~第25話~5年ぶりの女子新入社員 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

 

 

​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
♡•••••••••••••••••••••••••••••••♡
わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語

 

 

目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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1993年10月

高1の秋にバブルが弾けたらしい

 

らしいっていうのは当時のわたしは

あんまりわかってなかったから

 

 

田舎なのでディスコもないし

年頃的に

アッシー君やメッシー君を

実際に見ることもなかったのだから

 

 

あっそういえば

社会人と付き合ってる子は

日曜日の検定試験終わりには

車でお迎えに来てる彼氏が居て

主にスポーツカーが

何台か並ぶのを横目に

駅に向かってたなー

 

 

 

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あとは

高3の文化祭準備時に

誰かがジュリアナ扇子を持ってきて

音楽かけて踊ってた印象くらい

 

 

リアルにそれをすることがなかったから

憧れからしていたのだろう

 

 

 



 

 

 

 

その96年春卒業のわたしたち

 

 

有効求人倍率を見るなら

95年だな〜と検索したら

なんとバブル崩壊後の

就職氷河期の1番底なんて書いてた

滋賀県はだいたい0.7くらい

 

 

 

そんな中

運良く入社したのは

大手電気関係の工場

 

 

同期で同じ事業所に配属の人数は

大卒(男子のみ)

約10名

短大卒(女子のみ)

6名

高卒

約20名

うち女子はわたしを含め5名

合計36名ほど

 

 

全社規模だともっと多いけど

200名はいなかったかなー

 

 

 

高卒メンバーは全員製造オペレーター

からのスタートとなり

社内の研修棟で1週間

一緒に新入社員研修を受けるので

全員の名前と顔は覚えていた

 

 

5つ上の先輩の話では

高卒同期が覚えられないくらい居た

らしいので

やはり人数は減ったようだ

 

 

 



22歳ごろかな

 

 

 

 

 

会社そのものには

年度によって採用人数は異なるものの

毎年たくさんの新入社員が

入社してきたのだろう

 

けれど全ての職場に毎年新入社員が

配属されるわけではない

 

 

しかも男性が圧倒的に多いため

わたしはその製造係に

5年ぶりに配属された女子社員であった

 

 

同じ係には

わたしの他に2名の高卒男子

K君とk君が居た(笑)

 

 

 

 

 

双子ではない

ちなみに双子の兄弟がお2人共

勤務されてる方は社内に2組おられた

 

 

 

 

 

職場の方々は優しく

わたしが名前を覚えられないうちから

 

 

「どうや慣れたか?」

「慣れてきたか?」

 

 

などと工程が異なり

一緒に仕事をしてなくても

廊下や休憩室などで会うと 

声をかけてくださった

 

 

わたしはこの

「慣れた?」

という質問が苦手だった

 

 

なぜなら

なかなか慣れなかったからだ

 

 

仕事にも慣れるのにも

時間がかかったとは思うが

 

 

それよりも

環境というのだろうか

言うならば

自分がここに居てもいい

と思うのに時間がかかったという感じだ

 

 





新入社員歓迎会もしてくださり

歓迎されてるのだろうけど

 

いつまでもよそ者の感じ

アウェイ感を

わたしが勝手に感じていた

 

 

 

かなりのストレスとなっていたらしく

朝食と昼食がほぼ食べられないことが

数ヶ月続いた

 

 

休日と夜は食べられるのに

出勤日の朝と昼が食べられない

 

その時は朝はカロリーメイト

お昼はパン1個が食べられず

残していた日もあった

 




 

 

後にK君は

「あの時はガリガリやったよな!」

と言っていたが

わたしには覚えがない

 

そんな食生活ならガリガリになるのも

当然だがなぜかそんな記憶はない…

 

 

そして

いつ、何をきっかけに

慣れていき

ご飯が食べられるようになったのかは

覚えていないが

時間をかけてゆっくり慣れていったのだろう

 

 

このことから

わたしに自分のことを

新しい環境が苦手で

慣れるのに時間がかかるタイプなのだと

強く認識するようになった




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