~第6話~いじめられっ子 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


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わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
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わたしは

2DK平屋の借家に

父と母と3人で暮らしていた

 

 

近所には

15軒は同じタイプの借家が並び

5軒は二階建てタイプ

その周りには一戸建ての家が立ち並んでいた

 

 

 

image

1歳7ヶ月 自宅の前の道 祖母撮影

 

 

 

 

近所には同じ年の女の子

Aちゃん、Bちゃん

ひとつ年下の女の子Cちゃん

ふたつ年下の女の子Dちゃん

がいて

 

 

幼少期は主に

Aちゃん、Bちゃんと遊んでいた

 

 

AちゃんBちゃんにはお兄ちゃんがおり

そのお兄ちゃんたちとも

一緒に遊ぶこともあった

 

 

お兄ちゃんと同世代の男の子も何人かいたし

近所の子が集まって

ドッチボールや花火をしたりしたが

全員で10人くらいだったと思う

 

 

 

3歳9ヶ月 幼馴染たちと 幼馴染の宅にて

 

 

 

わたしはそのメンバーが集まって

大勢で遊ぶのが好きではなかった

 

 

まだ学校でもしたことのなかった

小学1年生くらいの時に

多分人数合わせで呼ばれたんだろうけど

ドッチボールをしたことがあったが

ルールがよくわからなかった

 

 

当たったら外野に出る

外野から当てたら内野に戻れる

終わった時に内野に残ってる人数が

多い方が勝ち

など

 

きっと説明してくれたんだろうけど

当時の私には理解できなかった

 

 

上級生が多く

当然すぐに当てられてしまう

 

当たったのだから

外野に行かないといけないが

わたしはその意味がわからず

 

そのまま内野に居るわたしに

Bちゃんのお兄ちゃんが

怒鳴っていた記憶がある

 

 

その時は母も近くに居たから説明してくれて

外野に連れて行ってくれた気がするが

その場に居るのが嫌だった

 

 

1歳7ヶ月 自宅前 祖母撮影

 

 

 

Aちゃん、Bちゃんとは遊んでいたが

いたずらをされることもあった

 


あれは幼稚園に入る前だったと記憶している

空き家になってるおうちの敷地内で

3人でお母さんごっこ(おままごと)

をしていた


 

石や葉っぱを食べ物に見立てて

調理する真似をする


 

そのうち2人は

わたしの服の中に石や葉っぱを入れてきた


 

なんでその流れになったのかは

覚えていないが


わたしは「やめて」とは言えず

いや言ったのかもしれないが

やめえもらえず

泣いて家に帰った


 

母が文句を言いに行ってくれた気がするが

2人から謝ってもらった記憶はない

 

 

 

1歳7ヶ月 自宅前 祖母撮影

 

 

 

いつもいじめられたわけではないし

仲良く遊んでいた時もあったのだけど

あまり遊びたくはなかったというか

安心できる友達関係ではなかった

 


 

なぜなら

ご近所幼馴染メンバーは

Dちゃん以外は

全員持ち家の子達だったからだ

 

 



「なんでようこちゃんの家は

 そんなに小さいの?」

 

「ようこちゃんの部屋見せてよ」

 

 

母がモノを整理できないので

家は偉い状態なので友達を入ってもらえない

 

 

それでも何回かは

家で遊んだこともあったけど

とても狭くて窮屈で恥ずかしかった

 

 


もちろんわたしの部屋はない

おばあちゃんの買ってくれた勉強机は

居間に置かれていた

 


 

1年生 祖母に買ってもらった勉強机 座布団も祖母作

 

 

 

Dちゃんも私と同じ平屋の借家に

住んでいたのだけど

隣町に父親の実家があり

おじいさんは大きなお屋敷に住む

地位のある人だったため

馬鹿にされてる場面を見たことはない

 

 

 

 

Dちゃんの家側 こっちの方が土地が広い

 

 

 

なんせ

わたしも母も

持ち家組の親子に見下されてるような

馬鹿にされてるような

そんな風に感じていたのだ

 

 

それはウチが貧しいから


小さな借家

電話も小学1年生までなくて

Aちゃんの家の番号をお借りしていた

これもかなりみじめだった

 

 

 

 

 

この写真は3歳ごろの

Dちゃんの電話のおもちゃで夢中に遊ぶ私

電話への憧れがあった

 

 

この服もう袖短いと思うんだけど?
当時はスリムだったので着れたけど

身長が伸びて袖が短くなってると思われる

 

 

 

このスカートも左2歳と右3歳で着てるけど

さすがに3歳のは短すぎ

しゃがんだらパンツ見えるよーーー

 

 

 

 

ウチは小さな借家でみんなは持ち家

お父さんが安月給だから

電話はない

シャワーもない

電子レンジもない

クーラーもない


そしで

母は自動車も自転車も乗れない


 


Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんは

家族ぐるみで遊びに行ったり

テニスに行ったりしてるのに

ウチは誘われないし

夫婦で出かける

家族で出かけることなんて 

めったにない

 


父の休日の関係もあったけど

そもそも夫婦仲がよくなかったから

 

 

 

キティちゃんが話すプッシュフォンタイプの電話もおもちゃ

 

 

 

母や父の愚痴からインプットされたこと

実際に友達の話を聞いたり言われたこと

が元になり

 

わたしが友達の家とわたしの家を比較し

わたしが友達の両親とわたしの両親を比較し

わたしが友達とわたしを比較して感じた


 

みじめさ

ダメさ

劣等感

 

 

いとこの中でも

近所の中でも

友達の中でも

The一番下

 

 

普通になりたい

 

 

これもわたしの中に長年あり続けた言葉だ

 

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