再生核研究所声明 625(2021.6.25): 数学における反例、数学界の悪しき反例
(2021.6.23.22:10 頃 湯船につかって気持ち良い気分になる折り 全体の構想が閃いたものである。率直に表現したい。)
数学には、面白い概念が存在する。反例である。雄大な論文や結果に対して 簡単でもそれらの主張をみたなさい例を一つでもみつかれば、それら全体を否定できるという事実である。多くは証明の長い命題に対して、命題に反する 簡単な例を捜せれば その命題の証明の不備を捜すことより明瞭な場合が多いから、命題を否定するとき極めて有効な決定的な手段である。雄大な命題を 簡単に否定する手段。このことは まずは数学が矛盾なく美しく体系づけられているという前提が存在し、数学の世界には矛盾が存在しない と信仰されていることを意味する。また、研究生活で新しい予想や命題を考えるとき、それらの真偽を判定したいとき、証明を考えるのは それらが正しいと予想される場合に考えるが、予想が否定的な場合には、反例探しを試みる。
反例が捜せれば 如何なる証明の試みも無駄に帰するから、大事な考えである。ー 命題が正しい場合にでも、反例を捜すことを試み、失敗することによって、命題の信ぴょう性を確かめ、かつ証明の鍵を捜せる場合も多いから、反例の考えは大事である。ー ここで、命題の真偽、証明の完全性を 計算機で判定する研究が盛んに発展しているので 特に注意して置きたい。
雄大な証明を一瞬に否定する 反例。ー 複雑な長い証明を否定する手段。(論文審査で、証明が分らず、理解できず、困っていた折り、反例を捜せて命題を否定した楽しい思いを思い出す。著者も認め、感謝された。)
人間社会でも同じような事が存在するのではないだろうか。 小さな事実一つで、見方が がらりと変る例である。一言が ある人物の全人格の評価を変える。恋愛中に 一言やあることで興ざめて 終了させられるとか。このような事実が有るのだから、決定的だと思えることである。大人の世界で、大事なことで 嘘をつかれたり、騙されれば 大抵は人間関係は おしまいになる だろう。国家間でも約束を反故にすれば、国交断絶とは行かないまでも 相当に交流は冷えてしまうだろう。
小さな例に、事実に 大きな世界の本質が現れているという現象として、反例の考えを懐いた。
その時の構想の本筋は、ゼロ除算の認識の遅れは、数学界の深い 病的な状況 を典型的に表しているという発想である。そこで、まずはゼロ除算発見の意義を確認して、それを認識できない、無視続けている数学界の病的な現象を、その理由を 考察したい。
まずは、ゼロ除算発見の重大な意義である。
数学の元は、ユークリッド幾何学と 四則演算の算術の法則 にあると考えられる。算術は インドの ブラ―マグプタによって ゼロの導入と共に西暦628年に確立された。 図形、そして 算術の法則 である。重要で、面白いことには これらは、デカルトの座標系の導入で、統一される。これらの基礎の上に、幾何学、代数学、解析学が発展している。ところが驚くべきことに、両方の基礎には 初めから欠陥が存在していた。無限遠点の考えと、ゼロ除算である。空間の認識では無限の彼方は どうなっているかという観点が欠けていた。ゼロ除算の歴史は、もっと古く、物理的な意味から、アリストテレスが ゼロ除算は考えるべきではなく、かつ不可能である と述べていて、欧米の文化に大きな影響を与えてきた。ギリシャ文化は、ゼロや空、無を嫌う 強い文化を有してきた。他方、インドでは 相当に深い思想をもってきた。
ゼロ除算の結果は 基本的な関数 y=1/x の原点における値が ゼロであること。 無限遠点がゼロで表される。分数とゼロの意味の 新しい発見である。それで、小学校以来の数学のカリキュラムの変更に繋がる。ゼロ除算算法の数学とは 要するに 分母がゼロである ところで、あるいは 所謂 極と言って 孤立特異点を持つ解析関数で、あるいは ローラン展開で、今まで考えなかった、分母がゼロや極、あるいは孤立特異点 その点で、意味のある値が 定義されていた ということにある。これらは、ユークリッド幾何学、解析幾何学、微積分学、線形代数学、微分方程式、複素解析学に広範な影響を与える。初等数学には 基本的な欠陥がある と述べられる。ゼロ除算は 数学者ばかりではなく 人類の、世界史の恥である と考えられる。次の声明も参照:
再生核研究所声明 616(2021.4.10) 今こそ、日本数学会は、日本国は、世界の文化に貢献で
きる。
その様に 基本的で大事なことが、どうして広く認識されないかの原因を項目に分けて考察したい。 それは数学界の在りようの問題に繋がると考える。
1. まずはコロナ禍の厳しい社会状況の中で、数学関係の研究者、教育者も忙しく、事の重要性を良く認識できない状況があると考えられる。 忙しいとは 心を失うと書くという。しかしながら、深刻な無気力、無意欲、無感情な状況も強く感じられる。委縮している数学界。
2. しかしながら、数学の教育と研究をいわば本務、志と考えている者が気づかない、無関心、無視には さらに原因があると考えられる。それが問題の核心である。
3. 真に数学の真実を求めているか、数学者の教育、研究上の義務に対して おろそかにして、自己中心の課題にはまり込んでいたり、存念に あるいは利害に拘っているのではないだろうか。閉じこもって 氷ついている数学界。
4. 数理論の美しい体系に 公正な、客観的な判断が期待されるところ、逆に 自己の面子に拘ったり、優劣観を意識して、意図的に他を無視する状況が広く考えられる。自分の理論や説に間違いに気づいても 公正に認めず、隠し、問題をはぐらかす いわば卑怯者に当たる例を 広く感じ、こそこそ批判して 堂々と楽しく議論する 率直で公明な世界に反して、暗い状況を示していると感じられる。
5. 新しいことを受け入れるのに 強い抵抗観を感じる。ちょうど、非ユークリッド幾何学の出現に対して起きた猛烈な批判や、地動説に 盲目的に反対している状況とゼロ除算の出現に対する反響は 極めて似ていると感じられる。 従来の世界に拘り、新世界を見ようとせず、盲目的に、真実を知ろうとせずに反対、忌避している。
6. これらを公然と鮮明にしているのに理解が進まないのは、 数学界に変な権威主義が有って、一部の人たちが学界を動かし、閉鎖的で、自由な議論が閉ざされ、まるで村社会のような野蛮性を表しているように感じられる。真理を追究するには、多様な意見を大事にし、少数意見にも注意し、広く世界を、視野を広めていくのは 真理を追究する基本中の基本であると考えられる。
7.ゼロ除算、ゼロ除算算法の世界史的な意義は決定的なのに それを認識できず、世界のニュースにできないのは 既に数学界の怠慢であり、堕落であり、学界の責任は重く歴史に刻まれるだろう。 歴然に見える事実に 私は数学者の良心に掛けて、忠実に表明せざるを得ない。
幸い、数学はいわば絶対的な世界で、数学の将来、事実は客観的で 進めば真相は明らかになり、数学界、社会の対応は 適切であったか否かが歴然とするだろう。その強い信仰のゆえに 現代数学界と社会の状況は おかしいとして、適切な対応をとられるように 広く呼びかけ、世界史の進化を願って、積極的に働きかけて行きたい ー 令和革新の大義。
現代では もはや理解は十分に進まないと判断して、公正な世界史の判断を仰ぐべく、ゼロ除算物語を記録に残そうと構想している。 記録を残して置きたい。 いわば将来への遺言である。
以 上
2021.6.24.10:16 一応簡潔、率直に表現した。それは良心、神の言葉と言える。率直に自然に湧いてきた素朴な感情だからである。
2021.6.24.11:57 少し晴れ間も、良い、言いたいことが掛かれている。 午後、着替えて山の散策、庭の整備を考えている。
2021.6.24.15:29 着替えて山の散策、庭の整備を行う。汗を流し、シャワーを浴びてすっきり。 上記9項を書き加える。熱情が湧いてきた。
2021.6.24.18:35 良い。雷の伴った夕立あり、気持ちが良い。
2021.6.24.21.36 良い、大体完成、完全。率直な表現をして、 世の判断を仰げば良い。私は、その時、そのように考えた。感じた。私は、そのような者です。
今日は、美しい日であった。
2021.6.25.05:04 これは良い、真実である。 その時、私は、そう思った、感じた。声明616を見て、日本数学会は 断罪されるべき との情念が湧いてきた。
2021.6.25.06:50 散歩などして十分な余裕をとった。これは良い。 その様にその時感じた、考えた、思った。 私は。完成、公表。