目次
前の話
1993年10月
高1の秋にバブルが弾けたらしい
らしいっていうのは当時のわたしは
あんまりわかってなかったから
田舎なのでディスコもないし
年頃的に
アッシー君やメッシー君を
実際に見ることもなかったのだから
あっそういえば
社会人と付き合ってる子は
日曜日の検定試験終わりには
車でお迎えに来てる彼氏が居て
主にスポーツカーが
何台か並ぶのを横目に
駅に向かってたなー
あとは
高3の文化祭準備時に
誰かがジュリアナ扇子を持ってきて
音楽かけて踊ってた印象くらい
リアルにそれをすることがなかったから
憧れからしていたのだろう
その96年春卒業のわたしたち
有効求人倍率を見るなら
95年だな〜と検索したら
なんとバブル崩壊後の
就職氷河期の1番底なんて書いてた
滋賀県はだいたい0.7くらい
そんな中
運良く入社したのは
大手電気関係の工場
同期で同じ事業所に配属の人数は
大卒(男子のみ)
約10名
短大卒(女子のみ)
6名
高卒
約20名
うち女子はわたしを含め5名
合計36名ほど
全社規模だともっと多いけど
200名はいなかったかなー
高卒メンバーは全員製造オペレーター
からのスタートとなり
社内の研修棟で1週間
一緒に新入社員研修を受けるので
全員の名前と顔は覚えていた
5つ上の先輩の話では
高卒同期が覚えられないくらい居た
らしいので
やはり人数は減ったようだ
会社そのものには
年度によって採用人数は異なるものの
毎年たくさんの新入社員が
入社してきたのだろう
けれど全ての職場に毎年新入社員が
配属されるわけではない
しかも男性が圧倒的に多いため
わたしはその製造係に
5年ぶりに配属された女子社員であった
同じ係には
わたしの他に2名の高卒男子
K君とk君が居た(笑)
双子ではない
ちなみに双子の兄弟がお2人共
勤務されてる方は社内に2組おられた
職場の方々は優しく
わたしが名前を覚えられないうちから
「どうや慣れたか?」
「慣れてきたか?」
などと工程が異なり
一緒に仕事をしてなくても
廊下や休憩室などで会うと
声をかけてくださった
が
わたしはこの
「慣れた?」
という質問が苦手だった
なぜなら
なかなか慣れなかったからだ
仕事にも慣れるのにも
時間がかかったとは思うが
それよりも
環境というのだろうか
言うならば
自分がここに居てもいい
と思うのに時間がかかったという感じだ
新入社員歓迎会もしてくださり
歓迎されてるのだろうけど
いつまでもよそ者の感じ
アウェイ感を
わたしが勝手に感じていた
かなりのストレスとなっていたらしく
朝食と昼食がほぼ食べられないことが
数ヶ月続いた
休日と夜は食べられるのに
出勤日の朝と昼が食べられない
その時は朝はカロリーメイト
お昼はパン1個が食べられず
残していた日もあった
後にK君は
「あの時はガリガリやったよな!」
と言っていたが
わたしには覚えがない
そんな食生活ならガリガリになるのも
当然だがなぜかそんな記憶はない…
そして
いつ、何をきっかけに
慣れていき
ご飯が食べられるようになったのかは
覚えていないが
時間をかけてゆっくり慣れていったのだろう
このことから
わたしに自分のことを
新しい環境が苦手で
慣れるのに時間がかかるタイプなのだと
強く認識するようになった