ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

どうにかこうにか額に汗して、朝早くから、当日届いた新しい雑誌の梱包を開き、昼頃までかけて棚に並べ終える。たくさん届いている雑誌(たとえば時刻表など)は適当な数だけ店頭に並べ、置けないものはストックにしまっておく。片付け終わると、体はヘトヘトお腹はぺこペコである。

 

けれど、レジの当番に当たっていることもあり、すぐには昼食には行けない。1階のスタッフ(当然、ほとんどの人が先輩社員である)から指示を受けて、自分の休憩時間を確認する。雑誌を片付け終わりすぐに昼食に行ける日もあれば、商品の店出しに続きレジ当番(僕はレジスターという機械を打つのがとても下手だ。2年間打ち続けたが、しまいまで指一本でキーを打っていた!)になることもある(そうなると13時過ぎまで昼食に行けない)。そもそも僕は客商売に向かない。仏頂面なのだから。

 

さて、お腹を減らした23歳の男の子が向かう店である。まず一番に思い出すのが、書店から歩いて数分の場所にある、二階建ての建物(だったような?)の二階にあるABAB(アブアブ)という名前だったと記憶する、定食屋さん? 洋食屋さん? である。

 

結構人気のあるお店だから、階段まで順番を待つ客が並んでいる日もあった。カウンター席だけ(店舗内にテーブル席があったかどうか記憶にない。それにいつもカウンター席しか座ったことがない)のシンプルなレイアウトの飲食店である。カウンターの中には、30代後半と思しき夫婦?がふたりでお店を切り盛りしている。

 

座席に腰を下ろすと「オムライス、お願いします」、か「オムライスの大盛り、お願いします」しか、僕は声を出したことがない。ABABのオムライスは、そのデカさが半端ない。いわゆる普通サイズが、岩波書店から刊行されている四六判の漱石全集九巻「心」ぐらい、大盛りが同十二巻「小品」ぐらいの大きさと厚さの物が、大きな洋食皿に乗ってやってくる。

 

分量が多いのは主役のオムライスだけではない。ポテトサラダはパフェの生クリームのごとく高々と、そしてどっしりと屹立している(レタスだか、キャベツだかも添えられていたように記憶するが、オムライスとポテトサラダに圧倒されるだろう、普通は)。ケチャップライスを覆う黄色の卵焼きの表面を眺めていると、一皿、一皿、丁寧に作られているのがわかる。そんなオムライスである。いうまでもなく、うまい!

 

さて、そのとんでもない分量のオムライスの価格がまた驚きである。たしか、600円ほどではなかったか?大盛りでも100円増し程度の価格。いったいどういう経営をしているのか?と言いたくなる。最近でこそ、「デカ盛り」というのがブームになっているが、このABABという店は、デカ盛りの走りとも言えるかも知れぬ。もっとも、店主の、お客さんに腹一杯、美味しいものを食べてもらいたいというまっすぐな思いがその分量に表れたように思える(もちろん今になってみればということだ)。

 

時にABABが客でいっぱいであったり、定休日(さすがに何曜日が定休日か忘れたが)の時に僕の足は、いむらやという、あずきバーのメーカー名を思わせる、かた焼きそばで有名な店に向かうわけだ。かた焼きそば以外にも、餃子があったようにも思うがなにぶん記憶が定かでない。

 

いわゆる、あんかけかた焼きそばなのだが、ここの焼きそばは、町中華で出される物とは一味違う。麺はやや細麺を揚げているのだが、皿の上でもうぐちゃぐちゃにからまり、激しい混線状態である。その混線状態の皿に、いささか大ぶりのキャベツやら豚肉がごろごろ入った、甘めのあんがこれでもかとかけられている。あんが皿から溢れ出てしまい、滴っているのだ。先のABAB同様、この店も普通盛りがすでに大盛りという感じである。

 

はじめて食べる人は、いきなりその混線状態の、あんがどっぷり皿に箸を突っ込んでかいつまんでは口に運ぶだろう。それはそれで美味い焼きそばなのだ。だが、いきなり箸を皿に伸ばす前にテーブルに置かれた怪しげな黄色い液体に気がつくかも知れない。自分の周りを見渡すと、ほとんどの客(この店に来る大抵の客はこのかた焼きそばを注文する)は、焼きそばに、怪しげな黄色い液体をどばどばとぶっかけていることに気づくだろう。酢に辛子を溶いた液体をかけて食すと、これが不思議と中毒的な味わいに変化する。

 

この店の焼きそばはうまいのだが、そのうまさは、いまでいうB級グルメのおいしさのことである。こんな大量の、揚げた麺とあんを食べればたいていの人の胃袋はもたれる。が、ここでしか味わえない独特の、クセになるうまさ。また食べたくなるといううまさといえばいいだろう(こんな文章を書いていたら、なんだか食べたくなってきた)。

 

このかた焼きそばも5〜600円ほどの値段ではなかったか?

 

ちなみに、このいむらやというお店は権堂という場所にもある。だが、僕は自分が勤務していた南千歳にあった書店のすぐそばにある店の味の方が好きだった。路地裏にあるという店の立地や雰囲気が好きだったのかも知れない。

 

新幹線が開通してからすっかり感じが変わってしまった長野駅であるが、かつての駅に隣接していたMIDORIの地下街にある、なんとかという団子屋さんのくるみ団子や、種々のおやきも美味しかったな〜。

 

他にも思い出に残る店はたくさんあるのだけれど、次回は、僕がもっとも気に入っていたお店のことや、当時、僕がよく耳みしていた音楽について描いてみたい。

昨夜は僕の新しい住まいと、初めてみた真っ白な雪について語った。今夜は、僕の仕事と職場について話そう。

 

長野駅から徒歩5分ほどのところに南千歳公園という、さほど大きくない広場がある(いまもあるかな?)。公園に面したビルの一階と二階とに、当時、書店があった。売り場面積は360坪ほどだったろうか。当時、甲信越にある書店の中では新潟市にある紀伊國屋書店についで大きな店舗だったと記憶する。

 

僕はその書店の販売員であり、仕入れ担当であった。むろん、入社したての僕は見習いであり、最初の3か月ほどは、定時である9時頃に出勤しては先輩社員の指図に従って店舗内の掃除はもとより、商品の片付け、店出し、返品作業、レジ打ちといった基本的な作業を学んだものだ。そして定時の18時にはお役御免となる。5分ほどかけて長野駅まで歩いては長野電鉄のホームに並び電車に乗り帰宅。3か月間の研修期間が終わると、僕は雑誌担当ということになった。

「明日は7時半までに出勤するように」と店長から言われた僕はいささか面食らった。

 

翌朝、時間よりも早く(長野電鉄のダイヤの都合だ)、店に到着した僕を待ち受けていたのは、店長と山と積まれた雑誌、書籍であった。当日発売になる雑誌や書籍は、当日の朝、店舗の裏口(南千歳公園に面した側)に横付けにされたトラックから、午前7時過ぎには降ろされ、本が詰まった段ボールや、雑誌が梱包されたビニールの包みが、それこそ山と積まれているのであった。はやい話が、毎朝、7時過ぎには、この雨や風にさらされた屋外で、カッターナイフを使って雑誌が梱包されたビニールを解いては、雑誌を取り出し店頭にある商品と入れ替えるわけだ。付録が付属している物については付録組といった作業がある(これがまた厄介だ)。多い日には150個を超える梱包が、平均すると毎日70〜80個ほどの小包を丁寧に解き、店頭に並べる。いうまでもなく店頭には、前日までに発売された雑誌が棚にぎゅうぎゅう詰めにされているわけだから、新しい雑誌を並べるためにスペースを作らなければならない。朝7時半から始めた作業が終わり、おおよそひととおり今朝届いたばかりの雑誌を店頭に並び終えるのがお昼前である。

 

この原始的な作業に技術革新などあろうはずはないから、明日の朝も、日本中の書店では、書店員のみなさんが、書架に雑誌を並べていることなのだ。

「夜と霧 新版 ヴィクトール・E・フランクル著 池田香代子訳 みすず書房」を読み終える。本書の「新版」が刊行されたのは2002年のことであったが、僕がそのことをしったのは数年前のことだ。地元の図書館の書架で見かけた本書の背文字に「新版」とある。「新版とはどういうことか?」と怪訝に思いながらも、三十数年前にかつての版を読んだものだから、さほどの興味を示すこともなく、時間が過ぎた。


数か月前のことである。Eテレの「こころの時代」と題された番組が本書の著者であるフランクルを取り上げいた。彼が提唱した「ロゴセラピー」に興味を抱いた僕は「それでも人生に『イエス』という」という、戦後彼が行った講演をまとめた書籍を一読した。


われわれは、一概に人生に意味や価値を問う。時に答えを見つけることができず、「人生は無意味だ」「人生は無価値だ」と捨て鉢になったかのような言葉を吐く。これらの断言は適切であろうか?フランクルは、問うのだ。そもそも、人生がわれわれに問うているのだ。「人生とは何かと」。


「そこに唯一残された、生きることを意味するものにする可能性は、自分のありようががんじがらめに制限されるなかでどのような覚悟をするかという、まさにその一点にかかっていた(p112)」。

「しかし、行動的に生きることや安逸に生きることにだけに意味があるのではない。そうではない。およそ生きることそのものに意味があるとすれば、苦しむことにも意味があるはずだ。苦しむこともまた生きることの一部なら、運命も死ぬことも生きることの一部なのだろう。苦悩と、そして死があってこそ、人間という存在ははじめて完全なものになるのだ(p113)」。

生きがいを喪失した人の多くが、過去の自分と現在の自分との断絶を嘆き、なりたかった自分と何者にもなれなかった自分との間隔を呪う。だが、たとえ自らの企てが失敗しようとも、運命に翻弄され偶然窮地に陥ろうとも、その結果苦しみの中でもがくことは「生きること」の一つであることが見えなくなっているわけだ。


とかく、成功や名声を博すことが人生の価値や意味であると一般に捉えられがちであるが、それは一面的な考え方、解釈であり、人間の行いの一部に過ぎないのだ。悲しみや苦悩、失敗、孤独といった中に、われわれが自分だけの意味を見出す時、その時、「生」の本来の姿が立ち現れてくるに違いないのだ。

1991年2月から1993年5月までの2年余り、都内の大学を卒業したばかりの僕は就職先の長野県長野市に暮らすことになった。思えば、郷里の四国を離れてまる5年の歳月が流れていた。長野駅を降りた僕は、ふた月ほど前に契約したアパートに向かうため、JRの改札を出て地下街に入りそこから長野電鉄に乗り換えるため切符を購入した。長野電鉄とは、てっきり地下鉄なのかと思ったら、電車は三つほど駅を過ぎるといきなり地上に出た。そして僕は桐原という駅に降りたのだった。路上には降り積もった雪が白く残っている。一面が白い光景、最高気温がマイナスという季節を初めて経験する。冷たい空気が痛い。ところどころ凍っているだろう歩道の上を歩いていると、足を滑らせそうになるから、仕方なく足を地面に垂直に下すようにして歩く。ぶざまなペンギンのようにして歩いているのはどうやら僕だけのようだ。

 

三輪という町にある、古い二階建てのアパートの二階の一室。それが僕の新しい生活の場所だ。なんでもチャーシューがとんでもなく分厚いことで有名なラーメン店の裏側にあるそのアパートは、6畳の和室がふた部屋に6畳の台所、トイレと風呂は別々であるだけでなく廊下や洗濯機置き場まで備えている、ひとりで暮らすにはいささかひろすぎる代物だった。

 

降り積もった白い雪を初めて見た僕は、突然、雪玉をつくることを思いつき、アパートの外に出てみたのだった。雪国に生まれ育った人たちには分からぬだろうが、僕が生まれ育った四国では、雪が舞うことはあっても降り積もることはほとんどない。数年に一度ぐらいは数センチほど積もるには積もるのだが、数時間もすれば溶けて泥が混じった泥濘になるのが一般だ。真っ白い雪玉で雪合戦をすることなどしたことがない。

 

両手で雪を掬い、にぎり固めてみる。白い雪玉だ。どこへともなく、投げてみる。また、雪を掬い握り固めてみる。投げる。そんなことを数回繰り返すのだが、寒い、手が冷たい。何より、ひとりでは遊びにならぬ。飽きてしまった僕はそそくさとアパートの中へ、まだ荷物が到着していない、からっぽの部屋の扉のノブに手をかけた。

「きみにはそういう人はいるのかな? きみを受け止めてくれる人が」

少年は首をきっぱり横に振った。「いいえ、ぼくにはそういう人はいません。少なくとも生きている人たちのあいだには一人もいません。だからぼくはいつまでも、時間の止まったこの街に留まることでしょう」

 

発売日(令和五年四月十三日)に「街とその不確かな壁」を購入した。が、偶然、今年の一月から集英社文庫版の「失われた時を求めて」を読んでいたものだから、本作を手に取る気になれなかった。ようやよく「失われた〜」を読み終えたのが数日前(正確にいうと令和五年四月二十一日だ)。その日の夜から、読み始めたところ、物語の美しさ(とりわけ第一部)に引き込まれてしまい、四日足らずで読み終えてしまった。いや、この作品には、読者をして再読したいと思わせる、物語の美しさと力強さとがある。

 

前作「騎士団長殺し」も、発売されてすぐに購入し、一週間ほどの時間をかけて読んだ。なるほど、作者の手慣れた世界(意欲や主体性が欠けた男性主人公と、異形の生き物が登場する不思議なお話)をどのように評価するかは、ひとり一人の読者が決めればよいのだろう。前作に関して僕は、本作ほど心動かされ揺さぶられることはなかった。ポール・オースターの作品をはじめとする、ストーリーの主要な部分(たとえば、長い期間車で旅を続けること、恋する人の住む家の向かい側に住むなど)さまざまな文学作品のコラージュのような感じが強く、また、執拗に描き込まれる自動車の描写に違和感を覚えてしまったものだ。異形の生き物騎士団長自体に、存在の必然性とでもいったものも(物語の説得力とでもいおうか)感じられなかった。

 

「村上春樹という作家知ってる? 『風の歌を聴け』という作品がいいよ。おもしろい」と、大学に入ったばかりの一九八七年の春、同じクラスの知り合ったばかりの同級生から教えてもらい、手に取ったのが僕の村上春樹体験の始まりであった。村上春樹さんが、ベストセラー作家(同年、「ノルウェイ森」を発表して一躍ベストセラー作家となるのだが)。でも、ノーベル文学賞の候補として毎年騒ぎ立てられるでもなく、文学好きな二十代三十代の一部が知っている程度の、新進作家であった頃のことだ。いうまでもなく「村上主義者」や「ハルキスト(これはかなり小っ恥ずかしい単語だ)」なんていう言葉が生まれるずっとずっと前のことだ。

 

一九八〇年代、「風の歌を聴け(現在の村上春樹さんは「風の〜」をほとんど評価していないとのことだが)」や短編集「カンガルー日和」「1973年のピンボール」にある、清々しさと軽さは、それまでの日本文学に根強くあった生活感や思想、果ては信条といった重苦しく、古臭く、ややこしいものから距離をとっていた。まるで真っ白い部屋の中で繰り広げられる無言劇であるかのような数々の物語は、新鮮であり、強烈な印象を、当時十代だった僕に与えたものだった。その物語たちは、大学の授業で学んでいた、カビ臭い文学臭から解き放たれた場所にあった。

 

そこで本作「街と不確かな壁」である。八〇年代の村上春樹さんの作品に馴染んでいる読者にとって、本作の第一部こそ、長年、待ち続けた村上文学の精華ではないか。十七歳の「ぼく」と、十六歳の「きみ」。「孤独」、「読書」、「手紙」、「図書館」といった村上文学ではお馴染みのキーワードが出てくることはともかくとして、本作の第一部は、さながら散文詩でも読んでいるような、偶然に開いたページのどこを読んでも、孤独な男の子と女の子との美しい恋愛と、ふたりにせまりつつある「影(「私」と「君」とが生きているもうひとつの世界の物語)」、やがて訪れる喪失を予感させる(勿論「喪失」は物語のどこかで「再生」につながるかもしれないのだが)。「ノルウェイの森」以降の作品で顕著であった露骨な性描写(人間の性衝動や性生活は、登場人物を造形する上で欠かせないパーツであるのは理解する僕だが、しかし・・・)がいささか鼻についていた。実際、「ぼく」と「きみ」とが性交渉をする場面があれば、僕は、本作に感動を覚えなかっただろう。多くの読者は、「ぼく」と「きみ」とに自然と自分を重ねてしまう。

「電車に乗ってきみの住む街に、きみに会いに行く。五月の日曜日の朝、空はまっさらに晴れ上がり、ひとつだけ浮かんだ白い雲は、滑らかな魚の形をしている」。

 

さっき、読み終えたものだから、思いつくことを書き綴ってしまった。気が向けばこの続きを書こう。

その二十一 ②197〜249

日曜日の昼からは、第一部第三篇15から19までを読んだ。

 

十一月二十日午前八時、連合軍の総司令官クトゥーゾフは、第四ミロラードヴィッチ軍団の先頭に立ってプラーツ村付近まで前進を開始した。クトゥーゾフの傍に控えるアンドレイの頭の中では、「旅団か師団を率いて、そして、そこで軍旗を手に持っておれは前進し、自分の前にあるものをなにもかも、たたきつぶすのだ②198」といった勇ましい妄想が彼の気持ちを昂らせていた。

 

攻勢を行うことに乗り気ではないクトゥーゾフではあったが、動き出した歯車を止めることはもはや彼にはできず、歩兵隊をはじめとした部隊は、命令に従って粛々と前進を続けた。

 

戦場を覆っていた霧が晴れ始めた頃、二キロメートル以上先に布陣しているとばかり想定していたフランス軍が、ロシア軍のわずか五百歩ほどの距離に密集隊形をとり迫ってきていたのだった。フランス軍の急襲に気づかず前進を続ける歩兵部隊。彼らを停止させようと、クトゥーゾフに進言したアンドレイの目の前で、不意をつかれたロシア軍の多くがパニックを起こし、逃げ出し始めた。総司令官が兵隊たちを持ち場に踏みとどまらせようと命じたところで、雪崩れ込んできた敗残兵の波を止めることなどできなかった。絶望するクトゥーゾフは支離滅裂となった部隊を指差しアンドレイに向かって「いったいなんだ、これは?」とささやくのがやっとである。自軍が潰走する様に恥ずかしさと無念とが込み上げてきたアンドレイは、金切り声で叫ぶ。「みんな、前へ!」と。彼は重い軍旗を手に、自分が敵に向かって走り始めれば全大隊が自分の後について走り出すことを信じて疑わなかった。彼はそれほどまでに妄想の人であった。

 

士気を鼓舞された全大隊がアンドレイを追い越し走り出したのだが、フランス軍の正確な射撃の前にひとり、また一人と斃されていく。自分の目の前でロシア兵とフランス兵とが肉弾戦となっている場所に駆けつけようとした次の瞬間、彼の頭に強い衝撃が走ると、そのまま仰向けになって倒されてしまった。

 

ぼんやりとした彼の意識は戦場を遠く離れ、自分の頭上に広がる「はかりしれないほど高くて、灰色の雲が流れている、高い空」に向かう。そして、次のような心境が彼を訪れるのだ。「この高い果てしない空を雲が流れている。どうしておれは今までこの高い空が見えなかったのだろう? そして、おれはなんて幸せなんだろう、やっとこれに気づいて、そうだ! すべて空虚だ、すべていつわりだ、この果てしない空以外は、何も、何もないんだ、この空以外は。いや、それさえもない、何もないんだ、静寂、平安以外は。ありがたいことに!……②215」。死を強く意識した人間だけが垣間見ることができた、人間を超えた自然存在を通して、人間存在の矮小さに気がついた瞬間だった。

 

戦闘が同盟軍の敗戦に終わった後も、負傷し横たわったまま戦場に残された彼は、微かな意識の中で思考を続ける。自分が初めて見た「高い空」、そして、「この苦しみもおれはやっぱり知らなかった②241」ことを悟り、自分が何も知らなかったことをいまさらながらに知るのだった。

 

アンドレイ達負傷兵が倒れたままの戦場に姿を現したのは、フランス皇帝ナポレオンであった。かつては自分が英雄であると、ある種の崇拝さえ感じていた相手が目の前にいるにもかかわらず「自分の心と、この、雲の走っている、高い、無限の空のあいだで今生じていることにくらべると、この時彼には、ナポレオンがあまりにもちっぽけな、取るに足りない人間に思え②243」るのだ。彼は、あらゆるものの小ささを悟る一方、「何か不可解だが、このうえもなく重要な、あるものの偉大さ以外②248」にこの世界において確実なものはないと直感する。だが、偉大な存在とは「神」であると信じきれない彼は、妹のマリアのように「単純明快」になれるなら、自分も幸福で安心できるのにとうらやみながら、煩悶するしかない。

 

一方、ニコライは、バグラチオン将軍の命を受け、クトゥーゾフを探すため戦場を駆け回る。途中、フランス軍に突撃攻撃を仕掛けようとする近衛騎兵隊と衝突しそうになったり、初めて砲火の洗礼を浴びたボリスやベルグに遭遇したりしながら、総司令官がいるはずのプラーツ山上にフランス軍の砲兵部隊が陣取っている姿をみてもいまだに、連合軍が潰走しているのだという考えが浮かばないのであった。いや、彼には敗けるということが信じられないのであった。

 

皇帝は負傷して運ばれたといった話を耳にしながら馬を進め続けた彼は、ふいにアレクサンドル皇帝が戦場に佇んでいる姿を目にしたが、声をかけることさえできない。彼は自問する。「いったい何を陛下にたずねるのだ? もう今は午後の四時近くで、しかも、戦闘は敗けてしまったのに。いや、絶対におれは陛下のそばに行くべきではない、陛下の物思いを乱すべきではない②233」。彼は皇帝に同情する涙を抑えながら、敗残兵の流れとともに、絶望して進むのだった。

 

アウステルリッツの戦いは、午後五時には戦闘はすべての場所で連合軍の敗北に終わった。

その二十 ②157〜197

お昼前までに第一部第三篇11から14までを読んだ。

 

一八〇五年のアウステルリッツの戦い前夜から戦闘直前午前五時頃が物語の舞台である。ロシアとオースリリアの連合軍では、対峙するフランス軍相手にすぐにも攻勢を仕掛けようとするオーストリアの将軍ワイローターらと、それに反対する総司令官クトゥーゾフとが、作戦会議を開いていた。ワイローターが「もはや押しとどめようのない動きの先頭に自分が立っているのを、感じている」様子であるのに対して、老将軍クトゥーゾフは「作戦会議の議長と進行役をいやいや務めている不服そうで、寝ぼけた②165」様であった。なぜなら、この老将軍は「わしは、この戦いは敗けると思うし、トルストイ伯に言って、陛下にそうお伝えするように頼んでおいた②164」ばかりであったからだ。作戦会議において、勝利を盲信した人間が作戦案を説明しているのだから、クトゥーゾフが眠たくなってしまうのもいたしかたあるまい。いや、事実彼は、会議の場において眠ってしまうのだった。会議の席上で眠ってしまう総司令官をよそめに、ワイローターは、延々一時間にもわたり自説を主張するのである。途中、彼の作戦案に異議を呈する将軍がいたが、その都度ワイローターは自分への反論をことごとく退けてしまう。目を覚ました総司令官の「諸君、あすの、いや、今日の作戦計画を変えることは無理だ」「諸君は作戦計画を聞いたんだから、みんな、自分の義務を果たすんだね」という言葉とともに会議は散会し、こうして明日の攻勢が決まった。前線で士気が上がっている兵士たちとは対照的に、杜撰な作戦会議の様子が、今後の連合軍の行方を、明日の戦いの不幸を暗示しているかのようである。

 

その会議に参加していたアンドレイの胸中は複雑であった。自分が考える作戦案を会議の席上で披露しようと考えていたにも関わらず、ひとことも発言できないまま、ワイローターの案が裁可されたからだ。ナポレオンに対して今すぐに攻撃を加えるべきか、守勢であるべきか、彼には判断がつかなかったのみならず、傍目にもなし崩しのように決められた作戦案によって、「何万もの命と、おれの、おれの命を犠牲にしなければならない②174」かもしれないからである。迫り来る死への不安を誤魔化すかのように、彼の頭の中では連合軍が窮地に陥った光景が描き出され、自分が率いる連隊や旅団が決戦の地で勝利を収めることを妄想するのだった。いずれクトゥーゾフに代わって自分が総司令官として作戦を立案することまで思い描いていた次の瞬間、「なるほど、で、その先は?」「もしおまえがそうなるまでに十遍も、負傷も、戦死もせず、騙されもしないとして? いったい、その先はどうなる?②175」という声が聞こえる。孕った妻をひとりに置いておき、戦場に向かった彼は「名声を望み、人に知られることを望み、人に好かれることを望んでいる②175」に過ぎないことを、そのこと以外、彼は何も愛してもいなければ望んでさえいないとまで考え、それらの名声が得られるならば自分が大切にする家族でさえ「引き換えにする」という冷酷な考えが頭の中で渦巻いているのだった。物語の冒頭から、ほのめかされてきた、アンドレイの秘密というものが、存外世俗的であることに驚かされる。が、今後の物語の展開によっては、彼の価値観が根底から揺らぎ変容するかもしれない。あくまで彼の考えは、この時点におけるものに過ぎない。

 

連合軍は、フランス軍が戦場から撤退すると想定していたのだが、最前線に陣取るフランス軍では陣営に火が灯り、叫び声が起こっていた。皇帝ナポレオンが発した命令が部隊で朗読されているところに、皇帝自身が野営地を見て回っていたからだった。彼の姿を見かけた兵隊たちは藁の束に火をつけて口々に叫ぶ「皇帝陛下万歳!」と。そして、十一月二十日の朝を迎えることになった。

その十九 ②136〜156

今朝の出勤前、第一部第三篇9と10とを読んだ。

 

自らの出世を画策したボリスは、自分を評価してくれるアンドレイを介して、魅力的な地位が自分に回ってくるよう、できれば副官になれるよう行動を起こす。「自分の頭以外持っていないおれは、自分の出世の道をはかって、チャンスはのがさず、利用しなければならないんだ」という確固たる意思を秘めていた。純真で直情的なニコライに比べると、計算高いボリスは、いささかつまらぬ人間に思えてしまうものだ。もっとも、ボリスが語るように、お坊ちゃんであるニコライの理想主義的傾向は、実家の財産という後ろ盾がなければありえないものかもしれない。

 

総司令官であるクトゥーゾフがいる家でボリスが目にした光景は、年をとったロシア人の将軍が、地位が低い大尉のアンドレイに向かって「ほとんど爪先だちになるほど、直立不動の姿勢をし、真っ赤な顔を兵隊のように卑屈な表情にして②138」「何かを報告している」姿であった。軍隊内にある規律や上下関係のほかに、軍隊の中には「本質的な上下関係」があることを見抜いたボリスは、自分も肩書きを超えた存在になれるよう、そのような立場に身を置けるよう決心するのだった。

 

アンドレイは、ボリスを将来有望な青年と見なしており(なぜ、ボリスを有望な人物であると評価しているかは説明されていないが)、彼がよい地位につけるよう尽力することを惜しまない。彼はボリスを連れて、皇帝とその側近たちがいるオルミュツ宮殿に行き、作戦会議から戻ったばかりのドルコルーコフ公爵に引き合わせるのだった。公爵の口から、すぐにも攻撃を開始することを、つまり、クトゥーゾフ達「老人」の考えとは反対の結論が出されたことを、アンドレイは知ることになった。公爵は作戦会議のことや、これから始まる攻撃のことで頭がいっぱいの様子であり、アンドレイからボリスを紹介したいという要件が切り出されるまで、のべつ隈なく喋り続けるのであった。

 

とりあえず、ボリスの紹介を受けたドルゴルーコフ公爵は、ボリスのためにできることはすると安請け合いする適当なあいさつもそこそこにアレクサンドル皇帝の元に向かうため彼らを後にする。かわりに皇帝がいる部屋から出てきた男は、「まっすぐアンドレイの方に歩いて来ながら、彼が自分に頭を下げるか、道を譲るのを待っている様子で、じっと冷たい目でアンドレイを見つめた②147」。対するアンドレイは頭も下げる道も譲らない。その男は、アンドレイに憎しみを表しながら、しかたなく廊下の端を通り抜けていった。「あれは最高に優秀だけど、僕にはいちばん嫌な感じがする連中の一人でね。あれは外務大臣のアダム・チャルトリシスキー公爵ですよ」「あの連中なんだよ、いくつもの民族の運命を決しているのは」とつぶやくアンドレイの脳裏には、窮地にあるはずのロシア軍が、ナポレオンに向かって攻勢に出ることに対する危機があったのではないか。

 

一方、ニコライが所属する軽騎兵連隊は、後方に残されていた。他の部隊が戦果をあげているのに、自分達が蚊帳の外になっていることに対する焦燥感やいらだちがあった。そこに姿を現したのは、彼が心から尊敬し、崇める存在であるアレクサンドル皇帝だった。「皇帝のそばにいることからくる幸せな気持に、彼はまったく呑み尽くされてしまったのだ②152」。彼が皇帝に心酔してしまった姿は、すでに8節の閲兵の場面でも描かれていた。ここに描かれているのは、近代的な国民国家が形成される前夜、一国の君主がひとりの臣民の心の中で、いかに神格化されるかという過程が描かれている。ニコライは、連隊の同僚たちと酒を酌み交わしながら「陛下ご自身が先頭に立っておられる今度は、どうなると思う? おれたちはみんな死ぬんだ、陛下のために喜んで死ぬんだ。そうだろう? みんな」とぶちまける。いうまでもなくそこに集まった連隊全員が、ニコライの言葉に「ウラー」と叫び、彼に賛同するのだった。

 

だが、作者トルストイは、皇帝に心酔するニコライたちの様子を語る一方、戦場で負傷した兵士が数多く倒れている光景を目にしたアレクサンドル皇帝が「本当に恐ろしいものだ、戦争は、本当に恐ろしいものだ!」とつぶやく場面を挿入した。アレクサンドル皇帝自身は戦いに熱狂しているのではない。彼をかつぎあげる軍人たちが、戦争という得体の知れない渦の中が動き始めている。前の説では、アンドレイが、数名の高官が民族の運命を決していると考えていたが、作者であるトルストイは、君主が戦争を望んでいないにもかかわらず、戦争を誰も止めることができない様子をそっと描いている。むしろ、最前線にいる兵士の一人ひとりが自分たちから死に向かって突き進もうとさえしているのだ。そして、この節は次の文章により締め括られる。「アウステルリッツ戦を前にした、あの記憶すべき数日のあいだに」「ロシア軍の十人のうち九人までが、ニコライほど熱烈ではなかったにしても、自分たちの皇帝とロシア軍の栄光に惚れこんでいたのである」と。

その十八 ②110〜136

今朝の出勤前に第一部第三篇7と8とを読んだ。

 

ニコライの幼馴染であるボリスが、小細工を弄して世間をうまく渡り歩く、あわよくば労せずして出世することばかり考えているタイプの人間であるのに対して、ニコライは危なっかしいまでにまっすぐな自分の心意気だけを頼りに戦場に駆け出した青年である。ボリスがつてを頼って、近衛騎兵に潜り込んだのに対して、ニコライは自ら志願して最前線に向かう軽騎兵となり、戦場に赴いた。

 

ロストフ家から届いた手紙と金を受け取るためにボリスが駐屯する街までやってきたニコライが目にしたのは、「散歩でもしているように、清潔さと規律正しさを誇示」している近衛騎兵であった。一方のニコライは、「古ぼけた見習い士官の上着を着て、兵隊の十字章をつけ、同じく兵隊用のすり切れた革のついた乗馬ズボンをはき、下げ緒のついた将校用のサーベルを帯びていた②111」格好であり、「砲火の洗礼を浴びた、勇敢な軽騎兵らしい姿②111」だった。おまけに「よれよれの軽騎兵の帽子をいなせにあみだに、横っちょにかぶっていた」のだから、彼がどんな気持ちで近衛騎兵に向かって行ったかわかるというものだ。

 

正反対の二人が相対して交わす会話は、たいそうちぐはぐなものであった。一方が軽騎兵流の酒盛りや陣中生活を話すのに対して、「位の高い人たちの指揮下で勤務する快適さや有利さ」を話すのであるから。

 

もっとも、砲火の洗礼を浴びたことが自慢であったニコライも、家族からの手紙を受け取った時には、ロストフ家のニコライ青年になってしまうのだったが。

 

手紙には一通の推薦状が同封されていた。それは、ニコライのことを思う家族が苦労して手に入れた、バグラチオン公爵宛のものであったのだ。が、ニコライにとっては、当然のことのように「こんなものがいるか」と言い放ち投げ捨ててしまう。ニコライという青年は、誠にわかりやすい性格なのである。

 

幼馴染の邂逅は自然、酒を帯びると自然活気づくものだ。話頭は自ずとニコライが経験した戦場の、彼が負傷したシェングラーベンでの戦いへと向かった。著者は次のように注釈をつけている。「ニコライは正直な青年だった。彼はけっして故意に嘘を言ったりはしなかった②121」のだが、戦場の話をしている間、自分でも知らず聞き手が期待している内容の話を、彼が戦場を駆け回り敵兵をバタバタと打ち倒し、終いには自分が力尽きて倒れてしまったといった話を始めてしまったのだ。実際、彼は戦場で「落馬して、腕を脱臼し、フランス兵に追われて必死に森に逃げ込んだ②122」だけであったなどと彼らに話すわけにはいかなかっただろう。

 

そこに姿を現したのは、アンドレイ公爵であった。彼にとって、戦場での与太話を自慢げに振りまくニコライは、「どうにも我慢のできない種類の人間」であるように、ニコライにとってアンドレイは「何もせずに恩賞をもらっている司令部のろくでなし」であった。

 

アンドレイは、ニコライが自分に向ける軽蔑や侮蔑に取り合う気持ちにはなれなかった。「数日中に僕らはみんな、大きな、もっと深刻な決闘にでなければならない羽目になる」のだから。それは、ナポレオンに対するロシア軍がおかれている危機を暗示している。

 

ニコライにはアンドレイほどの気持ちの余裕などない。あの憎い副官アンドレイに決闘を申し込むべきかどうか考えを巡らせながらも、彼を親友にしたいという自分の不思議な思いに気がつくのである。ニコライは、アンドレイの性向が自分に近いことをあの短い時間で嗅ぎ取ったに違いない。

 

ニコライの、不正を嫌いまっすぐで、いささか直情的な性格は、続くロシア軍の閲兵でも描かれている。アレクサンドル皇帝がうかべた微笑を見た彼は、自然と微笑をはじめただけでなく「皇帝に対する愛情がいっそう強く湧き起こるのを感じ」、その「愛情をなにかで表したかった」が「それが不可能であることを知っていたので泣きたかった②132」。皇帝のお付きの一人であるアンドレイを見つけた彼の頭には、決闘状を叩きつけるという考えがよぎったが、次の瞬間にはそれを打ち消してしまう。皇帝への崇高な「愛と、感激と、自己犠牲」が湧き上がっている時に「口論や私怨になんの意味があるんだ。 おれは今みんなを愛している。みんなの罪を許す②134」とまで思い詰めてしまうのであった。

その十七 ②86〜110

今朝の出勤前に第一部第三篇5と6とを読んだ。5ではマリアの結婚話の結末が、6ではモスクワのロストフ家に届いたニコライからの手紙をめぐっての一家の様子が語られる。

 

辛辣な言葉をあたり構わず吐き出す老公爵であったが、とりわけ、財産目当てで転がり込んできたワシーリー親子の態度が自分に対する侮蔑ではなく「自分以上に愛している娘に向けられていた」ことを思うと、いらだたずにはいられない。アナトールの視線は、マリアではなくブリエンヌにばかり向けられていたのだから。

 

翌日、父と娘とは対面する。単刀直入な物言いで父は娘に、あの男の嫁になるのかならぬのかとぶちまける。

「あたくしの願いはただ一つ——おとうさまのお心を果たすことです」と目を伏せて答えるマリアの心中には、片田舎に閉じ込められた自分の運命が決まるのは今しかないという焦りがあった。そこに老公爵が畳み掛ける。「あの男はおまえばかりじゃない、だれでもかまわず結婚する。だがな、お前は選ぶ自由がある②92-93」。

 

自分の運命を自分の手にしたマリアが父の書斎を後にして目にしたのは、「冬の庭」で抱き合うアナトールとブリエンヌの姿であった。マリアには「これがどういうことか、わからなかった②94」とある。この時点で、アナトールやブリエンヌがどのような人間であるかを悟ってもよさそうなものだが、そのすぐ後では、泣いているブリエンヌに慰めの言葉をかけてやり、彼女がアナトールと一緒になれるよう尽力することを彼女に誓うという不可思議な行為に走る。

「お嬢さまは本当に清らかでいらっしゃいますもの、こんな情熱の迷いなど、とてもおわかりになりませんわ。ああ、わかってくれるのは、かわいそうなあたしの母だけ……②95」とマリアに語るブリエンヌの言葉を、字義の通りに受け取ってよいものなのか、皮肉なのだろうか。もっとも、「あたし、なにもかもわかるわ」と「淋しそうに微笑しながら」答えるマリアには、人間の皮肉など通じないのだろうが。

 

「あたくし結婚したくありません」とワシーリー公爵にきっぱりと言い放つマリアの胸中に、自分の使命は「愛と自己犠牲で幸せになること」であるとの強い思いが沸き起こっていた。アナトールを激しく愛しているブリエンヌをどうしても助けたいと強く願うマリア。世俗の幸福を退けたところに自分の幸福を築こうとする彼女の真意を読み解くことは難しい。

 

モスクワのロストフ家に一通の手紙が届く。戦場から家族に向けて認められたニコライからの便りであった。すでに見たように彼は戦場で負傷し、消息がわからなくなっていたのだった。その便りがロストフ家の全員に再び生気を吹き込んだ。ソーニャに向けては、「あいかわらず愛していて、あいかわらず思い起こしている、たいせつなソーニャに接吻を、と伝言していた」。彼女は目に涙が溢れるほど赤くなり「広間に走り出、走ったまま勢いをつけて、くるくると回り出した。そしてドレスを風船のようにふくらますと、すっかり真っ赤になり、顔いっぱいに微笑を浮かべて、床に座った②107」。「いとしいニコライの手紙は何百回も読まれた②107」のだ。