最初から合併に反対するということではなく、単独でもいける、合併してもいい、広域連携をしてもいい、その選択肢を用意しておいて、これからの行き方を地域の小規模事業者に判断していただくというのが私の考えでした。

 以下の文章は、ウエブサイト「商工会改造プロジェクト」に書いた記事ですので、読んだ方もいるかもしれません。

 

 

 商工会の合併に関する私の考え方は、それを決めるのは行政や連合会ではなく単会であり、それを構成する会員とそれを支える地域であるということが根本にあります。そして決断すべきときに合併するしかない弱い商工会であったら、選択の余地がないのです。
 合併するか、広域連携の道を選ぶか、あるいは単独で行くか、という前に、それぞれの商工会が単独でもやっていけるだけの強い基盤を持つことが必要です。互いに合併するしかない弱い商工会が他者を頼る気持ちのままで一緒になっても、ろくなことにはなりません。逆に、単独でもいける商工会どうしが連携するなら、1+1が3にも4にもなることでしょう。
収益事業をおこすことによって自ら進むという強い意志を表明し、人件費や電話代などの経常経費について補助金に頼らない商工会をつくりあげ、他者に影響されず自らの道を選択するのです。けっして合併しないことがえらいといっている訳ではないのです。
 タイトルの「次々に扉は閉ざされていく」は、平成12年に私が役員や会員に向けて商工会を取り巻く環境についてお話したときに使った言葉です。「今はさまざまな商工会のあるべき姿が想定できるし、それぞれの商工会が自分たちの思う道を進むことができます。しかし、何もしないで手をこまねいていたら、知らないうちに目の前にあるたくさんの扉が次々に閉められ、最後には1つの扉しか開いていないことになります。その扉は合併へと向かう道です。」というものでした。
 あれから4年たち、私の見通しが正しかったことが証明されました。長野県は、「1行政1商工団体を原則とする」、「小規模事業者300人以下の商工会は合併か広域連携をしなければ補助金を半分にする、しかし広域連携か合併をすれば一定の配慮をするとして、アメとムチで、合併・広域連携へと誘導しています。
 今ならまだ間に合うかもしれません。主体的に行動し、自ら入る扉を選ぼうではありませんか。

平成12年2月に発表された全国連の「18のアクションプラン」、最初に回覧されたときは関心もなく度々来る報告書の一つくらいに思っていました。

総会が終わった5月くらいにもう一度手に取って、今度は全文読んで衝撃を受けたのです。

 

 

このまま何もしないでいたら合併に向かっていくのではないか。しかし、商工会は地域の小規模事業者が自ら作った組織なのだから、どんな商工会にするのかは自分たちで考え、その理想像に向かって行動すべきではないかと考えました。

 

すぐに商工会長に面談をお願いしました。これまでは、会長は週1回商工会に来て書類を決裁し、事務局長を呼んで二人で話して帰るのがいつものパターンでしたが、この後で時間をとってくださいました。

このまま何もしないでいたら宮田村商工会はなくなってしまうかもしれない。そうするしかない商工会にしてしまってはいけない。今すぐ行動を起こすべきだとお話ししました。

会長は「なるほど、そうだ」と同意してくださり、それから毎週、会長は私を呼んでこれからの商工会について話し合うようになりました。

 

画像は、当時のイベントにスタッフとして参加したときのものです。

平成12年から私の「商工会改革」はスタートしましたが、その一番の根幹は、商工会の在り方は自分たちで決めることにありました。

全国商工会連合会(全国連)や長野県商工会連合会(県連)がこうしなさいというからする。長野県や宮田村がこうしているから商工会もこうするではなく、自分たちの商工会はどうあるべきなのか、何をするべきなのかを自分たちで考え、実行するということです。

 

宮田村史を読むと、宮田村商工会は大正時代に自主的に組織し活動を始めています。国や県、村から作れと言われたから作ったものではないのです。

昭和30年代に商工会法が制定されて国の補助事業が始まり、補助金をもらうようになってから行政を向いて仕事をするようになりましたが、本来は違っていたはずです。

 

平成12年2月に全国連が「18のアクションプラン」を発表しました。前文に「かねて全国連が警鐘を鳴らしていたにもかかわらず単会は何もしてこなかった」という内容がありました。まず、この言葉に反発を感じ、18のプランの中にあった「商工会の合併、広域連携」の項目に衝撃を受けました。自分たちの商工会がなくなるということだし、地域密着、小規模事業者に対するきめ細かい指導という商工会のストロングポイントを手放すことでもあるからです。

2つだけ記事を書いたところで放置し4年が経ちました。

忙しかったこともありますが、一番の原因は商工会関係者に怒られるんじゃないかということがありました。

守秘義務違反とか、名誉棄損とかね。

 

いや、そんな風に言われることを書こうと思っているのではないけど、怖かったのです。

でも、退職してから15年になるし、自分がやったことや考えたことを書くのだから、大丈夫か~、ということで、もう一度頑張って挑戦します。

 

今年2月に70歳になりました。

ぐずぐずしていたら、人生が終わってしまいます。

平成12年6月、ある方の電話がきっかけで商工会は大きく変わるんだと実感しました。

 

それで、その前に届いていたけど興味が無くて詳しく見ていなかった資料、

 

全国商工会連合会が出した「18のアクションプラン」を熟読して驚きました。

 

宮田村商工会はなくなるかもしれない。

 

これまでのような商工会活動や小規模事業者指導はできなくなるかもしれない。

 

これは大変だ、と思いました。

 

 

すぐに事務局長に「18のアクションプラン」を読んでいただき、

 

これからの宮田村商工会はどうあるべきかを考えなくてはいけないと進言しました。

 

では会長に話してみろとなって事が動き始めます。

 

 

会長は毎週1回商工会事務所に来て、決済を行い、事務局長と話してすぐに帰っていましたが、

 

この話をしてからは毎回、会長は決済が終わった後で私を会長室に呼ぶようになり、

 

これからの商工会のあるべき姿について、二人で議論を重ねていきました。