新大東亜戦争肯定論 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

新大東亜戦争肯定論/富岡 幸一郎

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戦後の日本人は、戦争と敗戦のトラウマもあって、生命尊重ということをあたかも絶対的な価値とみなしてきた。生命とは何か、と問うよりも先に、いのちあっての物種でやってきた。今日の「日本の大人社会」はまさにその延長である。だからこそ、人を殺してなぜ悪いのか、という少年の問いに、また一人の幼児の死に大騒ぎしながら、イラクの人々が何万人も殺戮される戦争を何ゆえに簡単に支持するのか、という高校生の問いに答えるすべがないのだ。

昨年、林房雄の「大東亜戦争肯定論」という本を読んで、強い感銘を受けた。ペリーの来航以来、100年間日本は戦争の連続であった。司馬遼太郎がいうように明治時代の日本人はよくて、それから悪くなったなどという短絡的な見方、解釈ではなく、大東亜戦争(太平洋戦争)は、林の言う100年というスケールの中で解釈しないと見えてこない部分があまりに多い。

林房雄が40年前に記した「大東亜戦争肯定論」の単純な焼き直しかと思いながら、読み進めた本書。確かに視点は林と同じ場所から見ている。が、林が肯定論を書いた時代、まだ戦争を経験した国民が多くいたため、あえて書き表さなくても良かった、書かなくても多くの人々が了解していた「もの(価値、正確には戦前まで脈々と続いた日本の伝統的価値観)」は、それから40年経った現在では、言語として書き記しておかねば消え失せてしまう危機に瀕している。それを痛切に感じている著者の焦りというものを、冒頭に引用した文章など、本文のそこここに感じてしまう。

「命あってのもの」、「命の次に大切なものはお金」という価値観もある。「そういった考え方もあるね」と、あらゆるものを相対化し続けてきた戦後ポストモダンとでも言うべきエポケー、いや無思考から脱出する答えはやはり過去、歴史の中にしか存在しないのではないだろうか? そんなことを考えさせられた一冊。

大東亜戦争肯定論

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