前の話
私が子どものころ好きだった遊びは
ごっこ遊び
幼稚園生ではゴレンジャーごっこ
小学生ではキャッツアイごっこ
ミポリン(中山美穂さん)ごっこ
↑
これ5年生くらいだったな
りかちゃん
バービーちゃん
↑
途中で名前がジェニーちゃんに変わった
シルバニアファミリー
そして1番遊んだんじゃないか!
と思ってるのは
お母さんごっこ(ままごと)
あれ?前話で貧乏で劣等感があった
と書いてなかった?
と思いましたか?
前の話
はい貧乏でしたが
お人形系はわりと買ってもらってました(笑)
けれど
買ってもらうための工夫はしていましたよ
りかちゃん人形を買ってもらった時を
よく覚えてるのですが
当時の最新りかちゃんは金髪でした
わたしはとにかく
りかちゃん人形を手に入れたかったので
スーパー平和堂おもちゃ売り場の
りかちゃんが並ぶ棚の中から
一番安いものを探しました
たしか1000円だったと思います
それは前の型の売れ残りでした
髪型は王道の
ダークブラウンストレートロングヘア
それを買ってほしいとおねだりしたのです
洋服、小物類もジェニーちゃんも
シルバニアファミリーも
1番安い物の中から選びます
そしていくつか選択肢がある時は
母が
「これがいいんじゃない」
「これにしといたら?」
と言うものを選ぶと
買ってもらえる率が上がるのです
100%母に従っていたわけではないですが
わりと従っていたと思います
お給料日が近づくと
お母さんの財布には
ほんとにお金がなかったけど
それは給料日直後は
財布の紐がゆるかったからでもあります
それでも「りかちゃんハウス」
は買ってもらえず
浅めのミカンの箱でした
お人形遊びも大好きだったけど
まだ人形を持っていない頃もだし
お人形を持つようになっても
お母さんごっこが好きでした
読んでくださってるあなたも
されたことがあると思いますが
何役するのが多かったですか?
わたしはほぼ毎回お母さん役でした
実はお母さん役って
一番人気がなかったと記憶してます
私の周りではお姉さん役が人気だったのです
おとなしいわたしは
自己主張ができなくて
あまりの役をしていたのかもしれませんが
わたしはお母さん役をするのが好きでした
それはやっぱり
お母さんにあこがれていたから
でもね
自分のお母さんにはあこがれてなかったです
ちっとも幸せそうじゃない
いつもしんどそうな顔
近所の人とも町内の人とも
あまり話したくない感じ
自分の母親のことも
お父さんのことも恐れている感じ
家事もできないし
晩御飯は遅いし
料理上手でもない
わたしは絵本やテレビで見た
理想的なお母さん役をしていたのだと思います
でもね同時に
いつかお母さんになりたい
とは思っていました
自分のお母さん
のようにはなりたくないけど
お母さんにはなりたい
当時なぜ
そう思っていたのかはわかりませんが
のちに感じたのは
お母さんは子どもから
めちゃくちゃ愛されてる存在だから
わたしは自分のお母さんの
つらそうな顔を見たくなくて
お母さんのようにはなりたくなかったし
わたしがいない方が
お母さんは幸せだったのではないか?
と思っていたし
愛されてるという実感がなかったし
そんなお母さんを救えない無力なわたし
に大きな×をつけたのだけど
それでもお母さんのことは大好きだったから
こんなにも子どもに愛されるお母さん
という存在になりたかったのだと思います
比べることはできないのだけど
親からの子への愛より
子から親への愛の方が大きい気すらしています
でも今これを書いて思ったのは
表現方法が違うだけなのかな?
ということです
子どもの方が愛情表現が素直でストレートだし
純粋で感受性も強い
大人はストレートに表現する人もいるけど
人生経験やら
確立されたセルフイメージやらで
素直に表現できない人が多いのかな
だからどちらが大きいとかっていう
話ではないですね
と
なぜか今回は話しかける書き方になりました
次の話