剛柔流はどうなっていたか時々考えます。
渡口先生の昔の弟子も自分の館名を名乗り活躍されています。
誰一人事情がある為か尚禮館出身だったと口にする人は数少ないです。
私は渡口政吉=尚禮館だと思い伝統ある尚禮館の名前に恥ずかしくないよう守り伝えようと思う毎日です。