前の話
わたしは
2DK平屋の借家に
父と母と3人で暮らしていた
近所には
15軒は同じタイプの借家が並び
5軒は二階建てタイプ
その周りには一戸建ての家が立ち並んでいた
1歳7ヶ月 自宅の前の道 祖母撮影
近所には同じ年の女の子
Aちゃん、Bちゃん
ひとつ年下の女の子Cちゃん
ふたつ年下の女の子Dちゃん
がいて
幼少期は主に
Aちゃん、Bちゃんと遊んでいた
AちゃんBちゃんにはお兄ちゃんがおり
そのお兄ちゃんたちとも
一緒に遊ぶこともあった
お兄ちゃんと同世代の男の子も何人かいたし
近所の子が集まって
ドッチボールや花火をしたりしたが
全員で10人くらいだったと思う
3歳9ヶ月 幼馴染たちと 幼馴染の宅にて
わたしはそのメンバーが集まって
大勢で遊ぶのが好きではなかった
まだ学校でもしたことのなかった
小学1年生くらいの時に
多分人数合わせで呼ばれたんだろうけど
ドッチボールをしたことがあったが
ルールがよくわからなかった
当たったら外野に出る
外野から当てたら内野に戻れる
終わった時に内野に残ってる人数が
多い方が勝ち
など
きっと説明してくれたんだろうけど
当時の私には理解できなかった
上級生が多く
当然すぐに当てられてしまう
当たったのだから
外野に行かないといけないが
わたしはその意味がわからず
そのまま内野に居るわたしに
Bちゃんのお兄ちゃんが
怒鳴っていた記憶がある
その時は母も近くに居たから説明してくれて
外野に連れて行ってくれた気がするが
その場に居るのが嫌だった
1歳7ヶ月 自宅前 祖母撮影
Aちゃん、Bちゃんとは遊んでいたが
いたずらをされることもあった
あれは幼稚園に入る前だったと記憶している
空き家になってるおうちの敷地内で
3人でお母さんごっこ(おままごと)
をしていた
石や葉っぱを食べ物に見立てて
調理する真似をする
そのうち2人は
わたしの服の中に石や葉っぱを入れてきた
なんでその流れになったのかは
覚えていないが
わたしは「やめて」とは言えず
いや言ったのかもしれないが
やめえもらえず
泣いて家に帰った
母が文句を言いに行ってくれた気がするが
2人から謝ってもらった記憶はない
1歳7ヶ月 自宅前 祖母撮影
いつもいじめられたわけではないし
仲良く遊んでいた時もあったのだけど
あまり遊びたくはなかったというか
安心できる友達関係ではなかった
なぜなら
ご近所幼馴染メンバーは
Dちゃん以外は
全員持ち家の子達だったからだ
「なんでようこちゃんの家は
そんなに小さいの?」
「ようこちゃんの部屋見せてよ」
母がモノを整理できないので
家は偉い状態なので友達を入ってもらえない
それでも何回かは
家で遊んだこともあったけど
とても狭くて窮屈で恥ずかしかった
もちろんわたしの部屋はない
おばあちゃんの買ってくれた勉強机は
居間に置かれていた
1年生 祖母に買ってもらった勉強机 座布団も祖母作
Dちゃんも私と同じ平屋の借家に
住んでいたのだけど
隣町に父親の実家があり
おじいさんは大きなお屋敷に住む
地位のある人だったため
馬鹿にされてる場面を見たことはない
Dちゃんの家側 こっちの方が土地が広い
なんせ
わたしも母も
持ち家組の親子に見下されてるような
馬鹿にされてるような
そんな風に感じていたのだ
それはウチが貧しいから
小さな借家
電話も小学1年生までなくて
Aちゃんの家の番号をお借りしていた
これもかなりみじめだった
この写真は3歳ごろの
Dちゃんの電話のおもちゃで夢中に遊ぶ私
電話への憧れがあった
この服もう袖短いと思うんだけど?
当時はスリムだったので着れたけど
身長が伸びて袖が短くなってると思われる
このスカートも左2歳と右3歳で着てるけど
さすがに3歳のは短すぎ
しゃがんだらパンツ見えるよーーー
ウチは小さな借家でみんなは持ち家
お父さんが安月給だから
電話はない
シャワーもない
電子レンジもない
クーラーもない
そしで
母は自動車も自転車も乗れない
Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんは
家族ぐるみで遊びに行ったり
テニスに行ったりしてるのに
ウチは誘われないし
夫婦で出かける
家族で出かけることなんて
めったにない
父の休日の関係もあったけど
そもそも夫婦仲がよくなかったから
キティちゃんが話すプッシュフォンタイプの電話もおもちゃ
母や父の愚痴からインプットされたこと
実際に友達の話を聞いたり言われたこと
が元になり
わたしが友達の家とわたしの家を比較し
わたしが友達の両親とわたしの両親を比較し
わたしが友達とわたしを比較して感じた
みじめさ
ダメさ
劣等感
いとこの中でも
近所の中でも
友達の中でも
The一番下
普通になりたい
これもわたしの中に長年あり続けた言葉だ