多田神社(清和源氏発祥の地として有名な神社) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

本日、土曜日は、

シニアバレーボール🏐

 

早めに切り上げて

野球ラジオ聞きながら入浴温泉

 

8回裏のヤクルトの攻撃ドンッ

危なかった注意

 

9回、岩崎が抑えてマジック17チョキ

「A・R・E」に一歩前進ウインク

 
 
 

28日(月)

ナイフとフォーク美味しいピッツァを

探して食べ歩き。

 
 の、続きです。
 
その後は、近くの川西市にある
ブログで見かけた神社に参拝。
(誰のブログか判らなくなりました)
 
神社の周りの道が狭くて
軽四で来て正解でした。
 
駐車場に車を止めて
一旦橋を渡って、一之鳥居から
改めて入ります。
 
赤い欄干が奇麗です
 
 
川の岩場が凄いです。
 
 
元々は天台宗の寺院として
建立されましたが、

明治4年の
神仏分離令により仏舎が廃され
「多田神社」となりました。
HPより

 

 

 
多田神社
 
多田神社は天禄元年(970)年に創建、
元多田院とも多田大権現社とも
言われる
清和源氏発祥の地として有名な神社。
 
清和源氏は繁栄を重ね、
鎌倉・室町・江戸時代と700年余りにわたる
武家社会の担い手となり、
武運長久の勅願社として、
 
また家運隆昌・勝運・厄除の
守護神として信仰を集めている神社。
 
 
 
 
 
石段を上がると
 
多田院のもとの仁王門であり、
両脇に仁王像があった。
 
南大門
 
 
明治4年神仏分離の折、
仁王像は満願寺山門に移転され、
安置されている。
 
扁額は「多田大権現」
 
 
二の鳥居
 
手水舎
 
 
授与所
不覚にも
御朱印帳を忘れて来ましたショボーン
 
 
社務所
 
 
 
随神門(国指定重要文化財)
 
徳川四代将軍家綱公により再興。
 
両脇に築地塀が付き、
三楝造と呼ばれる伝統的な手法により
建てられた八脚門。
 
・豊岩間戸尊
・櫛岩間戸尊
二体の随神像が安置。
 
 
 
徳川四代将軍家綱公により再興。
桁行7間、梁間3間の
大規模な入母屋造、
檜皮葺屋根の構造物。
 
拝殿(国指定重要文化財)
 
 
両脇の狛犬さん
 
 
 
提灯には
神社の家紋「笹竜胆」
(ささりんどう)
と、徳川家の家紋「葵」
 
 
賽銭箱にも「葵」の御紋
社殿の屋根など
彼方此方に「葵」の御紋が
 
御祭神は、
第56代清和天皇の曾孫
■源満仲公

■源頼光
■源頼信
■源頼義
■源義家
五公をお祀りしています。
 
拝殿奥には
御本殿(国指定重要文化財)
 
御本殿(国指定重要文化財)
徳川四代将軍家綱公により
寛文七年(1667)創建。
 
授与所の奥にある
宝物殿
源家の宝刀、鬼切丸をはじめ
徳川四代将軍家綱公着用の甲冑、
刀剣、書画、古文書(重文)等
を数千点所蔵
 
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水戸黄門 御手植の銀杏
 
 
多田神社の境内には
田尻稲荷神社
 
 
 
御祭神は、
宇迦之御魂命

 
旧多田荘の田尻より移築され、
社殿は、一間社流造。
 
厳島神社(県指定重要文化財)
 
御祭神は、市杵嶋姫命
旧多田院では、「弁財天女」とも呼ばれ
古くより厚い信仰を集めています。

一間社造りの社殿は
室町後期に再建されたもの。
 
 
六所宮(県指定重要文化財)
 
 
 
旧多田院の鎮守社として、
また多田荘72ケ村の総社として
鎌倉期に創建された神社です。
 
 
伊勢、賀茂、稲荷、春日、住吉、熊野
の神々を祀っています。
 
 
現在の社殿は室町後期に
再建された三間社造りで建築様式。
 
組物、蓑束、懸魚等の
細部手法は非常に貴重であります。
 
 
西門
徳川四代将軍家綱公による
再興にて造営、
 
全体的に木柄が太く、
主柱の架構が鳥居様式であり、
控え柱上の屋根妻が正面に見えているのは、
高麗門としては珍しい扱いである。
 
江戸時代の遺構としては
重要な建築物とされている。
 
 
東門も同様の造りです。
駐車場の関係で
東門には行きませんでした。
 
また改めて参拝したい神社です。