~第26話~出張のはなし | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

 

 

​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
♡•••••••••••••••••••••••••••••••♡
わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語

 

目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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前の話

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工場で製造の仕事をしていたと聞くと

このようなベルトコンベアーを

想像される方がおられると思うのだが

わたしは流れ作業ラインの経験はない

 

 

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最初の担当作業は

顕微鏡での製品チェックだった

 

学生時代に理科の授業で使った物とは異なり

照明が顕微鏡そのものについてるタイプ

で使いやすかった

 

 

その作業は酔う人もいるが

わたしは大丈夫だった

 

 

製品の違いはあるが

トータルでは

顕微鏡チェック作業に従事した

年数が1番長かったと思う

 

 

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ずっと製造係所属ではあったが

製品のチェック作業、梱包、出荷、

計画作成、外国語翻訳アシスタント、

庶務、生産管理などを

していた期間が長く


モノをづくりそのものである

製品の生産や加工作業に就いたのは

トータル3年程だろう

 

 

長年同じ作業をしている方も 

おられるようだったが

新製品がどんどん生まれる職場に

長年在籍していたため

いろんな仕事をさせて頂けたのは

振り返れば面白かったなと感じる

 

 

高卒製造オペレーターには珍しく

出張に行くことが何回かあったので

その話を書こうと思う

 

 



 

 

初めての出張は入社した年の冬

新製品作製に必要な

とある技術習得のため

北陸にある関係工場に

1週間出張に行くことなった

 

 

新入社員のわたしに

白羽の矢が立ったのは

他の女性社員の方は

お子さんがおられたり

ご家族の具合が悪いなどで

断っておられておられた

と知ったのは後からだったが

 

 

「出張に行ってくれないか?」

と上司に言われた時

 

 

断る理由はないし

そもそも断るなんて選択肢は

わたしの中にはなかった

 

 

けれど

未知すぎて

とても心細くて

泣きべそをかいていた

 

 

ほんとのほんとは嫌だったし

行きたくなかったと思う

 

 

 

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もちろん

そんな重要任務に

未成年の新入社員を

一人で行かせたわけではない

 

 

一緒に出張に行った先輩は

この新製品立ち上げのために

部門内異動になった4歳年上の方だった

 

 

 

1週間のホテル生活

ビジネスホテルではあるが

激狭というわけでもなかった

5日間連続でホテルに泊まったのは

この時だけだな(笑)

 

 

そして

ホテルから工場へはタクシー通勤

これもこの時だけだ

 

 

所属部門の課長が出張先の課長に

お願いしてくださったようで

北陸の新鮮なお魚のおいしいお寿司を

食べに連れて行ってもらった

 


カウンターでお寿司を食べたのも

この時だけだな(笑)

 

とても美味しかったのだけど

ほぼ知らないばかりとのお食事会は

どうしたいいのかわからず

手持無沙汰に腕時計ばかり

見てしまっていたと思う


早く帰りたい深層心理が

行動に出てたな(苦笑)

ご馳走して下さった課長には

大変失礼なことをした

 


この課長は後に転勤してこられて

わたしの上司となった



転勤後はジュースもおごってくれない

ケチだと囁かれていたので

お寿司を奢ってもらったことがある

なんて言えなかった

 

 

 

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入社8ヶ月でこんな経験をするのは

珍しいと思われる


 

この後この新製品がらみで

残業、休日出勤を労働組合に申請して

MAXまでするくらい

忙しくなっていくのであった

 

 

 

 

その次の出張は入社4年目くらいだろうか

当時担当した製品を

加工に出していた北陸の企業への出張


製造部長と技術係の男性と

3人での出張だった



わたしは製造係の現場を知る者代表

みたいなものだったが

今思えば平社員のわたしが 

なんでメンバー入りしてたのか不思議だ

 


上司に

「出張後にレポートを出してね」

と言われ

「商業高校卒のわたしが

 レポートなんて書けるわけないやん」

と困っていたら

同行した技術係の男性が帰りの特急内で

ノートパソコンを広げて

レクチャーしてくださり助かった

 


ちなみにこの出張の日程は

お昼前に相手先に着くようになっていた


どこかでお昼を食べてから

向かうのかと思いきや

そのまま相手先に向かった


そして相手先が用意したタクシーに乗り

相手先が予約したお店でお食事を頂いた


いわゆる接待を受けたのだ(笑)

 


後で知ったのだが

この部長はこの手をよく使うらしい(笑)

接待を受けたのもこれ以降ないかな(笑)

しかし部長からは

ジュースもおごってもらわなかった(笑)

 


 

3回目の出張はその2年後くらいだろうか

中部エリアの客先の下請工場への出張

メンバーは技術課長、アシスタント、

製造主任とわたし


こちらもお昼前に

相手先の最寄り駅に着いたが

相手先がお客さんという事もあり

接待をしてもらうことはなく(笑)

どこかのお店で昼食をとった


技術課長と製造主任にご馳走になった

いい方々だ(笑)

工場見学をした以外に

何をしたのか覚えていない…

 

 

 

4回目の出張は入社15年目の3月

33歳だからもう子どもは2人いて

上が7歳、下が3歳の時だ



北陸の関係工場へ生産管理主任、

技術係主任、担当、製造の上司

(誰か忘れたw)とわたしで向かった


そしてお昼は主任たちにごちそうに♡

こちらもいい方々(笑)



 

午後の打ち合わせの時だった

突然建物が大きく揺れたのだ

椅子に座ったままじっとしていたら

しばらくして揺れがおさまったが

2階に居たため

小さな揺れがしばらく続いた



 

たしか予定を少し巻きで終わらせて

最寄駅から特急と在来線にて帰路に着いた

ダイヤに遅れは生じていたものの

運休にはならなかったので

そんなに遅くならずに

その日のうちに帰ってこられた

 


当時のわたしは

スマホを持っていなかったので

帰宅してテレビを見た時に

大変驚いたことを覚えている


 

 




 

そんなこんなで

4回も出張に行かせてもらった


行かせてもらったなんて書いたが

当時はイレギュラーな事を

好むタイプではなかったので憂鬱だった


 

なんでわたしなのだ?

と思うこともあったが



これも

わたしは普通じゃないから

普通にならなきゃ!!

からの

普通じゃない状態

のパターンのような気がする(笑)

 

 

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