目次
前の話
高校に入ってから
夢を持っていたのだろうか…
声の仕事へのあこがれはあったが
お金がかかることはできない
と決めつけていたし
そもそも
声の仕事がしたいと
誰かに話すのは恥ずかしくてしなかった
そこまで
心を開ける相手がいなかったのだろう
高校に放送部があれば入ろうと
思っていたがなかったし
自分で作るなんて発想も行動力もなかった
夢より現実を見て
商業高校に入学したのだから
どこかの会社に普通に就職するものだと
あきらめていたのかもしれない
わたしが高校を卒業したのは1996年3月
4月からはとある大手電機メーカーの
製造オペレーターとして就職をした
高卒の就職なので
基本的には学校に来る求人の中から選び
第一希望から第十希望くらいまで書いて提出
希望者が重なる場合は
成績のいい人が選ばれる
進路指導室には先輩方の
就職試験情報の記録がある
ある日
その中に地元の結婚式場に就職された
先輩の情報を見つけた
結婚式というのは幸せいっぱいの瞬間
その場に携われる仕事があるなんて!!
とても楽しそうだなぁ〜と
わたしはとても魅力を感じた
しかし
その年には結婚式場からの
求人が来ていなかった
過去に求人が来ていて
今年来ていない企業には
先生がお伺いにいってくださる
という話だったので
お願いしてみた
けれど
就職希望先の用紙を
提出する頃になっても求人はこなかった
わたしは先生と相談し念のため
その結婚式場を第一希望に書いた
第二希望は印刷会社の事務
第三希望が電気メーカー製造オペレーター
第四希望は市場の事務
それ以下は覚えていない
結局
結婚式場の求人は来なかった
第二希望は私より成績のいい子が選ばれ
第三希望は2人の求人が来ていたこともあり
そこを受けることになった
後にこれがとてもラッキー
であったことを知る
第一希望の結婚式場は数年後には
葬儀場に変わったのだ!!
さらにわたしが見ていた情報を
書いていた先輩が
旦那さんのお姉さんのお友達
だったことが結婚後にわかり
業務内容に営業がありノルマが大変で
かなり苦労されていたと聞いた
ウエディングプランナーという職業が
いつ頃にできたのかを調べてみたら
1980年代からと出てきた
じゃああの頃にはもうあったんだな・・・
専門学校もあったのかもしれないが
先生は勧めなかったし
わたしにもそんな発想はなかった
もし専門学校の存在を知ったとしても
お金がかかるとあきらめていただろう
就職した大手電機関係の工場が
市内にあるのは知っていたが
何を作っている会社なのかは
求人票を見るまで全く知らなった
選んだ理由は
・家から近い
・お給料がよさそう
・年間休日多い
・入社試験に作文がない
↑
苦手だったから避けてた
校内選考は夏休みにあり
選考会議で決まると
それぞれの生徒へ先生から連絡がきて
就職試験は確か10月だったと思う
その就職試験が近づいてきたころ
卒業式ぶりに
中学校時代に交換日記をしていた
aちゃんから家に電話がかかってきた
aちゃんは頭がよく
市内の進学校にも行けるような
成績だったが
わたしが以前に行きたいなと思って
行くことができなかった
商業高校の情報処理科へ進学していた
電話で挨拶をした後
aちゃんは
「ねーねーようこちゃんは進学するの?
就職するの?」
ようこ
「就職だよ」
aちゃん
「どこを受けるの?」
ようこ
「え?・・・」
aちゃん
「家から近い?」
ようこ
「うん市内」
aちゃん
「何系のところ?」
わたし
「電気関係の工場」
aちゃん
「○○?」
わたし
「うん○○」
aちゃん
「わたしも!!」
わたし
「えーーー!!」
aちゃん
「試験一緒に受けに行こう」
ということで電車とバスを使い
aちゃんと一緒に
入社試験を受けに行ったのであった(笑)
男子1人、女子1人の求人が来ていた
一方女子高状態のわたしの通う高校には
女子2名の求人が来ていたが
もうひとりの子とは話した事がなかった
試験を友達と一緒に受けに行けることになり
お互いかなり安心度が増えたと思う
そして同じ会社になれるかもしれないなんて
すでに入社後の楽しみもできた
いやいやようこちゃん
aちゃんは
あなたのライバルじゃないかっ
というツッコミが聞こえてきそうだ
aちゃんの学校の方がランクが上だし
aちゃんの方が頭がいいんだから
ようこ大ピンチという場面なのだが
当時は高校から就職試験を受けに行って
不合格ということは
県内企業であればあまりなかった
たまに不合格の子もいたようだが
ほとんど聞いたことはなかった
当時、県内ならほぼほぼ合格
という事は知っていたとは思う
けれどaちゃんは合格して
わたしは不合格なんて
妄想もしたような気もする
が
その不安よりも初めての場所に
誰かと一緒に行けるというのは
とても心強かった
aちゃんになぜあの時
わたしに電話してきたの?
と先日聞いてみた(笑)
と返信が来たので
aちゃんに振り返りブログを書いてることを
説明してから返事を送ると
なんてとても嬉しい言葉をくれた
そして無事二人とも合格し
96年4月から始まった工場勤務を
わたしは2019年1月まで約23年続け
aちゃんは現在勤続26年目
なのである
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