宗教政治家としてのトランプ─「神の下の民主主義」を復活させるには - 編集長コラム | Institute of Reproducing Kernels

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宗教政治家としてのトランプ─「神の下の民主主義」を復活させるには - 編集長コラム 

2017年12月号記事

 

編集長コラム Monthly  Column

 

宗教政治家としてのトランプ

―「神の下の民主主義」を復活させるには

 

 

 10月の衆院選は、教育無償化などバラまき政策を訴えた安倍・自民党のポピュリズム(大衆迎合政治)が、対決型で国民受けを狙う小池新党のポピュリズムに勝利したといえる。

 今、世界各国でポピュリズムが台頭していると言われる。その代表はアメリカのトランプ大統領とされるが、安倍晋三首相などと同じような政治手法なのだろうか。

 

 

創造主への信仰心

 10月、ワシントンでのキリスト教系保守派の会合で、トランプ氏はこんなスピーチをした(写真)。

「ジョージ・ワシントンは、宗教と道徳がアメリカの幸福と繁栄、成功に不可欠だと語りました」

「アメリカの建国の父たちは、独立宣言で創造主に4回も言及しました。4回も! 時代は変わりましたが、みなさん、今再びそういう時代に戻ろうとしています」

「私はトランプ政権で、私たちの国の宗教的遺産が今までにないほど大切に守られることを誓います」

 このトランプ氏の「創造主」への信仰心は、政治上の判断にも持ち込まれる。トランプ氏は9月の国連演説でこう語った。

「強い主権国家によって、その国民は未来を自分たちのものにし、自国の運命を支配することができます。そして、国民一人ひとりが神の意志にもとづいた豊かな人生を花開かせることができます」

トランプ大統領は、キリスト教系保守派の会合で、宗教国家としてのアメリカについて語った。

 

 

「自由は神からくる」

 トランプ氏のこうした「説法」は単なるレトリックではない。経済政策を語るときも、神が登場する。

「自由は創造主からもたらされるものです。だから私たちの政権は、自由をこの世の権力から国民へ返すのです」

 9月に法人税を約40%から20%に、所得税も簡素化して引き下げる税制改革を発表した際も、雇用が増え、国民が働くことの尊厳を取り戻せる意義を訴えた。トランプ氏は減税によって「自由」を拡大し、「一人ひとりが神の意志にもとづいた豊かな人生を花開かせる」ことを実現しようとしているのだ。

 昨年の大統領当選以降、アメリカの株価は過去最高を更新し続け、失業率も過去16年間で最低となった。「創造主が与えた自由を国民に返す」政策は軌道に乗り始めているようだ。

 日本では安倍首相の意向を官僚が「忖度」しているが、アメリカではトランプ氏が神の心を「忖度」し、価値判断し、実現しようとしている。こうした「宗教政治家としてのトランプ」は報道されない。私たちは別のポピュリズム的なトランプ像を見せられているかもしれない。

 

 

「神託」と共存する民主主義

 神の心を実現しようとすることは、欧米の政治の伝統だ。

 古代ギリシャ民主政では、「デルフォイの神託」を受け、どう実行するかを人々が議論した。

 民主政の端緒を開いたアテネの政治家ソロンは、神託を受けたうえで貧農の借金帳消しなどを決めたという。ギリシャの命運がかかったペルシャとの戦争でも、神託を「都市を放棄して、船に乗って防衛せよ」と解釈し、見事ペルシャ軍を打ち破った。

 古代ギリシャ人は100%神を信じており、当時の民主政は「神の下での民主主義」だった。

 17世紀イギリスで始まった近代議会政治も、基本構造は変わらない。ピューリタン革命の指導者クロムウェルは「我々は神に身を委ね、神が各人に語りかける御声に聴き入らなければならない」として、討論を通じて神の心の全体像をつかもうとした。

 つまり、近代民主主義は、「神託」が一人ひとりに降りることがあるという考え方から出発した。当然、議会に参加する人々は、宗派は違えども、敬虔な信仰者たちだった。

 この伝統は、アメリカにも受け継がれた。初代大統領ワシントンの信仰観は、「人間は至高の神の心を実現する道具であり、人間の知恵で理解できるものではない」というものだった。

 アメリカは「政教分離の国」と言われるが、実際には、ワシントンら建国の父たちが、政府が宗教にできる限り関与しないことで「自由」を拡大し、宗教が繁栄することを目指した。それがトランプの言う「宗教的遺産」として、今でも続いているというわけだ。

 

古代ギリシアのソロンは、「神託」を受けて意思決定していた。

清教徒革命のクロムウェルは、一人ひとりに聖霊の声が降りると考えた。

ワシントンは、自分が至高の神の道具だと考えていた。

ソクラテスは、神に対する謙虚さを啓蒙した。

 

日本は戦後、神々を追放

 実はかつての日本も、欧米に負けない「神の下の民主主義」の国だった。

 日本の政治は、高天原で八百万の神々が話し合う民主主義的なあり方から始まり、神々が地上に送られ、国造りが行われた。天皇は神々の心を受け止め、地上で具体化する役割だった。武家政権以降も、日本の政治指導者は、「神々の心はどこにあるか」を考え続けてきたといえる。

 その伝統が断ち切られたのが、敗戦後の占領政策だ。

 マッカーサーの占領軍が作った憲法によって、米本国とは正反対の「政教分離」が導入された。アメリカの狙いは、「日本を弱くするには、宗教を取り除くしかない」というものだった。

 憲法20条は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」などと規定。行政や公立学校から宗教が排除され、マスコミも宗教を扱わなくなった。

 その結果、宗教が社会の表側から姿を消し、国民が神の心について考える機会がなくなった。

 

 

悪魔の下の民主主義?

「神の心が分からず、価値判断できない国」をつくったのはアメリカであり、それを受け入れた当時の吉田茂首相、占領憲法を全面擁護した宮沢俊義・東大法学部教授らだ(*)。

 その"宗教的遺産"が受け継がれ、今の日本は、北朝鮮にミサイルを何発も撃たれても、首相が「最も強い言葉で抗議する」と言うだけで、「何が悪なのか」を主張できなくなっている。

 安倍首相が、教育も老後も政府が丸抱えするポピュリズム的政策を打ち出しても、「国民の自由を拡大するために減税すべきだ」と言えるマスコミや言論人がいなくなっている。

「神々を追放した民主主義」は、神もあの世も存在せず、地上の人間の考えだけで何でも決められる。今やポピュリズムから衆愚政治、国家社会主義へと転落しようとしている。宗教的に見れば、神に与えられた自由を奪い、地上を地獄に近づける「悪魔の下の民主主義」だ。

(*)吉田氏と宮沢氏は、政教分離を国家神道だけでなく、宗教全体を行政や教育から切り離すものと解釈し、後の時代の政治家や官僚に大きな影響を与えた。

 

 

宗教的説得力のお手本

「神の下の民主主義」が素晴らしいのは、トランプ氏が言うように、「神から与えられた自由の下で、豊かな人生を花開かせることができる」からだ。

 それを願い、神仏はいつの時代も地上の人間を導こうとしてきた。現代では、幸福の科学の大川隆法総裁の2600回を超える説法や霊言収録を通じて、神仏の心が伝えられている。

 大川総裁は著書『政治と宗教の大統合』でこう指摘している。

「私は、『クラゲのように漂っているこの国に、きちんとした国家としての骨格を与えることが、宗教の使命である』と考えています」

 古代ギリシャの民主政が衆愚政治に転落していく中で、ソクラテスは一種の新興宗教を起こし、守護霊(ダイモン)の声に従い、「無知の知」を啓蒙した。「無知の知」は「神に比べれば人間の知恵は無に等しい」という神への謙虚さだ。

「神の下の民主主義」を復活させるために、ソクラテスの方法は現代にも応用できるのではないだろうか。

(1)ソクラテスは、ソフィスト(弁論家)たちの心の内にある真理を発見できるよう促した。国民一人ひとりの良心を信じることがまず大切になる。

(2)ソクラテスは自身を「神がアテネにくっつけた虻」と位置づけ、ぶんぶん飛ぶように人々を繰り返し説得した。トランプ氏の「ツイート砲」のように数を撃つことも必要だ。

(3)ソクラテスは従容として死刑となったが、そこまでいかなくても、見返りを求めない無私無欲の人でありたい。

 マスコミの攻撃が依然続いているが、トランプ氏は大統領らしい大統領になってきた。神の心を実現しようと奮闘するトランプ氏の「宗教的な説得力」にも学びたい。

(綾織次郎)

http://the-liberty.com/article.php?item_id=13703

 

とても興味深く読みました:

 

再生核研究所声明 502011.2.24):  日本における 民主主義の脆さ、危うさ

                     

民主主義は 衆愚政治に近いものであり(声明 33:民主主義と衆愚政治)、日本は既に衆愚政治の状態ではないか との危惧を表明している(声明 49:アジアの愚か者、アジアの野蛮性)。しからば、どうして、このような状態に至ったかを考察して、日本国の弱点を克服して、少しでも歴史を進化させるように努力したい。

はじめに、民主主義は 日本の国民性に合っておらず、本質的な問題を抱えていると言えるのではないだろうか。 先ず、大多数を占める一般庶民を見ると、

 

1)政治に興味が無い、関心が無い、政治に嫌気がさしている、政争を好まない、政治論争も嫌いである、あるいは政治に絶望している。

2)政治を語ると 変な偏った思想の持ち主であるかのように感じられる風土、文化、和の精神で、表に出さず、内緒に政治に関与したい。 みんなで連なっていたい文化背景を有しているように考えられる。

3)日本のあるべき形や、組織のあるべき姿など 真剣に考える余裕も無く、認識が、理解が薄いので、多分に感じやムード、評判などで、判断内容の質は 相当に悪く、あれも霞と民主主義 のレべル を越えているようには見えない。

4)公の選挙でも、地縁、など まるで、ある勢力の争いのような雰囲気で、政策や政治理念、政策以外で、選挙に参加するのは よく見られる情景である。多くの場合、社会を良くするには、国を良くするには の観点より、勢力争いに費やしている方が主になっている。

5)本質的な問題としては、日本では、個、個人が確立しておらず、ふらふら仲間のムードで動いている、生きている、意思表示しているような背景がある。

近年に見られる背景は、

1)真面目に社会や、国の在りようについて考える、時間的な、精神的な余裕が無い、国防や税の問題、経済、福祉など、難しすぎて、真面目に検討できない

2)政治社会は あまりにも大きな世界のために、個人の空しさを感じて、絶望的になってしまう。 諦めてしまう

3)醜い政争、あるいは公約違反などを見て、うんざりして、諦めてしまう、信じられる政党も、政治家も、人物もいない

などの理由で、政治に無関心な層が増加していると考えられる。

それらのために 投票しても、質が低く、変な投票結果すら、出していると考えられる。これこそ、衆愚政治に陥っている ということの、その背景ではないだろうか。

多くの人が政治に関心を持ち、日ごろ議論などして 高い見識を維持することは 不可能である。 そこで、言論界やマスコミなどが 建設的な意見や、あるべき姿について見識ある見解を表明して、多くの国民がそれらを参考にして、選択するというのが、民主主義のあるべき実体である、 実相であると考える。 そこで、マスコミや言論界がしっかりしていれば、民主主義は 国民が最終的な、総合的な判断をするという意味で、うまく機能すると、民主主義制度を高く評価できる。ところが、日本で重大な問題が起きていると危惧している。日本の言論界、マスコミが誠に低級で、偏っているという、判断である。そのために、国民は混乱させられ、政局は混乱し、全体として衆愚政治に陥っているという、判断である。

マスコミが 不偏不党、法と社会正義を守り、客観的な報道を行なうのは、当然であると考えられてきたが、公然と偏向報道を行い、法や道理を自ら破ぶっているように見える。 国家の在り様についての見識も、低級であると判断される。具体例を挙げると、検察が徹底的に調べて、不起訴処分を決定している者を、あたかも有罪判決を受けた者のように、大騒ぎさせて、日本の指導的な政治家を 政治的に抹殺しようとしている事実は 顕著ではないだろうか。推定無罪の原則など、法治国家の常識ではないだろうか。ようやく実現した政権交代を散々攻撃して、政権交代を空中分解させている。 健全にマスコミが機能していれば、このように混乱した状況は 起きなかったものと考えられ、誠に残念である。更に、国家の在るべき姿に対しても アジアに緊張を起こし、軍拡を煽り、アジアの愚か者を 扇動する浅ましさが目立つ。

更に信じられない事件は、検察の政治介入である。これには繰り返し述べてきたところであるが、公然と与党幹事長や首相になろうという人に 政治的な弾圧を加えていると理解されるということである。 これは、民主主義に対する官憲による政治介入に繋がるので、極めて重要な問題を含んでいる。 関係声明を参照して頂きたい:

 

再生核研究所声明 23: 秘書の逮捕、起訴事件における検察庁の対応と公正の原則

再生核研究所声明 30:  検察庁の暴走と民主主義の危機 - 広い視点

再生核研究所声明 31: 法の精神と - 罪と罰

再生核研究所声明 41: 世界史、大義、評価、神、最後の審判

 

マスコミも検察も終戦に当たって、大きな反省をした筈であるが、何を学習したのだろうか。 国民のレベルも戦前以下であり、日本国の民主主義に危うさ、危惧の念を抱いている。 それらは、平和の問題に直結している、日本国の大事であると考える。

                                    以 上

 

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 

 

 

小沢氏「既存メディア」不信? フリー記者らに積極露出

http://www.asahi.com/politics/update/0128/TKY201101270535.html

 

小沢氏だけでなく、多くの人が、日本のマスコミが、法を尊重せず、公正でもなく、不偏不党でもないとは感じておられると思います。

政治に関心のない・真面目な研究者が、日本のマスコミは外国誌のようだ、小沢氏をたたいている、おかしいと言っていたのは、日本の常識を言っていると思います。首相になろうという人に疑いをかけて、さんざん騒ぎ、政治家失脚のように追い詰めて、結局不起訴を決めた、検察の重大な過失、その事実だけで、検察の責任は、民主主義への本質的な挑戦ではないでしょうか。 

健全なマスコミならば、そのような経過を許さず、また検察の責任を追及するのが正義と法を守り、民主主義を守るマスコミの使命ではないでしょうか。 マスコミ・検察・政治家が団結して、小沢氏をいじめているように見えますね。 おかしな日本。 法も道理も義もないのかと怒りを覚えます。

 

何故マスコミは乗っ取られたのか?

http://oshiete1.nifty.com/qa6462614.html

 

何時の世にも宣伝は大事であり、権力者ばかりではなく、多くの人が、マスコミを利用しようとするのは、普遍的な事実ではないでしょうか。

そこで、そのような圧力に対して、社会正義や世界のための大きな視点を失って、圧力で動いていれば、それはマスコミの役割を放棄し、信頼を失い結局衰退するのではないでしょうか。 

いつでも信頼の上に成り立つものは世に多いですね。

マスコミは、公器なので、社会正義や不偏不党などの条件が有ると考えますが、アメリカ流の考えによれば、いまや電波や情報は広く拡散できますので、新聞社は、勝手に商業紙の様に自由に書いても良いという考え方があるようです。 ですから、新聞内容を丸呑みしないで、いろいろな情報と比較したりして 批判的・理解する態度が必要ではないでしょうか。

日本の新聞など、外国の圧力で書いているようなところが多く、商業紙のようで、論説記事なども批判的に見る態度が大事ではないでしょうか。 実際、日本のマスコミには、日本を衆愚政治に導いていて、法や道理を無視しているようなところがありますね。 小沢氏の問題などに顕著に現れていると思います。 検察が小沢氏の問題について、不起訴処分を決定したという、重い事実など無視して、政治と金などのキャンペーンを繰り返していますね。 検察の政治介入の巨悪を追及すべきところ、検察とマスコミの癒着では、マスコミの腐敗は深刻ではないでしょうか

平成暗黒時代の演出者として、やがて世界史の厳しい批判を受けるのではないでしょうか。

 

再生核研究所声明41(2010/06/10):世界史、大義、評価、神、最後の審判

 

日本のマスコミは、どの部分を改善したら、素晴らしくなるでしょうか

 

日本のマスコミについて、果たして自分たちの良心と社会正義観から、政治問題や防衛問題を 真面目に考えているようには見えず、外圧によって、偏向報道をやっているように思われ、報道の信頼が揺らいでいるのは根本的な問題ではないでしょうか。 

編集者の責任は、重大ではないでしょうか。

政治以外の文化面その他の多くの記事が素晴らしくても、大事な政治で偏向・社会正義について信頼を失えば、新聞全体の評価は、著しく下がるのは当然ですから、関係者が内部から、絶えず、社会正義を追求すべきでは。 特にいろいろな意見や反対意見を幅広く取り上げ、いろいろな視点から、幅広く読者が判断できるように、情報を提供すべきではないでしょうか。 

良い意見を広く採択でき、紹介するためには、編集者の高い能力と公正な判断能力が求められるのではないでしょうか。

 

 

GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。
「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」。チェスは取った駒を殺すが、これこそ捕虜の虐待ではないか。キングは危なくなるとクイーンを盾にしてまで逃げるが、これは貴殿の民主主義レディーファーストの思想に反するではないか」と反論した。
格好良すぎるぞ。升田幸三!

 

名人に香車を引いた男升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]

升田 幸三 (著)

http://www.amazon.co.jp/%E5%90%8D%E4%BA%BA%E3%81%AB%E9%A6%99%E8%BB%8A%E3%82%92%E5%BC%95%E3%81%84%E3%81%9F%E7%94%B7%E2%80%95%E5%8D%87%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%B8%89%E8%87%AA%E4%BC%9D-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%8D%87%E7%94%B0-%E5%B9%B8%E4%B8%89/dp/412204247X

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%87%E7%94%B0%E5%B9%B8%E4%B8%89

天野宗歩

 

 

日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)

http://irorio.jp/mayfly/20130714/68903/

「政治家信用せず」80%、17、18歳に政治家不信の傾向浮き彫り

http://www.sankei.com/politics/news/150628/plt1506280015-n1.html

 

国の借金1000兆円を突破 6月末時点

http://www.cnn.co.jp/business/35035799.html

高学歴エリートが沢山いるのになんで財政難なんだよ?

 (;_; )( ;_;) シクシク・(-。-;)・(◎_◎)・(^_-)db(-_^) 指切りげんまん

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10114138890

 

 

 美しい人たちの活かされない努力、無駄な努力 

 

五輪決定圧勝劇の裏 北朝鮮が「4票」に協力 - 東スポWeb
http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/social/181725/

 

再生核研究所声明 33 (2010/04/02):  民主主義と衆愚政治

 

民主主義( : 諸個人の意思の集合をもって物事を決める意思決定の原則・政治体制 ― 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 )の在りよう、 特に一般選挙で代表者を選出する方法、及び多数決で決定する方法 について考察し、問題点を露にし、より良い政治、決定が行われるように注意を喚起したい。

まず、このような方法をとる原理は、重要決定について 関係者がすべて平等に固有なる権利を有するから、その固有の権利の行使として、一般選挙を行い、選出された代表者も同じような考え方から、多数で決定すること、及びそのような過程、方式で多くの意見を基に討論して、みんなで決定する考え方である。この際、少数意見でも適切な意見である可能性があるから、それらを尊重して議論し、最終的には多数決で決定する(少数意見の尊重)というところも 民主主義の重要な点である。現在世界的に考えられている政治権力の決定方式である。それに対して、中国古代で考えられた いわゆる天子様による政治は、絶対権力を有する天子様が一部の人の意見を参考にして、決定していく方式であるが、多くの王政も日本の幕藩体制も大体同じような政治体制と考えられよう。これらの問題点は、権力者のいわば大義名分、すなわち、なぜ、天子や王や将軍が権力を有するのかという理由付けに難しい点がある。また、そのような権力者の決定に本質的な問題がある。しかしながら、そのような大義名分の問題があるものの、良き天子や王の下で、理想的な政治が行われた時代は 世界の各地で見出される。

民主主義の問題点は、まず、代表者の選出過程、重要事項の決定過程に 多くの労力を有し、時間と手間がかかることである。 そこで、多くの政治家、代表者は選出されるために膨大な労力を使い、本来の政治や仕事に取り組むためのエネルギーを費やしている。 また、有権者の支持を取り付けるために、構成員のためにならないようなことであっても、約束するような状況が多々起こり得る。 顕著な例として、日本国における膨大な借金と慢性的な財政赤字が挙げられよう。国民の支持を取り付けるために、必要ではあるが、課税を強化できない状況をもたらしている。このようなことを続ければ、国家破産を迎えるのは必然ではないだろうか。民主主義の失敗例に 日本国の場合が記録される可能性を有する ゆゆしき問題である。

民主主義の問題点は、投票者が 代表者の行使する行動について、良く理解できず、適切な代表者の選出ができず、いわば考えている代表者とあべこべの代表者を選出する可能性が 高いという、事実にある。 また、代表者の本来の要務以外の能力で、たとえば感じがいいから等で、代表者を選出しがちである。また、候補者に名演説などで いわば騙されてしまうことなどは、よく有りがちである。しかしながら、選んだのであるから、それは選出者の責任であるという観点は 良く理解できる大義名分である。

みんなで、選出し、みんなで決めたことであるから、如何なる決定でも納得できるは 確かに大事な大義名分であるが、これを誤解すると何でも多数をそろえて、いわば多数の力で、政治その他を推し進めようとなりがちな弊害を生むことになる。多くの会議で、多数決で議事を決定する際、投票者が議事に対する理解と公正な判断能力を有しないために   言わば数の結果で悪い決定がなされるのが むしろ多いのが現状であろう。これは原理的にも本質的にそうなる傾向がある。一般に良いものから順に並べれば、多数の決定とは 中間くらいの決定になるのが世の法則だからである。多数による決定とは 決定の便法であり、適切とか、公正とが、正しいという種のものではないことに留意しておく必要がある。( 数学のゼミナールで討論すれば、議論している数学の結果に対する真偽を多数決で決めるのは 何の意味もなく、誰が真実を述べているかによって、自ずから客観的に決定するのとは大きな違いがある。)

さらに、難しい問題を多数の人が理解できるか、判断できるかという観点も大事である。 沖縄返還に伴う外交問題で、いろいろ密約をしていた状況が露になったが、状況を露にすると国民の反対が出て外交がうまく行かないという、高度な政治判断が行なわれたのは顕著な例である。 憲法改正や、国防の在りようなども同じように難しい問題がある。それらを素人の多くの国民に判断を求めるのは 逆に無責任で、危険であるという面も有する。

次の時代には、より進んだ政治体制が考えられなければならないが、当分は適切に適用できる方法が現実的に見当たらないから、現状の体制を維持するとして、民主主義の弊害を少なくするために、具体的に運用の在りようについて提案したい:

 1)いわゆる代表者の選挙については、 選挙の広報をきちんと行うのは当然であるが、 投票しない権利を明確に認め、いわゆる投票率を上げるような行動は慎むこと。 これは投票に興味と関心を有する人に参加して頂き、興味や関心を持たない人に無理に投票しても貰うのは 無責任につながりかねないからである。特に政治や社会に関心のない人への勧誘による投票は慎むべきである。投票の案内は当然であるが、投票しましょうという勧誘は良くないと考える。これは、いわば真面目な投票人による選挙を意図していて、いわば無責任な人の投票を排除しようとする意図があることを肯定するものである。( 高校時代の世界史の 尊敬する先生の 授業中に述べられた ひっとした言葉が 今鮮やかに蘇り、ここに成文化したい: 私は、よくよく考えて 1票を投じているのに、よく考えないで投票する人と 同じ1票かと思うと 考えてしまう という嘆きの言葉です。)。

2)代表者の身分が民主主義ゆえに不安定では 責任ある政治を行うことができないから、在任中は特に厚く身分を保証して 本務に専念できるように配慮すること。

3)代表者は 広い視点に立って、自分の立場より、公の立場を優先させて考え、評価については 近視眼的ではなくて、歴史的な評価を大事にすること。

4)代表者の投票者(有権者)は 日ごろ研鑽を行い、投票に責任が負えるように努力すること。

5)特に 代表者の選出過程や代表者の立場が、マスコミの影響を受け易いのが、民主主義の特徴であるから、マスコミ関係者は 高い見識を持つように 特に努力して 次の報道の5原則にいつも留意すること:

 (2010年01月31日)                                              

原口一博氏がtwitter でつぶやいたという報道の5原則

原則1「推定無罪の原則」
…….(最初から有罪であるよう印象づける報道はしないこと)

原則2「公正な報道」
…… (検察の発表だけをたれ流すのでなく巻き込まれた人や弁護人の考えを平等に報道すること))
原則3「人権を配慮した報道」
…….(他の先進国並みに捜査権の乱用を防ぐため、検察・警察の逮捕権、家宅捜索権の行使には、正当な理由があるかを取材、報道すること)
原則4「真実の報道」
……(自主取材は自主取材として、検察・警察の情報は、あくまでも検察・警察の情報である旨を明記すること)
原則5「客観報道」
…… (問題の歴史的経緯・背景、問題の全体構図、相関関係、別の視点などをきちんと報道すること)

                                         

みなさん、民主主義は何時でも衆愚政治 に陥り易いので、 衆愚政治に落ち入らないように努力して より良い社会を築いて行こうではありませんか。

                                                          以 上

注:

衆愚政治(しゅうぐせいじ、Ochlocracy)とは、多数の愚民による政治の意で、民主政を揶揄して用いられる言葉。有権者の大半が知的訓練を受けずに参政権を得ている状況で、その愚かさゆえに互いに譲り合い(互譲)や合意形成ができず、政策が停滞してしまったり、愚かな合意が得られたりする状況をさす。 また有権者がおのおののエゴイズムを追求して意思決定する政治状況を指す。知的訓練を受けない民が意思決定に参加することで、議論が低廻したり、扇動者の詭弁に誘導されて誤った意思決定をおこない、 誤った政策執行に至る場合などをさす。また知的訓練を受けた僭主による利益誘導や、地縁血縁からくる心理的な同調、刹那的で深い考えにもとづかない怒りや恐怖、嫉妬、見せかけの正しさや大義、あるいは利己的な欲求などさまざまな誘引に導かれ意思決定をおこなうことで、コミュニティ全体が不利益をこうむる政治状況をさす。 また場の空気を忖度することで構成員の誰もが望んでいないことを合意することがある(アビリーンのパラドックス)。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

 

欧米では時間を越えて、真理・真実を追求しようとする文化がある(これは神の前に出るときには 清い心で望みたいという宗教が背後にあるように感じられる)のに比べて、日本には誤魔化したり、隠蔽したり、曖昧にする文化があることに深く根ざしているとも言える。 

 

GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。

「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!

名人に香車を引いた男升田幸三自伝 (中公文庫) [文庫]

升田 幸三 (著) 

 

再生核研究所声明 123 (2013.8.18): 日本国の自立を求めて ー なぜ自立を求めるか -それは、 日本の固有の美しい文化を維持、発展させるためである

(2013.8.10.08:35 再生核研究所代表と電車の中で話しているときに、突然、自然に構想が湧いたものである)

植民地支配を受けた多くの国が、文化面ばかりではなく、経済的にも豊かになり、反って植民地支配の恩恵を受けているようにみえる状況は 広く見られる。このような場合、 自立とか、独立は 反って変な状況をもたらす面も無いとは言えない。もし悪い政府に帰属されれば、そのような存念を一層深めるのではないだろうか。
日本国とて、敗戦によって、自由と民主主義が与えられ、女性の解放、多くの良き明るい文化をもたらされた面は多く、そのような点では 戦勝国アメリカに対する、謝意と敬意を抱くのは当然である。
しかしながら、日本国は より自立した国家を目指すべきである。その主な理由を 簡潔に纏めてみたい。
アメリカに一層従属していれば、戦後アメリカが侵してきた軍事面での失政に 同盟国としての参戦 あるいは、軍事的な貢献は 実際避けられなかったろう。ベトナム戦争、その後におけるアラブにおける軍事介入など、アメリカの大義なき戦争への参戦である。すなわち、アメリカに対する盲目的な従属は危険であり、命も 経済面での損失も計り知れない犠牲を強いられたであろう。- ここで、アメリカと一緒に 軍事、経済を同盟国として、一緒に進めたいという考えには 一理あると考えるが、再生核研究所の志向は、自立した国家として、適切に助言し、共に世界史の進化を志向しようとの考え方である(再生核研究所声明 25:日本の対米、対中国姿勢の在りようについて)。アメリカ国民にとっても、上記ベトナム戦争や、アラブ軍事介入などは望ましいものではなく、そのような愚かな方向に行かないように同盟国として、頼られ、信頼される国家たるを目指すべきである。
上記のように敗戦によって、大きな明るい文化がもたらされたことは高く評価されるが、他方、ここ60年を越えて、日本固有の美しい文化が侵され、競争社会、評価主義などがグローバリゼーションの名の下に広範な影響を受けて、日本社会が暗い、悪い方向に向いている状況が 顕著に出てきている。
対アメリカと比較すれば、多くは、日本社会や日本文化の方が優れているのに、反って悪い社会や低質な文化を受け入れているように見える。
現在のような 従属的な在りようを続ければ、どんどん日本の美しい文化が侵され、日本国の 日本国たるもの を失ってしまうのではないかと危惧される。
しかるに、少しでも自立した真面な国家を志向しようとしたら、マスコミを始め、検察や言論界など政界に圧力をかけて、アメリカ従属姿勢を志向し、日本国の自立を自ら放棄しているように見えるのは はなはだ残念である。
当たり前の、自立した真面な国家を目指そうではないか。そのような方向で、世界史の進化を志向し、世界に貢献していきたい。 基本は、平和憲法の精神で、平和憲法の維持によってできると考える。
以 上

付記:
3.30 美しい国、日本(2008/2/11):

今日は、建国記念日です。日本には、世界に誇るべき美しい文化と人類を導く良い考え方があると思います。 多額の借金と少子化及び教育の荒廃によって、このままいくと日本国は、衰退の道を辿る事にならないでしょうか。 何とか、日本国の再生を期したいと思います。 もちろん、日本国の神話は大事にすべきではないでしょうか。

美しい国、日本

日本は美しい島国です。
豊かな水で多くの川が流れています。
日本には山が多く、山々は緑に覆われ、また雪に覆われたりしています。

日本の空と海は美しく、多くの詩と夢を育んできました。
日本は大きなひとつの家族のようで、みんな一緒に助け合ってきました。
言葉がなくてもお互いに理解でき、細長い国のため、四季とともに多様性にとんでいます。

日本には天皇陛下がおられて、家々の氏神様の頂点におります。 
天皇陛下のおられる皇居は 日本の美しいものの、心の源になっています。
ですから先の大戦では 天皇のお言葉一つで 完全なる終戦を迎えることができたのです。

京都は千年をこえる日本の都でしたので、日本人の故郷です。
多くの人は京都を訪れて、故郷に帰ったような不思議な郷愁を感じるのです。
伊勢は古代からより古い日本人の故郷です。ですから日本の首相は新年にまず伊勢神宮を参拝するのです。

日本の文化には 自然とともにある繊細さがあります。俳句や和歌を多くの人々が愛でて、人に優しく気遣いができるのです。遠くのインドのお釈迦様の教えや中国の孔子様の教えが、美しい風土からうまれた神道と共に溶け込んでいるのです。

これが世界に唯一つしかない 美しい日本国です。
 

GHQから「日本の将棋は取った相手の駒を自分の兵隊として使用するので、これは捕虜の虐待ではないか」と問われた升田は次のように反論する。

「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虐待も虐殺もしない。常に全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに仕事場を与えようという思想である。しかも敵から味方に移ってきても、金は金、飛車は飛車と元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」
格好良すぎるぞ。升田幸三!

 

日本の借金、初めて1000兆円超える
http://www.afpbb.com/article/economy/2961007/11157482

 

日本の政党は「腐敗している」80%(独NGO調査)

http://irorio.jp/mayfly/20130714/68903/

アメリカから自立しようとする政治家を、Y新聞グループや 
T地検特捜部を使って、日本人自身の手で葬り去るやり方は 
欧米の植民地支配そのもの 
この状態から抜け出すのは不可能 

http://daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1486179084/-100