目次
前の話
このようなベルトコンベアーを
想像される方がおられると思うのだが
わたしは流れ作業ラインの経験はない
最初の担当作業は
顕微鏡での製品チェックだった
学生時代に理科の授業で使った物とは異なり
照明が顕微鏡そのものについてるタイプ
で使いやすかった
その作業は酔う人もいるが
わたしは大丈夫だった
製品の違いはあるが
トータルでは
顕微鏡チェック作業に従事した
年数が1番長かったと思う
ずっと製造係所属ではあったが
製品のチェック作業、梱包、出荷、
計画作成、外国語翻訳アシスタント、
庶務、生産管理などを
していた期間が長く
モノをづくりそのものである
製品の生産や加工作業に就いたのは
トータル3年程だろう
長年同じ作業をしている方も
おられるようだったが
新製品がどんどん生まれる職場に
長年在籍していたため
いろんな仕事をさせて頂けたのは
振り返れば面白かったなと感じる
高卒製造オペレーターには珍しく
出張に行くことが何回かあったので
その話を書こうと思う
初めての出張は入社した年の冬
新製品作製に必要な
とある技術習得のため
北陸にある関係工場に
1週間出張に行くことなった
新入社員のわたしに
白羽の矢が立ったのは
他の女性社員の方は
お子さんがおられたり
ご家族の具合が悪いなどで
断っておられておられた
と知ったのは後からだったが
「出張に行ってくれないか?」
と上司に言われた時
断る理由はないし
そもそも断るなんて選択肢は
わたしの中にはなかった
けれど
未知すぎて
とても心細くて
泣きべそをかいていた
ほんとのほんとは嫌だったし
行きたくなかったと思う
もちろん
そんな重要任務に
未成年の新入社員を
一人で行かせたわけではない
一緒に出張に行った先輩は
この新製品立ち上げのために
部門内異動になった4歳年上の方だった
1週間のホテル生活
ビジネスホテルではあるが
激狭というわけでもなかった
5日間連続でホテルに泊まったのは
この時だけだな(笑)
そして
ホテルから工場へはタクシー通勤
これもこの時だけだ
所属部門の課長が出張先の課長に
お願いしてくださったようで
北陸の新鮮なお魚のおいしいお寿司を
食べに連れて行ってもらった
カウンターでお寿司を食べたのも
この時だけだな(笑)
とても美味しかったのだけど
ほぼ知らないばかりとのお食事会は
どうしたいいのかわからず
手持無沙汰に腕時計ばかり
見てしまっていたと思う
早く帰りたい深層心理が
行動に出てたな(苦笑)
ご馳走して下さった課長には
大変失礼なことをした
この課長は後に転勤してこられて
わたしの上司となった
転勤後はジュースもおごってくれない
ケチだと囁かれていたので
お寿司を奢ってもらったことがある
なんて言えなかった
入社8ヶ月でこんな経験をするのは
珍しいと思われる
この後この新製品がらみで
残業、休日出勤を労働組合に申請して
MAXまでするくらい
忙しくなっていくのであった
その次の出張は入社4年目くらいだろうか
当時担当した製品を
加工に出していた北陸の企業への出張
製造部長と技術係の男性と
3人での出張だった
わたしは製造係の現場を知る者代表
みたいなものだったが
今思えば平社員のわたしが
なんでメンバー入りしてたのか不思議だ
上司に
「出張後にレポートを出してね」
と言われ
「商業高校卒のわたしが
レポートなんて書けるわけないやん」
と困っていたら
同行した技術係の男性が帰りの特急内で
ノートパソコンを広げて
レクチャーしてくださり助かった
ちなみにこの出張の日程は
お昼前に相手先に着くようになっていた
どこかでお昼を食べてから
向かうのかと思いきや
そのまま相手先に向かった
そして相手先が用意したタクシーに乗り
相手先が予約したお店でお食事を頂いた
いわゆる接待を受けたのだ(笑)
後で知ったのだが
この部長はこの手をよく使うらしい(笑)
接待を受けたのもこれ以降ないかな(笑)
しかし部長からは
ジュースもおごってもらわなかった(笑)
3回目の出張はその2年後くらいだろうか
中部エリアの客先の下請工場への出張
メンバーは技術課長、アシスタント、
製造主任とわたし
こちらもお昼前に
相手先の最寄り駅に着いたが
相手先がお客さんという事もあり
接待をしてもらうことはなく(笑)
どこかのお店で昼食をとった
技術課長と製造主任にご馳走になった
いい方々だ(笑)
工場見学をした以外に
何をしたのか覚えていない…
4回目の出張は入社15年目の3月
33歳だからもう子どもは2人いて
上が7歳、下が3歳の時だ
北陸の関係工場へ生産管理主任、
技術係主任、担当、製造の上司
(誰か忘れたw)とわたしで向かった
そしてお昼は主任たちにごちそうに♡
こちらもいい方々(笑)
午後の打ち合わせの時だった
突然建物が大きく揺れたのだ
椅子に座ったままじっとしていたら
しばらくして揺れがおさまったが
2階に居たため
小さな揺れがしばらく続いた
たしか予定を少し巻きで終わらせて
最寄駅から特急と在来線にて帰路に着いた
ダイヤに遅れは生じていたものの
運休にはならなかったので
そんなに遅くならずに
その日のうちに帰ってこられた
当時のわたしは
スマホを持っていなかったので
帰宅してテレビを見た時に
大変驚いたことを覚えている
そんなこんなで
4回も出張に行かせてもらった
行かせてもらったなんて書いたが
当時はイレギュラーな事を
好むタイプではなかったので憂鬱だった
なんでわたしなのだ?
と思うこともあったが
これも
わたしは普通じゃないから
普通にならなきゃ!!
からの
普通じゃない状態
のパターンのような気がする(笑)