石清水八幡宮(京都の「裏鬼門」を守護する神社) | 尚吾の「人生七転び八起き」

尚吾の「人生七転び八起き」

座右の銘「人生七転び八起き」の如く、日々のさまざまな出来事を書き込んでいきます。

バレーボールと体の鍛錬、休日は、秘仏拝観、社寺仏閣巡りを楽しみ、美味しいお店に出没しています。(*^_^*)

今週(20日)は滋賀県に

右矢印石山寺 御開帳

右矢印皿そば 渚庵  

ランチの後は、今年のテーマ「天皇陵巡り & 神宮巡り」の為に京都市内に!
右矢印白峰神宮
右矢印京都大神宮



時計午後3:30、時間がギリギリですが以前から行きたかった神社が有るのでこの機会に参拝する事に!八幡市に向かいます。

 【石清水八幡宮

 日本三大八幡宮の一社であり、伊勢神宮に次ぐ国家第二の宗廟。現存する八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模です。


時間が無いので車で参上まで上がり、三ノ鳥居 から参拝に。


三ノ鳥居から本殿への石敷の参道は「馬場先」と呼ばれる。

その参道の三ノ鳥居付近中央に「一ッ石」と呼ばれている自然石があります。この石が走馬・競馬の出発点となっていて、かつて南総門下にあった「五ッ石」が終点だったことが名の由来。




石敷の参道は「馬場先」と呼ばれています。両側には石灯篭が並んでいます。





手水舎


南総門






859年(貞観元年)、豊前国の宇佐神宮(現:大分県)に籠もった南都大安寺の僧・行教が、「吾れは都の近くの男山に移座して国家を鎮護したい」という八幡神のお告げを受けて勧請したのがそのはじまり。

京都の「裏鬼門」を守護する神社として朝廷・公家・武家の尊崇を集め、とくに源氏は氏神として信仰し、源義家は石清水八幡宮で元服して「八幡太郎義家」を名乗った。


南総門から本社の社殿を見ると少し西側を向いています、参拝して帰る際に、八幡大神様に対して真正面に背を向けないようにするためといわれています。

 


楼門 を正面から、美しい建築物です。ラブラブ


 


859年(貞観元年)、清和天皇の勅命により木工寮権允・橘良基が六宇の宝殿を完成。 


社殿は、内殿と外殿からなる「八幡造り」と呼ばれる建築様式で、本殿・幣殿・舞殿・楼門は、廻廊で囲まれている。


前後二棟(内殿・外殿)からなる八幡造りの社殿建築様式は稀少であり、本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、幣殿、舞殿、楼門、東門、西門、廻廊3棟、棟札三枚等、本社の社殿群が


2016年(平成28年)2月9日。国宝に指定されました。


造営14度・修理17度におよび、現在の社殿は寛永11(1634)年、徳川三代将軍家光公の修造によるもの。


桧皮葺屋根の軒が接するところに織田信長公寄進の「黄金の樋」が架けられています。



御祭神


中御前、応神天皇(おうじんてんのう)(第15代) 〔誉田別尊(ほんだわけのみこと〕


西御前、比咩大神(ひめおおかみ)〔多紀理毘賣命(たぎりびめのみこと)


東御前、神功皇后(じんぐうこうごう)〔息長帯比賣命(おきながたらしひめのみこと)〕


料金大人1000円で本殿拝観があります。1日2回11時~、14時~解説付き。(写真撮影は禁止)


回廊で囲まれた社殿の建造物全てが丹漆塗で、随所に極彩色彫刻が施されています。本殿内部の彫刻などを見る事が出来ます。 (次回はじっくりと説明を聞きたいです)





御本社の周りを散策します。


東門】 国宝



気比社 (左)と水若宮社 共に重要文化財


若宮殿社




 

祭神:応神天皇の皇女




若宮社】  






祭神:仁徳天皇。



社殿は重要文化財。




鬼門封じの石垣


牛の角を持ち、虎の皮を身にまとった鬼が来るといわれる丑寅の方角「鬼門」(東北)を封じるために、社殿東北の石垣は切り取った造りとなっている。






住吉社 (左、重要文化財) と 【一童社




西総門  社殿を取り囲む築地塀は、通称「信長塀」と呼ばれ、織田信長公が好んで採用した様式といわれています。


西門】 国宝








ぐるりと一周回ってきました!何処を見ても素晴らしい音譜


授与所で御朱印をいただきました。






申告したら、八が鳩になっている御朱印もいただけるようです。


南総門をくぐり・・・外に!




展望台が気になったので行ってみる事に!



 

途中、「伊勢神宮遥拝所」が有りました。


京都随随一の絶景ポイント音譜 楽しみです。








くもり曇り空で遠くが霞んでいます、チョット残念。






石敷の参道「馬場先」に戻りました。三の鳥居まで行かずに途中で駐車場に。


駐車場横にある


エジソン記念碑



偉大な発明王エジソンは最初の白熱電球を発明しました。木綿糸を炭化させたものをフィラメントに使用したその電球は40時間も輝き続けました。40時間という時間は、当時としては画期的なくらい長い時間でしたがその材料がこの地の丈が最適だったと言う事から大きな役目を果たしました。






帰る途中に麓にある石票と一の鳥居の前まで来ました。


時間が有ればここから石段を登り(20分)参拝したかったです。


表参道入口に立つ、石清水八幡宮の山麓の顔「一ノ鳥居」は、高さ約9m、最大幅約11mの花崗岩製。最初は木製でしたが、寛永13(1636)年に松花堂昭乗(1548~1639)の発案により石鳥居に造り替えられました。



紺地に金文字で「八幡宮」と書かれた額は、元は、一条天皇(980~1011)の勅額で、長徳年間(995~999)に小野道風・藤原佐理とともに平安の三蹟と称えられる藤原行成(972~1027)が天皇の勅を奉じて筆を執ったものでしたが、


現在の額は寛永の三筆と称された松花堂昭乗が元和5(1619)年、行成筆跡の通りに書写したものです。

特に「八」の字は、八幡大神様の神使である鳩が一対向かい合い顔だけを外に向けた独特のデザインとなっています。


もう一度ゆっくりとお詣りしたい神社です。



石清水八幡宮右矢印HP

住所 八幡市八幡高坊30 

電話 075-981-3001