英霊の言乃葉 靖国神社 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

とある小さな塾で働く私は、生徒の課題に赤ペンを用いてコメントを入れることがある。そんなときには少しばかりもったいぶったことも書かなければならない。「よく理解されています」であるとか、「うまく整理できていますね」といった言葉のことである。そんなコメントを書き終わってふと自分の字を見る。下手なのである。自慢ではないが、自分は小学校一年生の時から六年間毎週日曜日午前九時から十時までの一時間書道を習っていたのだ。辞めたときには五段であった。自分では結構上手いと思っていた。だが、それ以来、字を習うということを怠り、そのうちにペンを持って書くことをしなくなり、挙げ句の果てには偶にペンを手にして字を書くとひどく恥ずかしい思いをするのである。

パソコンが普及し、ブロードバンドが一般的になってからというもの、人から送られてくるメールや文字(字面とでも言おうか)からその人がどんな表情をしてこの文面を書いたのかを読み取ることがとても難しくなった気がしてならない。自分が就職した頃など、まだパソコンが仕事場にない時代であったので、何をするにしてもペンで書いたものであった。それをコピーして郵送であったり、急ぎの場合にはファックスする。届く書類も大半が肉筆のものである。中には感動してしまうぐらい美しい文字が書かれているときもあれば、殴り書きのようなものもあり、判読に苦労するものさえあった。どの文字も自分を主張していた。

肉筆の手紙を書かなくなって久しい。

靖国神社が発行している『英霊の言乃葉』をご存じだろうか? 靖国神社に祭られる英霊の遺書や書簡をまとめたもので、遊就館において頒布されている冊子である。その一部は靖国神社のサイトで公開されており、毎月一通の書簡、乃至は遺書を閲覧することができる。

今月は、「陸軍中尉 吉村春平命」の「弟妹に遺す」が公開されているので、ここに全文を転載する。

兄ハ喜ビテ大日本帝國ノ為天皇陛下ノ御為ニ瞑ス
喜ベ、此兄ニシテ陛下ノオ役ニ立チタリ
況(ま)シテヤオ前等ハ兄以上タルベシ
心アラバ白木ノ位牌ニ一杯ノ水ヲ汲メ
生存中ハ兄トシテ弟妹ノ指導不行届ニシテ模範ヲ示シ得ズ。兄ノ志ヲ継ギ益々皇国ノ為奮闘セラレン事ヲ祈ル。
尚兄ノ分迠孝養忘ルゝ勿レ
一、大忠大孝ノ道ニ生キヨ
二、常ニ天皇陛下ト父母ヲ忘ルナ
三、常ニ健康ニ注意セヨ
四、男ハ男ラシク女ハ女ラシク
五、満平ハ皆ンナシテ可愛ガレ
六、家名再興ハ弟妹仲良ク一致シテ計レ


靖国神社:今月の社頭掲示
http://www.yasukuni.or.jp/history/will.php

吉村春平氏が何歳の時にこの文章をお書きになったのかは分からないのであるが、年端も行かない弟妹に遺したであろう文章であることを考えると、まだお若かったのではないかと思う。少なくとも今の自分よりはずっと若いはずである。

そして思う。自分にはこんな難しい内容の文章を書く技術がないのである。このような文章を書く素養が自分にはないのである。自分は自分を現代に生きる、比較的平凡なる日本人であると考えている。自分の人生の内容如何に関しては問わないが、とりあえず四十数年間生きてきたはずである。風雪には耐えてきたのである。

一方で吉村春平氏も当時の平凡なる日本人であったはずである。戦争という事態が生じなければ、故郷である山口県熊毛郡阿月村で静かな生活を営んだことであろう。

平成二十年一月から公開されている「英霊の言乃葉」のどれを読んでも、上記の感想を抱く自分である。もしも、肉筆で書かれたこれらを肉眼で見たら……。

上記の一から六を読んだ現代日本人の大半は、「右翼」だとかいうレッテルを貼ってしまって、思考停止するのであろう。特に「常ニ天皇陛下ト父母ヲ忘ルナ」などに対しては。また、「男ハ男ラシク女ハ女ラシク」という言葉を見ると、男女共同参画社会を構想している方々から批判の嵐が巻き起こることだろう。「ジェンダーフリーというモダンなるイデオロギーがあるざます」と日教組あたりから文句が来そうだ。民主党あたりからも来るだろうか。

かつて日本沈没という小説があった。どんな小説であるかまったく知らないのである。だが、日本は沈没しかかっているのではなかろうか。日本沈没とは地理的なものではなく、言葉の使い方を含めた、個々人の心のあり方が、戦前の日本人と比較して沈没していることを表しているのだ。