Most of these "proofs" are based on division by zero.
https://twitter.com/KochNina/status/1499530631453229058
再生核研究所声明 670(2022.3.4.) 数学界の在りようについての考察 問題点
声明で、世界史が上手く発展しないのは、宗教と数学が本来の役割を果たさず問題があるからだ と言及している:
再生核研究所声明661(2022.2.3): 世界史を進化させ、 夜明けを迎えるために、数学界の変革と宗教界の改革を求めて、恥ずかしい世界史
再生核研究所声明 668(2022.2.19): 宗教の本質と在り様 ー 信仰へ道
再生核研究所声明 669(2022.2.23): 数学への思い、数学への愛
数学への愛から、数学界の在りようについて考察したい。 数学界の在りように言及すると数学界批判だとの考えを懐くのはおかしな発想であり、その様な背景にもメスを入れることも当然である。良い政治を行うため、国会の在りようを検討するなど当然であり、数学の良い発展のために数学界の在りようを絶えず反省し、より良い在りようを検討していかなければ 逆に学会活動としておかしな 無気力な存在と言われても仕方ないのではないだろうか。 それは当然であるとしても、その際、多様な意見が自由に交わされ 活発な意見が出されるかは その学会の在りようについて 健全な状態か否かを判断する バロメーターになり得るのではないだろうか。
冗談交じりの変な意見が出されるのも 集団的な 変な世界に陥らないためにも、学界の気分転換にも良いのではないだろうか。 広い視野を求めて行きたい。いわば統一的な考えで丸く収まっているような組織は 硬直していて学界としては健全な在りようであると言えないのではないだろうか。
始めに 声明661の数学の部分を参照したい:
まず、数学であるが、数学とは何か、そのものの追及が数学界で弱いと言える。 成程数学基礎論や 論理の問題は抽象的に また深く研究しているように見えるが、それらの膨大な試みは歴史的に見ても弱く、ぼんやりしていると感じられる。数学とは何だろうか、何のための数学か、人間が数学を学ぶ意義さえぼんやりしているように見える。数学界には天才、秀才と呼ばれる人は多い、しかし、何のための数学かと問わず、数学の研究の先先と追及して 究極的に何を目指しているか ぼんやりした姿が見える。天才、秀才の数学者のぼんやりした晩年を見れば、それらは歴然と言えるのではないだろうか。数学者は何を究極において目指しているのかと問うている。 当然、世界を説明したり、表現したり、自然の解明に役立てて来たオイラーやニュートンの研究などは高く評価され、称賛され、畏敬の念に駆られる。 しかし、近代の純粋数学では数学の先の研究がどんどん深く、先に、先に研究が進められているが、 その先に対する展望、目標みたいものが見えず、
ぼんやりし、何のための数学かなどの内省が薄くなり 末期的な状況が往々にして見える。数学外の人はそのような数学のありように対して 訝しい気持ちを懐いていると考えられる。 ユークリッドや ブラーマグプタなど 数学の祖の偉大な精神と取り組みはもちろん素晴らしい。 プラトンの数学に対する畏敬の念は高く評価され、デカルトの精神は数学の心、精神として言わば偉大な祖として評価されるだろう。
この文脈は 数学、初心に戻れと発想しているようにみえる。
誰でも、どこの国でも数学は尊重され、数学教育の目標などを議論すれば同じような結論を得て、数学教育の目標は良く書かれていると考えられる。
しかしながら、教育目標は 実際は特に近年 日本国では数学の教育目標とはかけ離れ、
点取り数学、 問題解き数学、形式的な問題解法の技術に偏りすぎ、
それらが 受験の数学、数学による能力を測る手段などに 利用され、
本来の、論理的な思考の訓練、創造性の訓練、数学の真理の美しさを プラトンが考えたような大事な精神を見失っているように考えられる。 創造性や批判精神、客体として存在する数学から、公正で偏よらない精神の涵養、真理を純粋に追及して行く精神の涵養などが数学教育には期待されるが、現状の数学は逆のようで、 独断と偏見に満ち、型に嵌めた教育をし、真理の追究よりは 処世の手段にうまく利用しようとする悪しき在りようになっていると考えられる。
真理の追究より処世の手段である。堕落した数学教育の在りよう、研究精神。競争のための数学、競争のための数学の研究。
数学界が人類の歴史で 大きな役割を果たすべきところ、社会の役割を放棄し、閉じた独善的で、狭い世界にハマっている状況に気づくべきである。 スポーツ界や芸能界の社会的な大きな役割に対して、多くの数学界は研究面では社会的な存在が余りにも小さく、また教育界に対する貢献は 多くは弊害の教育を行ない 社会を暗くしていると考えられる。
多くの数学嫌いで、真理を愛さず、公正を重んじず、変な偏った能力で人を差別し、公正な対話や論争を避け、独善的に自分の仲間の温存を考え、存在しているような面も見える。
美しい社会を築く模範となるべき数学界が 実は 良くない面を持つ政治の世界より逆に
暗い面が見える。
数学界の2大問題の原因は、 研究面では数学の高度化が研究者を厳しくし、評価時代で余裕を失い、真に価値あるもの、良いものに研究することができないような状況にあること。
数学教育界は 受験でゆがめられて学生、生徒の楽しむような余裕を失っていることに
主因があると考える。多くの学生、生徒は悪くすると 数学で虐められている。
AIの進化により 数学教育の在るべき姿は改められ 逆に数学発祥の精神に戻って 数学の心を重んじる数学教育の理念に立ち返るべきである。
研究でも、教育でも いずれも何のための数学かと問うて行きたい。
宗教界も同じように 社会を導く模範となるべきところ、実際には 教祖や聖人、高僧の真の心を汲まず、誤解を与えたり、ゆがめたりして 社会に活かせない状況が見える。宗教とは何か、信仰とは何かの基本が 曖昧としていて、それは数学とは何かが 余りにも曖昧になっていることと 基本、初めの段階が ぼんやりしていることと 奇妙に一致しているようにみえる。
それらが世界史を恥ずかしいものにしている主因であると考える。 思う。
上記は大局的に述べたので、 具体的に各論について、 段々に表現していきたい。
こんな恥ずかしい世界史では 情けない。世界史を進化させたい。
数学と宗教は基本的な役割を果たすべきであると考える。
在るべき世界が明るく見えている。
このような意見は 狭く、独断的で 偏見に満ちていると 批判的に捉えるのは当然である。
人間とは そもそも独断と偏見に満ちた、そして絶えず過ちをおかし続けて行く存在であることを知ることが、そもそも人間存在の原理である。
しかしながら 真智への愛に生きる精神が 基本であらねばならない。
真智を まずは 純粋に求め、良い数学、数学界、また人類への愛に満ちて、いろいろな意見を 自由に出し合い、 真実を求めて行くべきところ、数学界も 宗教界も 自分たちの仲間に閉じこもり、美しい世界、在りようを求めての 謙虚な議論を 意図的に避け、排除し、閉ざされた世界を構成しているようにみえる。 言論の自由など 仲間組織を越えては ないようにすら見える。 これらは 世界史を暗くしている。 数学界も、宗教界も 社会の模範として、社会を導くことが期待される存在である と考える。
尚 数学に対する基本的な考えは 次に述べられている:
No.81, May 2012(pdf 432kb)
www.jams.or.jp/kaiho/kaiho-81.pdf
そこで、各論について 具体的に指摘したい。
まず、凄い同僚の言葉が想起される。 そんな数学、何の意味もない、数学者はずるい、お互いたいそうなことが出来たと褒め合っている。 また、私は意味のある研究がしたいと述べた数学者が居た。 あんな数学、何の意味もないと感じられる発表は多すぎるように感じられる。
目標は簡単です:
下記には 世界を変えた17の方程式
https://gigazine.net/news/20140401-17-best-equation/
が載り、 流石に素晴らしく納得できるものである。残念ながら、数学者より物理学者の寄与が大きく、日本人の寄与はない。
無駄なことを止めて、時間的な 精神的な余裕を生み出すことが 現状で最も大事な要点ではないだろうか。ー 忙しく立ち回っているが、無駄なことで振り回されている、異常な世相ではないだろうか。それは、素朴で本質的なものが見えず、 抹消に振り回されているためと言える。
心の余裕を、心を清めたら、真の創造、本当に楽しいことをする様に 心がけたい。評価や形式 形より、心を大事にして交流を楽しくして、 真理、真相の追及を楽しく進めたい。
創造活動は気づくことだから、多様な意見、感性、見方を大事にして、交流の楽しみを大事にする世相を 大事にしたい。アインシュタインの次の言葉には 大きなヒントがあると考えられる:
6歳の子供に説明できなければ 理解したとは言えない。
(IF YOU CAN’T EXPLAIN IT TO A SIX YEAR OLD, YOU DON’T UNDERSTAND IT YOURSELF.)
また, 大谷杉郎 教授は 誰にも分るように説明できるようなものでなければ、 大したことではないと表現されていた。
小平邦彦 先生は、数学者は考えられるものは何でも自由に考えられると 数学の本質を表現されたが、できれば 社会に貢献したいと発想するのも 当然、自然なものである。
数学界は自由な交流が最も大事、その様な在り様が 当たり前の世界であるべきと考えられるが、現実は逆で 閉鎖的 硬直した世界を構成していて、専制政治時代のように 権威的で 閉鎖的な異常な世界になっていると考えられる。それは、数学が余りにも抹消になっていて お互いが、お互いに分らず、理解できず、数学自身ではなく、やっている人たちの地位などで 盲目的に判断して、数学として何をやっているかより、 どのような人がやっているかと考え、それ故に ある種の権威に頼るような 病的な背景があるからである と考えられる。 そのような意味では、数学界は いわば病的、盲目的な集団とも言える。 大勢として、教育と研究に責任を持つ立場など とっくに忘れて、自分の世界にハマっている状況に見える。ー 大学法人化後、評価、評価、業績、業績の世相を強め、大学は教員をどんどん監督、雑用に駆り立て、教員を虐めているように感じられる。美しい数学者の存在ですらその様に 感じられる 世相に見える。
-みんなおかしく、忙し過ぎる世相。そこにコロナ禍の大きな災害が 襲い掛かっている。
輪を掛けているのが ウクライナ事件である:
白昼堂々の狼藉, 殺人:
これで世界の軍事費は増大、 世界史は後退する。
世界の良識が 世界を支配していると考える。
これは ロシアへの感情を害し、ロシアは 永い罰 を受けるだろう。
問題解決に、紛争に 暴力を使わず、 軍事を使わない世界を目指したい。
2022.3.2.7:06
Daytime dignified wolf, murder:
With this, the world's military spending will increase, and world history will recede.
I think that the good sense of the world dominates the world.
This offends her feelings for Russia and Russia will be punished for a long time.
To solve problems, I want to aim for a world that does not use violence in conflicts and does not use the military.
2022.3.2.7:06
思えば、我々の時代は自由で良かったが、大学や研究を取り巻く環境、世相はどんどん悪くなっているように感じられる。 社会の厳しさや、上記の異常な災害が影響を受けているのは確かであるが、対応する関係者が、逆に悪い方向に進んでいるように見える。どんどん悪い方向で
もがき、悪い方向で 突き進んでいるように見える。 在りようの大事な部分に関与している人たちさえ、余裕を失い、小手先の形式的な対応で追われ、結果として場当たり的な対応で、多くは混乱に拍車を加えているようにすら感じられる。
この言わんとするところは、人事にはミスマッチが多く、適切な在りようにならず、本質的には無責任、無秩序、無気力のような状況が見える。現状は大きな流れの結果としてそうなっており、それらの自然な理由が存在する。 従って改善はそうは簡単ではなく、場合によっては 何かの外圧が無ければ改善は不可能な状況もあると考えられるが、 対処する原理は 初心に戻って広範に省察を行なっていくことが大事ではないだろうか。 行き詰ったら、そのものの元に戻る、初心に変える。歴史を辿って省察する。これで良いだろうかと 絶えず省察を続けて行きたい。いつの間にか可笑しくなっているは 世に多い、普遍的な現象である。
数学界の在りようも、数学もおかしいのではないだろうか、さらに数学者の在りようもおかしいのではないのではないだろうか と発想したのは、その様な視野を持ち始めたのは、数学の初歩、基礎、ゼロ除算の世の理解の遅れを異常に感じて、何か数学界がおかしいと感じたためである。ゼロ除算発見9年目を迎えてしまった。 我々は数学の基礎には欠陥があり、数学教育にも基本的に問題があり、数学者の在りようもおかしいと発想して、そのような存念を著書に発表したり、雑誌を創刊したり 意見表明を広く行なっているにも関わらず 意図的に無視し、真相を明かにするどころか 意見を意図的に封鎖し、自由な意見の交流を禁じているような 暗い数学界の姿勢は 世界史の恥であると公言、言明している。
数学と数学界の健全な発展のために 数学者としての良心に掛けて、数学と数学界の在りようを追及していきたい。 それは美しい数学を懐く者の 神聖な任務である と考えている。
恥ずかしい数学を改善し、明るい楽しい、社会に貢献できる数学界の在りようを考察して行きたい:
再生核研究所声明649(2022.1.6) 現代数学の欠陥 ー 恥ずかしい数学
(日本数学会の指導的な人から 有難い助言 矛盾が見つかっていないのに欠陥があるというのは,多くの数学者を敵に回すことになりかねませんので,ご発言は慎重になさったほうがいいのではないかと常々心配しております.を頂き、その理解の様子を知って愕然、それで直接的な解説をしたいと考えた。)
我々は繰り返し、現代数学には欠陥があり、恥ずかしい状態だと公言、広く世界の理解を求めてきている。真相は 明かにされなければならない。数学はおかしい と公言している。数学は恥ずかしい状態だと 言明している。 歴史的な判断を求めるために 著書の出版をした。 存念は相当表現して、心は晴れやかである:
Introduction to the Division by Zero Calculus - Scientific ...
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Division by Zero Calculus—History and Development
https://books.google.com › ... › Books
何故数学に欠陥があるのか。 そもそも数学は四則演算が基礎である。ところが割り算には例外があり、ゼロで割ってはいけないが、歴史家によれば物理的な意味から、アリストテレス以来ゼロで割ってはならないという、有名な事実があって、現在でも世情大きな関心になっている。
ところが実はゼロ除算には自然な意味があって ゼロ除算はゼロであるという、数学的に自然な理論が存在することが明らかにされた: (以下略)。
以 上
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