2023年までにのべ43回行われた日本初の国際GI・ジャパンカップ。日本国内では言うまでもなく、海外においてもレベルの高いレースとして評価されてきたわけです。これはひとえに出走馬の豪華さにあるでしょう。

 

海外から参戦した馬(私のカウントで、出走取消は除く、重複もなし)はのべ232頭です。数多くの激闘や衝撃、その一方で2014年トレーディングレザー予後不良や2019年海外不出走という問題もありました。

イギリス・アメリカ・フランス・アイルランド・カナダ・ドイツ・オーストラリア・ニュージーランド・香港・アラブ首長国連邦・インドから各の重賞勝ち馬が参戦し、中には物凄い大物もいました。

 

今回はトップ20を選出し、概要と選出理由を述べたいと思います。

20位からです。

 

20位:Rough Habit・ラフハビット:ニュージーランド

Amazon.co.jp: Rough Habit: An Unlikely Champion : Linnett, Ken: 洋書

結果:1991年・8番人気5着、1994年・12番人気7着

 

概要と選出理由:ラフハビットはザ・豪州血統の馬でニュージーランド調教、ジャパンC2度出走で人気以上の結果とはいえ、2度目はシンガリ追走の上タイム差もあると厳しい内容でした。

ラフハビットは騙馬ゆえのタフさが選出理由に輝きました。なんと74戦29勝!!!GⅠが豊富な地域とはいえGI11勝という怪物成績であります。ストラドブロークHとオールエイジドSを連覇しており、ダービー馬の称号をもつなど息の長い活躍馬です。コーフィールドCなど最高峰のタイトルには恵まれなかったが引退レース2着と最後まで走りぬきました。

1992/95年のニュージーランド年度代表馬であります。ラフハビットプレート(G3)にその名を残し2012年にはニュージーランド競馬名誉の殿堂入りした南半球の歴史的名馬だということです。

日本だけでなくアメリカのダートGⅠハリウッド金杯にも挑戦したが20馬身近くの8着と惨敗しています。

ナチュラリズムやジューン、シャフツベリーアヴェニュー、デーンウインなど南半球の傑物と7年もの間戦いこれだけの成績を残したのだから大変な名馬なのです。

2014年11月に28歳で大往生、戦績に見合う幸せな余生を過ごせたようです。

上記のように伝記やDVDが製作され、youtubeでも彼の雄姿が見れますよ。

 

19位:Red Cadeaux・レッドカドー:イギリスGerald Mosse riding Red Cadeaux celebrates on the line after defeating Douglas Whyte riding Jaguar Mail in The Longines Hong Kong Vase during the...

結果:2012年・12番人気8着

概要と選出理由:父カドージェネルーは20世紀屈指の名スプリンター、母の父パントレセレブルは凱旋門賞を5馬身差つけて快勝したことで知られる1990年代のヨーロッパ最強の一頭。そんな血統のレッドカドーは国際派ステイヤーでした。

54戦7勝、GⅠ勝ち馬は日本のジャガーメイルを破った香港香港ヴァーズのみですが、騙馬の彼には国内での活躍は厳しいのでした。戦績だけ見ればまぁまぁの名馬ですが、とにかく海外での活躍が素晴らしい。選出理由は戦場を選ばず好走し続けた国際競走での戦績から一流名馬に相応しいと考えたからです。

香港ヴァーズは4年・メルボルンCは5年連続出走出走しメルボルンCでは2着2回しています。オールウェザーのドバイワールドカップに2度出走しなんと1回目はアメリカの強豪アニマルキングダムの2着!!そして次走に選んだのは日本の天皇賞(春)、6番人気3着と大健闘し史上初の海外調教馬の馬券対象という結果でした。なお翌年は不調で14着…

年齢とともに体力に限界が訪れる中、9歳まで現役を続けます。

そんな彼を言い表すなら悲運の馬…。8着のジャパンCはジェンティルドンナ岩田康誠の強引な騎乗で物議をかもしたあのレースです。レッドカドー陣営は抗議するも棄却…海外組が二桁惨敗の中・不利の中でこの成績は評価するべきです。

そして2015年メルボルンC、5度目の出走という記録と日本馬2頭出走が注目されました。11番人気だったレッドカドーは故障発生、命に別状ない、そんな知らせに安堵したのも束の間。懸命な治療は報われることなく、血流障害からの合併症で回復不能・安楽死となりました。

GⅠ1勝とはいえ、8ヵ国で9億2,500万円を稼ぐ大活躍、日本においても力を見せた国際派の死は競馬界に悲しみをもたらしました。彼の活躍に敬意を表し、思い出のフレミントン競馬場に埋葬されることになったのです。

「レッドカドーは豪州を愛し、豪州はレッドカドーを愛しました」…勝利以上に愛される名馬を、国際派ホースをこれからのジャパンCでも招待し続けられるといいですね。

主戦騎手はG.モッセ、凱旋門賞優勝など欧州でも一流ながら香港国際競走完全制覇・香港ダービー3勝というこちらも国際派ジョッキーでした。世界的な騎手を見るのもジャパンCの醍醐味ですな。

僚友でメルボルンC4着のトリップトゥパリスが弔い合戦としてジャパンカップに挑みましたが14着に終わっています。

ウイニングポスト9 2022 競走馬の異名から名馬たちについてぼちぼち語る。

初回はエンシェントタイトルAncient Title(エンシェントタイトル、エインシェントタイトルとも、)について

異名は西海岸の鉄人!SP74のサブパラ83、遠征で絶対に出会いたくない怪物ですね…

Ancient Title: 'There were so many times he took the breath away' | Topics: Ancient  Title, Jay Hovdey's Favorite Racehorses, Jay Hovdey, Laffit Pincay, Richard  Mandella | Thoroughbred Racing Commentary

(Thoroughbred Racing Commentaryより)

エンシャントタイトルは1970.4.19生まれの黒鹿毛の牡馬でした。アメリカはカリフォルニア州スリーリングスランチ牧場において、ウィリアム・カークランド氏と妻のエセル・カークランド夫人により生産されます。

本馬が2歳の時にウィリアム氏が死去、エセル夫人名義で競走馬になるも激しい気性のため早々に去勢されました、厩舎はキース・ストゥッキ調教師所属です。ウイニングポスト10では仔出し5と中々の設定です…

 

馬名の由来は「カークランド夫人の祖父が独国の貴族だった事から連想して名付けられた」そうですが古すぎて断言はできないそうです

 

父ガンモはカリフォルニア州産の実績馬、種牡馬としても優秀なナスルーラ系です。母ハイリトルギャルは繫殖牝馬としていまいちでしたが、牝系からGⅠウィナーのバードタウン・バードストーン姉弟などが出ています

母父バルルデュは第二次世界大戦後の快速馬ユアホストの全弟だからという理由で種牡馬入りした馬でぱっとしませんでした。おじのユアホストの気性の悪さと高い精神面が彼に引き継がれたようです

 

セン馬の活躍は遅いイメージですが彼は2歳シーズンからその才能を発揮します

カリフォルニア州における2歳馬最強決定戦のカリフォルニアブリーダーズCSで2着に4馬身差以上つけ圧勝、8戦5勝の時点でカリフォルニア現役最強馬として位置付けられました

 

3歳となってサンタアニタで5戦1勝、サンタアニタダービーでシャムに8馬身差4着に敗れると、敗戦が痛かったのか?陣営に出走の欲がなかったのか?わからないままですが彼はアメリカ三冠ロードを歩むことはありませんでした

なおシャムは三冠ロードを歩み、ケンタッキーダービー・プリークネスS2着もタイトルには届きませんでした…この年はセクレタリアト時代だったのです…ベルモントSはセクレタリアトに競りかかるも殿負けでした

セクレタリアトは芝でも大暴れし生涯でレコード勝ち6回を記録しました…陣営はセクレタリアトの実力を考慮していたのかも

 

エンシェントタイトルは地元の西海岸にとどまりました。半年の休養もあって活躍できず3歳シーズンは8戦2勝でした

 

4歳になるとチャールズHストラブSを快勝しGⅠ初制覇!この年はGⅠ2着3回と好成績でした

9戦5勝という内容には、マリブS・サンフェルナンドS・チャールズHストラブSを制することで達成されるストラブシリーズ完全制覇がありました。これは史上3頭目の快挙でした。これを受けてカリフォルニア州年度代表馬となっています

 

5歳時は、3歳時にやめていた東海岸への遠征を決行しました。GⅠカリフォルニアンSとハリウッド金杯優勝で自信を持ったのだと考えられます

底力で初戦のホイットニーHをクビ差優勝!しましたが、ガヴァナーSで初めての59kgハンデを背負わされ3着でした

このレースでは同期にして知名度や戦績が上にみられることの多いセン馬フォアゴーが参戦しましたがエンシェントタイトルよりさらに重いハンデと厳しい状況。ベルモントS勝ち馬にしてラフィアンが散ったマッチレースで知られるフーリッシュプレジャーが顔をそろえました。

しかし勝ったのはGⅠ2連勝中のワジマでした。その時のハンデはなんと52kg、あまりのハンディの酷さにファンが怒った…のかはわかっていませんがガヴァナーSはこの年で廃止となりました

いくらハンデ戦の好きなアメリカといえども「これはひどい」となったんでしょうね

続くマールボロC招待Hも前走ほどではないものの、ハンデもあってワジマの3着でした。フォアゴーが頭差2着、エンシェントタイトルは7馬身離された3着だったので「米国最強古馬の称号はフォアゴー」という結果に終わりました

西海岸に戻るも遠征の疲れが出たままで7着惨敗で5歳シーズンを終えます、10戦4勝でしたが健闘を評価され2年連続のカリフォルニア州年度代表馬となっています

Ancient Title: 'There were so many times he took the breath away' | Topics: Ancient  Title, Jay Hovdey's Favorite Racehorses, Jay Hovdey, Laffit Pincay, Richard  Mandella | Thoroughbred Racing Commentary

6歳時にはアタマ差でカリフォルニアンS連覇を成し遂げるも、その後はいまいちの7戦2勝

悲しいことに、オーナーのカークランド夫人が死去、カークランドステーブル名義に変更されました

 

7歳になってGⅠサンアントニオSを優勝しました

しかしここで強敵が現れます。ハリウッドダービーの勝ち馬クリスタルウォーターでした。サンタアニタHでクリスタルウォーターの11着に敗れると3連覇が期待されるカリフォルニアンSは3着でした

ベルエアHを優勝し立地直ったと思ったら、ハリウッド金杯でクリスタルウォーターに3度目の敗戦を味わわされました

デルマーHをレコード勝ちし年末の芝GⅠオークツリー招待Sに出走したが、クリスタルウォーターの僅差3着…この年は11戦4勝でした

 

8歳初戦をレコード勝ちしましたが、続くサンアントニオSはヴィガーズの馬身差2着でした。なおクリスタルウォーターは7着でありようやく先着が叶いました

一般競走を勝った後挑んだサンディエゴHにて競走中止に。命に別状は無かったもののこれによりクリスタルウォーターの競走人生に幕が下りました

通算57戦24勝GⅠ5勝、獲得賞金1,252,791ドルはカリフォルニア州産馬最高でした

勝つことはできなかったものの芝のレースや12ハロンをタフにこなしたエンシェントタイトでしたが、得意だったのはダートの 7ハロン戦で、7戦無敗でした

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カリフォルニア州のリオビスタファームで引退後の生活を送りましたが1981年8月に疝痛を発症し、懸命の治療の甲斐なく9月1日に12歳という若さでこの世を去りました

 

前述の通り同期のセン馬フォアゴーには敵いませんでした。アメリカのセン馬列伝においてもエクスターミネーターやケルソ、ジョンヘンリー、ワイズダン、ゲームオンデュードといった馬に戦績や華々しさでは正直勝てません

 

しかし、カリフォルニア産サラブレッドが「カリブレッド」(田舎者という揶揄)と呼ばれ西海岸のホースマンが対抗心を燃やす中で現れた「西海岸の鉄人」エンシェントタイトルはシービスケット以来の英雄的な存在でした

その執念がのちの大物カリフォルニアクロームとして現れるわけです

 

ウイニングポストで私はエンシェントタイトルを初めて知りました。競馬ファンのみなさんでもあまり知らない馬だと思いますが、フォアゴーやクリスタルウォーターら大物時代を生き抜き、アメリカ競馬の黄金時代へと盛り立てていったエンシェントタイトルはもっと知られていいと思います。なので是非ともウイニングポスト10ではセクレタリアトやフォアゴーをDLC所有して遠征先のエンシェントタイトルとバチバチやってほしいです(笑)

 

なお1990年に重賞エインシェントタイトルブリーダーズカップハンデキャップが作られ、2012年までその名が使われていたそうです

アメリカでは長らく彼の戦績が評価され続け、2008年に米国競馬の殿堂入りを果たしています。ストゥッキ調教師は当時89歳の存命で、「もっと早くに選ばれても良かった」と漏らしながらもとても喜んだそうです

そして2016年にストゥッキ調教師は96歳の大往生を遂げられました。エンシェントタイトルの死去から35年後のことでした

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またいつか異名シリーズの続きするかもです。その時はよろしくどうぞ

 

ウマ娘モデル馬解説は間延びしたので取り止め(いつかする)。基本ウマ娘関連で

 

ijinsky
1967 鹿毛
[血統][産駒]
Nijinsky系
Northern Dancer
1961 鹿毛
[血統][産駒]
Nearctic
1954 黒鹿毛
[血統][産駒]
Nearco
1935 黒鹿毛
Pharos
Nogara
Lady Angela
1944 栗毛
Hyperion
Sister Sarah
Natalma
1957 鹿毛
[血統][産駒]
Native Dancer
1950 芦毛
Polynesian
Geisha
Almahmoud
1947 栗毛
Mahmoud
Arbitrator
Flaming Page
1959 鹿毛
[血統][産駒]
Bull Page
1947 鹿毛
[血統][産駒]
Bull Lea
1935 黒鹿毛
Bull Dog
Rose Leaves
Our Page
1940 鹿毛
Blue Larkspur
Occult
Flaring Top
1947 栗毛
[血統][産駒]
Menow
1935 鹿毛
Pharamond
Alcibiades
Flaming Top
1941 栗毛
Omaha
Firetop
シル
Shill(米)

1970 鹿毛
[血統][産駒]
FNo.[5-g]
Buckpasser
1963 鹿毛
[血統][産駒]
Tom Fool
1949 鹿毛
[血統][産駒]
Menow
1935 鹿毛
Pharamond
Alcibiades
Gaga
1942 鹿毛
Bull Dog
Alpoise
Busanda
1947 青毛
[血統][産駒]
War Admiral
1934 黒鹿毛
Man o'War
Brushup
Businesslike
1939 黒鹿毛
Blue Larkspur
La Troienne
Quill
1956 栗毛
[血統][産駒]
Princequillo
1940 鹿毛
[血統][産駒]
Prince Rose
1928 鹿毛
Rose Prince
Indolence
Cosquilla
1933 鹿毛
Papyrus
Quick Thought
Quick Touch
1946 栗毛
[血統][産駒]
Count Fleet
1940 黒鹿毛
Reigh Count
Quickly
Alms
1936 栗毛
St. Brideaux
Bonus

 

netkeibaからコピペ引用なり

 

 
・JRAのヒーロー列伝でざっと言われているので引用
そのひと走りひと走りに、偉大なる名血の片鱗をターフに散りばめた豪傑がいた。
マルゼンスキー。
八戦全勝という無敗の成績が物語る通り、他をはるかに圧倒する強さが余りに印象的だ。
卓越した瞬発力と比類なきスピード。それは英国三冠馬に輝く父ニジンスキーへ
脈々と続いてきたネアルコ血脈、その真の後継者の証しでさえあった。
不滅の名血馬マルゼンスキー。
私たちは心待ちにする、彼の産駒がクラシックを制する瞬間を。
 
じゃけん父系を見ていきましょうね。ダーレーアラビアン(赤い女神様)→エクリプス(唯一抜きん出て並ぶ者なし)→ファラリス(現在のサラブレッドの8割占拠)→ネアルコ(直系子孫は世界の5割)→ノーザンダンサー(言うまでもなく超大物種牡馬)→ニジンスキーという感じ
※ノーザンダンサーはいずれまた、にしなければならないほどしゅごい!種牡馬なのであーる
○父ニジンスキーは1970年に史上15頭目かつ無敗、そして現在最後の英国三冠馬
その勢いで凱旋門賞に挑むも2着、引退レース英チャンピオンSも2着に敗れた。以降英セントレジャーは凱旋門賞の前哨戦として敬遠されて権威は失墜し英国三冠馬は23年現在まで現れていない
※17年後英国ダービー馬リファランスポイントが英セントレジャーを制して凱旋門賞に挑むが惨敗、英セントレジャーを使ったこと自体が敗因ではないがこれをもって完全に権威が失墜した。
※2012年にキャメロットが英国三冠に挑むもセントレジャーを落とし、その分を取り返そうとした凱旋門賞は7着と撃沈(オルフェーヴル最初の凱旋門賞挑戦の時でした)
○ニジンスキーは種牡馬として系統を作り上げるほどだった
・初年度からGⅠ3勝グリーンダンサーを輩出→アグネスデジタルと香港遠征したエイシンプレストンやスーパークリークの父ノーアテンションが出ている。マルゼンスキーは3世代目
・ヤマニンスキーからてGI2勝のヤエノムテキ、カーリアンからブエナビスタの母ビワハイジが出て孫世代にタイキシャトル
※カーリアン産駒は他にシンコウラブリイ、フサイチコンコルドetc..
・ナグルスキーからヒシアマゾンの姉貴分ホクトベガ、繫殖牝馬ダンシングキイからはGⅠ一家「ダンス」が出てダンスインザダーク産駒にヒシミラクルの菊花賞2着ファストタテヤマがいる
・割愛するとラムタラ、ゴールデンフリース、ファーディナンド、グランドオペラ(メイセイオペラ父)etc...
○ニジンスキー産駒の特徴=持続性のあるスピード(単なるスタミナとは言いにくい、瞬発力不足と欧州馬場で活きるパワーが目立つ傾向というか…先行馬が多いですねぇ)
・短距離マイル型:キングズレイク、ロイヤルアカデミーetc...
・バランス型: ラムタラなど欧州クラシックホースが多数いますね
・完成遅めステイヤー:ノーアテンションやマルゼンスキーの産駒etc...
○ニジンスキーの親…両方カナダ馬
・ノーザンダンサーはここでは割愛
・フレーミングページはカナダ変則二冠女王、ノーザンダンサーと交配されまくり~
・ニジンスキーの母父ブルページもまたカナダ馬、娘ストームバードの孫ストームバード(父ノーザンダンサー)→ストームキャットは世界各地で活躍する名種牡馬になった。シーキングザパールの息子シーキングザダイヤが著名か。母父としてロードカナロアを輩出
※ニジンスキーの一つ下の全弟ミンスキーは3世代遺して急死するが重賞で活躍した牝馬が目立つ。シルクスキーがその代表でアグネスタキオンの祖母アグネスレディーに比肩。早熟馬が制する傾向にある函館2歳Sと古馬重賞京都大賞典を制した珍しい馬だ
 
○母系および母シルについて
・シルは25歳で無事出産を成したタフな牝馬、マルゼンスキーの馬体は母型
・母父バックパサーは米国屈指の名馬、孫世代の活躍が素晴らしく、上記のヤマニンスキーはこれを母父としている
※シルバーチャーム、イージーゴア、シーキングザゴールド(ドバイミレニアム、シーキングザパールの父)、ミスワキ(フランケル、サイレンススズカの祖父)、エルグランセニョール(競走馬としてノーザンダンサーの最高傑作とも、子孫にアメリカンファラオ)、ウッドマン(ヒシアケボノの父、アストンマーチャンの母父)etc..米国馬の母方をざっと見たら視界に入るレベルなの
・母母QuillはG1級ホースかつ繫殖成績抜群の名牝、曾孫にマーベラスサンデーの平地活躍馬シルクフェイマスが知られる
・母母父プリンスキロは米国競馬史上もっとも重要な母父でありセクレタリアト・ミルリーフ・クリスエス・サンサンetc...に多大な影響をもたらした
○クロス血統( 血統表の中、父方と母方に同じ競走馬がいること)
未熟者なので簡略。Menow・Bull Dog・Blue Larkspurです
 

Winning Post 9 2022 公式サイト

ウイニングポスト9 2022を購入したのでプレイ日記を残そうと思う。スタートは76年「TTG」世代

前データから牧場施設とお守りを複数所持しています。またTTG&逃げ馬DLCを導入したのであしからず。

 

安平に牧場を、牧場長は牧野のおっちゃん、秘書は竜胆ちゃん

それとなく金持ちっぽさからかつての名門「斯波」とそれとなく「望廉」という名前でオーナーをする

牧場は「ローベンファーム」、ローベンはドイツ語で「称賛する」するという意味。シンザンが好きなのと登録馬の走りを称えられるようになりたいからだ。

 

適当に「斯波」のプロフィールを創作。20歳学生、なりたい職業のないアホ

シンザンの紳士的な勝負スタイルと引退レース・65'有馬記念に感銘を受けて競馬に興味を持ったが、血統知識は0に近い

祖父は木曾義仲や楠木正成らを心酔し、乗馬や戦乱物語が大好きな人物だった。彼は戦中爆弾工場で就労した後、牛の仲買や競り市、時に闇市で活動し地主になるレベルの経済基盤を得た。そんな祖父の影響もあって競馬を知るようになった斯波である。

祖父は夢の競走馬生産の牧場を建設、施設を拡大しこれからというときに…ぽっくり逝っちまった。

相続問題でアレコレしているうちに牧場の話が出た。馬に興味のない親が処分を考えていた中、斯波はブリーダー支援団体の情報を得る。成程競馬が世界的人気を博す中日本の競馬生産を豊かにするため支援しているとか。

唯一の男子後継だった斯波は、馬はスカスカだが150億の資金と施設を半ば強引に受け継ぐと早速支援を受けることになった。

ロリコン斯波は(*´Д`)ハァハァしながら秘書や牧場スタッフを雇入れ、初期馬の譲渡に移った。竜胆ちゃんは無敗で三冠をとる馬が大好きな高学歴女子だった…しゅごい!(語彙喪失)牧野のおっちゃんは馬の世話が得意らしい、いい人そう。

 

さて、初期馬はクラシック有力候補と言われるクライムカイザーや末脚抜群のクラウンピラードといった牡馬、有力牝馬にディアマンテとテイタニヤと何か凄そう!!

けど最初の愛馬はタフガイだと紹介されたトウフクセダンにした。正直G1勝たせられるか分からないので長持ちする馬を選んだというわけだ(本当は可愛い牝馬ちゃんがよかったけどね)。血統?知らねぇよ!!!

何か重賞で上位に来たら繫殖牝馬を融通してくれるとか無理ゲーを言われながら、セダンを預ける調教師先生探しへ競馬場に行った。昨年開業したという稲葉隆一という調教師だと若そうな先生に声をかけられた。アメリカで研修した凄い人みたい、是非うちのセダンを預かって下さいお願いします!というとあっさりOK。嬉しい嬉しい

鞍上はデビュー6年目、2年前にステイヤーズSを制した嶋田潤騎手。お兄さんは牝馬G1を5勝、アイドルホース・ハイセイコーのライバルで有名なタケホープで日本ダービーと天皇賞を制した嶋田功騎手!!!しゅごい!!!

いやぁ重賞ジョッキーを迎えられたのは大きいな。さてセダンはリステッド競走を制しボールドシンボリの朝日杯で掲示板という結構いい成績じゃないかぁ~。こんなにイイ馬を手に入れられるなんて最高やで

 

さぁG3共同通信杯へ行こうぜ!…8人気かぁ、まぁ頑張ってほしいな

おっ、いいコーナリングだ!いけっ……惜しい

流石噂通りのクライムカイザーとベテラン加賀武見騎手といったところか…本当に惜しいっ!!!

でも初レースでこれなんだ、本当にいい馬をもらった気がするね

 

皐月賞への優先出走権獲得ということで繫殖牝馬がもらえるぞ!フランス生まれで重賞勝ち、繫殖目的のために早期引退した馬かぁ…ん?メジロ牧場さんが輸入した?あのメジロ?メジロムサシやメジロアサマを所有した一流牧場が目を付けたのか…

へぇ…初代有馬記念や長距離G1で成績を残したメイヂヒカリの子どもを抱えているのか…もらっちゃおう

 

一旦終了 ②へ

Youichi_fukunaga.jpg

僅か11年の騎手人生で日本屈指の天才と謳われることになった福永洋一、祐一騎手の父についてみていきたい。

 

1948年12月18日高知県高知市で洋一は生まれた。土地一帯の裕福な地主であったが、太平洋戦争後にGHQが発令した農地解放政策によって土地は没収、生まれながらにして極貧生活を強いられる。放蕩癖のある父親で生活は破綻状態、洋一の5歳時に母親が父親の性格にあきれ果てて失踪してしまい、以降は姉により育てられた。その姉は高知競馬場所属の騎手・松岡利男と結婚し、福永家は自然と競馬界に引き込まれるようになった。松岡は調教師になった後も93'セントライト記念勝ち馬・ラガーチャンピオンを高知で引き取って2勝させるなど中央出身馬の引き受けに貢献したことでも知られる。

長兄・(はじめ)が中学卒業後に京都の武平三厩舎に入門、次兄の二三雄(ふみお)が大井、三男の尚武が船橋で騎手となった。武平三は武豊の父・邦彦の叔父であり師匠でもある。またミホノブルボンなどを管理した戸山為夫の師匠でもある。

一方、一人残った四男の洋一は高知で父と暮らしていたが、父が57年に脳溢血で死去。洋一は姉が嫁いだ松岡家に身を寄せた。

義兄・松岡の縁から高知競馬場内の厩舎で手伝いをし馬と触れ合う少年時代を過ごした洋一は、「将来は騎手になる」と中学時代に決心し、中学2年の終わり頃には甲の師匠・武平三を頼って京都に移り、平三の子・永祥と同じ中学に通い修練を積んだ。

 

中学卒業を控えた1963年秋、永祥と共に馬事公苑騎手養成長期課程を受験、合格の入所式では、平三が親代わりとなった。

騎手課程第15期生は優れた騎手が集まり、後世「馬事公苑花の15期生」と称されるようになる。

・まず同じく修練を積んだ武永祥は170cmの体格から大成こそできなかったものの、シロタマツバキ(アラブ系)で重賞級3勝を挙げ、その息子・武英智は現在調教師として重賞多数制覇のメイケイエールを送り出している。

・永祥の義弟となる作田誠二は中央218勝、大きなタイトルこそないものの最低人気やブービー人気で度々波乱を起こしたことで知られる。調教師時代には重賞2勝ハードクリスタルなどを管理した。

・古賀俊次は70'しやくなげ賞(OP)と中央34勝、親類に古賀慎明サンテミリオンでアパパネと1着同着オークス優勝)がいる。

・吉永良人は89'バイオレットS(OP)と中央165勝、兄にミスターシービー主戦の吉永正人がいる。

目黒正徳は75年にエリモカンセイで京阪杯を優勝、79年大阪杯でメトロジャンボに騎乗しエリモジョージら3頭の天皇賞馬を撃破する活躍を見せ、調教助手時代に二冠牝馬ベガを担当した。

星野信幸はマツセダンでスピードシンボリやオークス馬ルピナスを破るなど八大競走馬キラーとして活躍し関東の名手として重賞級8勝・スモールキングで安田記念2着などの成績を残した。

 

特に有名なのが以下の3人であろう。

伊藤正徳10年目の77年にラッキールーラ(マルゼンスキー時代)優勝で15期生最初のダービージョッキー、38年にトクマサで制した父・正四郎との史上2組目の親子制覇を成し遂げた。師匠・尾形藤吉の死後15分後に尾形最後の重賞勝利・セントライト記念を挙げた相棒・メジロティターン(メジロマックイーン父)で天皇賞(秋)ハクホオショウ安田記念を制するなど活躍した。

調教師時代にはエアジハードでグラスワンダー等を破り春秋マイル制覇、愛弟子の後藤浩輝とはローエングリンで重賞2勝・ムーラン・ド・ロンシャン賞2着やエアシェイディで重賞・穴入着などを挙げた。その後藤が2015年2月に自殺した際には「俺より先に逝くのは卑怯だ、一番の親不孝だと言いたいが、それ以上に苦労していたんだと思う。(度重なる)怪我が原因とは思いたくないけど、張り詰めていたものがプツリと切れてしまったのかもしれない」、メモリアルセレモニーでは「弟子を取るときに『歌のうまい子しか取らない』と言っていたら、本当にうまい子が来た。うちの馬ではあまり勝っていなくて、私は口うるさいだけの師匠でした。(後藤は)私の子供。こんなにいい子はいない。記録に残る騎手はたくさんいるけど、後藤は記憶に残る騎手でした」と悲痛の思いを吐露した。2020年8月20日に死去。

 

岡部幸雄:詳しくはシンボリルドルフ解説で話したいと思う。18646戦2943勝、桜花賞除く八大競走を制した「名手」。人間関係よりも「馬優先主義」や厩舎や馬主に捉われない「フリーランス騎手」、「ビジネスライク」といったアメリカ競馬的方針の先駆けであり、多くの批判や負傷と闘いながら長らく競馬界に君臨した。引退後は調教師にはならず、JRAアドバイザーとしてフリーな活動を見せる。

 

柴田政人:詳しくはウイニングチケット解説で話したいと思う。11728戦1767勝、「厩舎社会の義理」を重視し勝鞍数よりも恩義に報い続けるスタイルを一貫した。しかしながらGⅠ級競走15勝を挙げる「剛腕」で生涯の夢「ダービー制覇」を成し遂げている。調教師時代にも仁義を重んじた故タイトルには恵まれなかったが、12年春天をビートブラックで・17年阪神JFをラッキーライラックで制した石橋脩を育て上げている。2019年2月28日に定年のため調教師を引退した。

 

全国リーディングジョッキー・ダービージョッキーを輩出する華々しいメンツが揃う一方で、落馬事故で石井正善、佐藤政男の2名が殉職、その他多数も負傷するなどの面を持つ。

 

教官の木村義衛が「騎手志望の少年は、騎手として達者型と上手型の二通りがあるようです。達者型は運動神経が発達していて、先天的に騎手向き。上手型は努力で上手になる型と言えます。そのどちらでもなかった子供は、私の知る範囲ではプロになっていないし、なれません。岡部と福永は達者型というのか、巧かった。柴田はどちらかと言えば上手型でした」と語った福永洋一の活躍を次に見ていきたいと思う。