〜第31話~24歳の誕生日 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

 

 

​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
♡•••••••••••••••••••••••••••••••♡
わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語

 

 

目次

【目次】プロローグ〜第10話 

はコチラをクリック

 

前の話

第30話 はコチラをクリック





海の日はわたしが社会人1年生となった
1996年より始まった祝日だ


当初は7月20日と日が指定されており
わたしの誕生日が祝日になった
と喜んでいたが
ハッピーマンデー制度により
2003年からは7月の第3月曜日となった



こちらは琵琶湖

ちなみに7月1日は琵琶湖の日



 
なので
わたしの24歳の誕生日である
2001年7月20日金曜日は海の日だった


会社は休みだったが
その頃は仕事が忙しく休日出勤をした


仕事終わりで
彼氏であるS君が迎えにきてくれたので
彼の車に乗り彦根方面へ向かった


定時の17時まで働いていたので
当然お腹が空いており
どこかに食事に行くものだと思っていたのに
車は湖岸道路から1本琵琶湖寄りの道に入った
琵琶湖のすぐ横の暗い道だ…


わたし
「え?どこ行くの?お腹すいたんやけど?
 ご飯食べに行こうよ!!」

S君
「まーまーいいから」

わたし
「いやいやお腹空いたって!!」


S君は車を道の脇に停め
近くにあったベンチに腰掛けるように
わたしを促した


わたしは座ってはみたが
「え?なんなん?ご飯食べたいーーー」
とまだ言っていた(笑)


すると急に
真っ暗だった砂浜の方が明るくなり
何人かの人が居る様子…


それはS君の友達やその彼女達

当時は月単位でお誕生日会をしており
わたし以外にも7月生まれが2人居るので
3人の合同お誕生日会をサプライズで
準備してくれていたのだ!!


発電機とライトまで準備してくれた
夜の砂浜でのBBQが始まり
わたしのお腹は満たされた(笑)








そしてそれは当然訪れた
S君がわたしの前に来て
何やら手に持ちわたしに渡したのである
「結婚してください」
と言ったと思う
覚えてないんかーい(笑)









このBBQで7月生まれのお誕生日会は
S君がわたしにプロポーズするために
友人達に手伝ってほしいと頼み
みんなで企画したものだったのだ


婚約指輪を買いに行くのも
とても1人では行けないからと
近所の幼馴染についてきてもらい
一緒に買いに行ったそうだ


昔に流行った給料の3ヶ月分
なんて物ではなかったが
(どちらかというと3分の1の方に近い)
ハート型にカットされた小さなダイヤが
プラチナリングにのっている可愛い物だった



わたしは
「はい」
と言い彼はそのリングを
わたしの左薬指にはめ
わたしたちはラブラブ







友達たちは拍手喝采し
口々に
「おめでとう〜」
と祝ってくれ
花束を渡してくれた




思えば
最初の彼氏との別れは
わたしの誕生日を2人で過ごせず
彼の友人達と過ごしたことと
プレゼントをもらえなかったことに
ブチ切れたわたしから別れを伝えた


でもその数年後の誕生日には
サプライズ誕生日会からの〜
プロポーズで指輪をもらっているわたし


すごいな〜おねがい
7月20日海の日
と今これを書いていて気づく(笑)



こちらも琵琶湖 竹生島へ向かう船の上より




まさに
ドラマのようなプロポーズを決めたS君


しかし
彼の身に最大のピンチが訪れるのであった


つづく…














その翌日
わたしが
プロポーズを白紙に戻してほしい
と彼に伝えたから…


えー?
なんで???
書こうとしたら
長過ぎて文字オーバーになったので
次回にしますね