ロシア文学 戦争と平和 その九 | ScrapBook

ScrapBook

読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

その九 ①369〜404

午前中、第一部第二篇8〜10までを読んだ。8節では、初めて戦場を経験するニコライを、9節からは再びアンドレイが登場し、オーストリアの高官との折衝を描く。

 

橋を渡り終わったロシア軍であったが、ニコライが所属するデニーソフの率いる軽騎兵中隊だけが、敵に対峙して橋の向こう側に残っていた。敵との距離は五、六百メートルほど。最前線にいる兵士の心の内を作者は次のように描く。

「生きている者と死んだ者をへだてている一線を思わせるこの線を一歩越えたら——不可思議と、苦悩と、死だ。そして、その向こうには何があるんだ? 向こうにはだれがいるんだ? 向こうの、この野原や、木や、太陽に照らされている屋根のかなたには? だれも知らないし、知りたがっている。この一線を越えるのは恐ろしいし、越えてもみたい。そして、みんなわかってるんだ——遅かれ早かれ、この線を越えて、あちらに、線の向こう側に何があるかを知ることになる。それはちょうど、あちらに、死の向こう側に何があるかを知ることが避けられないのと同じだ、ということを。ところが、自分自身は強くて、健康で、陽気で、しかも、いら立っていて、そして、こんなに健康で、いらいらと活気にみちた人間たちに囲まれている」

 

次の瞬間に死んでしまうかもしれない、敵と向かい合う最前線に自分が身を置いていると、死の恐怖だけでなく、敵に向かって行こうとする高揚した気持ちとが入り混じった状態になるのだという。

 

ロシア軍はフランス軍の進軍を遅らせるために、自分達が渡河した後、橋を破壊する必要があった。連隊長は、デニーソフ率いる軽騎兵隊にその任務を与える。かつて、デニーソフの財布が盗まれた際に、連隊長に決闘を申し込んだニコライは、胸中密かに「あいつはおれを試そうとしているんだ!」と思うと、顔に血がのぼるほどだった。自分が臆病者でないことをぜひとも連隊長に示さなければならない。がニコライにそんな余裕はなかった。敵の砲弾に同僚が倒れているにも関わらず、「前の方へ行けば行くほどいいのだと思い込んで、もっと先へ走ろうとした」だけだった。

 

他の軽騎兵が橋に火をつけることができた頃、敵の散弾が飛び交う中ニコライは橋の上で棒立ちになっていた。敵を倒すことも、橋に火をつけることもできなかった。このとき、彼はある種の啓示を受けたかのように「まるで何かを探し求めるように、遠くを、ドナウの流れを、空を、太陽を見はじめた。空がなんとすばらしく見えたことか、なんと青く、静かに深く! 落ちていく太陽はなんと明るく、荘厳なことか! なんとやさしく、つやつやと、かなたのドナウの流れがきらめいていたことか!」と世界を認識する。「死と担架を恐れる気持も、太陽と生を愛する気持も、すべてがひとつの病的で不安な印象に溶け合った」瞬間、胸の中で「かなたの空のなかにいる神」に「私を救い、赦し、護りたまえ」とつぶやく。死に直面したからこそ、自分を取り巻く自然がいままで見たことがないほどに美しく見え、愛おしく思われた。神への祈りは、彼の全存在が生きていたいとはげしく求めた時に生まれた。

 

砲火の洗礼を初めて受けた見習士官のまわりに連隊長をはじめ、デニーソフたちが集まってくる。だが、誰もニコライを見ていなかった。みんな、彼の気持ちがわかっていたからである。

 

一方、「十万のフランス軍に追撃され」ている総司令官クトゥーゾフは東へ東へと軍を移動させていた。オーストリアの街の人たちからは「敵意をいだかれ」、敗走を重ねるオーストリアは信頼できず、食料をはじめとする補給も不足していた。

 

十月三十日になってやっと、フランス軍の一旅団を攻撃して粉砕することができた。勝利の報をオーストリアに報告するためにクトゥーゾフはアンドレイを急使として遣わす。吉報を携え、オーストリアの高官の元に急ぐ彼であったが、すでにウィーンがフランス軍に占領されたことを知らされるのだった。