6月3日、早朝より西国三十三カ所巡り、2日目です。普段の拝観と違い少し早く
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泉涌寺塔頭 新那智山 今熊野観音寺 (西国三十三カ所 第十五番札所))
赤い橋「鳥居橋(とりいばし)」。観音寺と泉涌寺の間の谷を流れる川を今熊野川といいますが、その川を越えるのが鳥居橋です。古くからこの地には熊野権現社が鎮まっていたので、橋の名前の由来となったとも言われております。 (HPより)
過去の訪問記事、全て七福神巡りです!
2014年
2015年
2016年、
今回はすぐ側まで車で来ました。歩いて来るのと全然景色が違う!
本堂、正徳2年(1712)には、宗恕祖元律師によって建立。朝早いので貸切です。
過去4回訪問しましたが、本堂と恵比寿様のお詣りのみ、今日は多宝塔まで拝観に行きますよ~
本尊は、弘法大師御作と伝えられる「十一面観世音菩薩」(身丈・一尺八寸)
体内仏として熊野権現より授かった、天照大神の御作の十一面観世音菩薩(身丈・一寸八分)が祀られいます。本尊は秘仏とされていて直接拝むことはできません。しかし代わりに同じお姿をされた御前立さまが立たれています。脇仏は、智証大師円珍作と伝えられる不動明王と、運慶作と伝えられる毘沙門天です。 (文章、写真はWebより引用)
結縁綱をしっかり握り祈願!
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御朱印をいただき多宝塔に向かいます。鐘楼の横を通ります。
梵鐘の鋳造は古いのですが、太平洋戦争のときに供出されました。しかし観音様のご加護によって元のままの姿で残されており、不思議なえにしにより現在の位置にもどりました。昭和21年10月13日の修理された日付が入っています。
参上の医聖堂に到るまでの参道に、西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏として奉安し、皆様に巡拝して戴けるよう祭祀されたものが「今熊野西国霊場」です。第一番より、山上の第三十三番まで続いています。
【医聖堂】
平安様式の「多宝塔」、医と宗教がともに手をたずさえて、人類がともに明るく健康に暮らせるような社会が築かれますよう、と住職の願いを込めて建立致しました。この「医聖堂」には医界に貢献された多くの方々が祭祀されています。
平成28年、丹塗りの塗り替えが施され、33年ぶりに鮮やかな朱色が蘇りました。(HP引用)
西国三十三ヶ所霊場の各御本尊を石仏様、奥まで続いていました!。
【医聖堂】
「熊野権現社」です。
平安の昔、弘法大師空海上人が唐の国から帰国されてほどなくの頃、山中の光明にひかれてこの地に来られ、そこで熊野権現と会われました。大師に一寸八分の観世音を授けられ、また永くこの地の守護神になると約されたと伝えられています。
苔がいい感じに広がっています 約30分の参拝
人生3回目の御朱印をいただきました!日付けを間違われたのはご愛嬌で (^^ゞ 「大悲閣」
新那智山 今熊野観音寺 (西国三十三カ所 第十五番札所) HP
住所 京都市東山区泉涌寺山内町32
電話 075-561-5511
拝観 8:00〜17:00