三木城址 (三木市上の丸町) | 尚吾の「人生七転び八起き」

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播磨の地が舞台。NHK大河ドラマ 「軍師官兵衛」ゆかりの地散策。 第6弾
前回、 に引き続き、地元三木。



過去のアメーバ記事

① 兵主神社

② 極楽寺 「太閤の腰掛石」

③ 「荘厳寺」

④ 「姥が懐」 軍師官兵衛 生誕の地

志方城跡 「観音寺」

御着城跡 & 黒田家廟所

竹中半兵衛の墓

三木平井山 秀吉本陣跡



「三木城址」、地元中の地元・・・町内です。子どもの頃から遊んでいた場所。 

今回の大河ドラマでは、三木城の登場シーンが多く嬉しい限りです。



美嚢川の対岸から見た「三木城址」



石垣などは残っていませんが、「別所長治公400年を記念して造られたコンクリートの塀」

いつ頃でしょう~?小学校低学年の頃だと・・・記憶が。





5月3日の「別所公春祭り」では、「別所長冶 一族会 」によって「為諸人」の昇りが立てられます。



三木城本丸跡





10年前に、三木ライオンズクラブにより石像が建てられました。  



石段を上がると




三木城主 「別所長冶」 辞世の句。 の石碑があります。







別所長冶 辞世の句


「今はただ 恨みもあらず 諸人の 命に代わる 我が身と思えば」

(訳:今となっては誰を恨むこともない。私の命が城兵たちの命の身代わりになると思えば。)



妻 照子姫 辞世の句


「もろともに消え果つるこそ嬉しけれ おくれ先立つならいなる世を」

(訳:あなたと一緒にあの世に逝けることが私には何より嬉しいのです。普通なら夫婦のどちらかが死に別れなければならない世の中なのに。)


別所長冶、23歳。妻 照子、21歳。  

若くして兄弟、子ども共々一族自害とは何と悲惨な最期でしょう!美男美女の夫婦と伝えられています。



以前は、赤四角の場所にありましたが、阪神淡路大震災を機に石碑が倒れて落ちたら下にある民家が危険という事で、横に場所が移されました。




その前には、別所一族の辞世の句の石碑。   石碑は、昭和17年 在郷軍人会により




妻や弟の別所友之ら一族も自刃。彼らの辞世の句もそれぞれ残されています。


長治・室の辞世
諸共(に) 消え果つるこ(そ)うれし(けれ) 後(れ)先立(つ)習い(な)る世に

友之・室の辞世
頼めこし 後(の世)までのつ(ばさを)も 並ふるほど(の)契りなりけ(り)

吉親・室の辞世
後の世乃 道も迷はじ思い子(を) 伴れて出でぬる行末の空

家老・三宅肥前の辞世
君なく(ば) 浮身の命何(かせ)ん 残りて甲斐(の)ある(與)なりとも

「後の世乃 道も迷はじ思い子を 伴れて出でぬる行末の空」





城跡後にある 「かんかん井戸」  井戸の中に抜け道があると伝えられいます。


昔、何度石を投げ込んだ事でしょう。 カンカ~ンと音がするからかんかん井戸とか?


子どもの頃は、「肝試し」に網の上を歩いたりしました。 深さは25m。覗くと底は見えます。




ドラマの影響で、連日多くの人が訪問されています。




後日、写真を撮りに行ったら

今年1月より、ボランティアで「三木合戦の解説」をしていらっしゃる方にお出会いしました。


次々に訪れる方々と一緒に1時間ほどお話を伺いました。

メチャクチャ詳しく、面白く、解説して頂けます。


土日を中心に、ご本人の暇な時間帯に常駐しているとの事で、いつでも出会えるとは限らないのですが・・・。 


またその時代の歴史にも大変詳しいので、見つけられたら是非話を聞いて下さい。




三木城址からの眺め、旧三木市内が一望です。




三木城址には、稲荷神社があります。 ココも子供の頃からの遊び場のひとつ。


天正4年頃(1576)、城主の別所長冶が三木城の守り神として建立したと言われています。

拝殿前には三木合戦図、三木城復元図が上げられています。


昭和33年に奉納。


当時の三木城は、天守閣などは無かった砦城とされています。

復元図は結構立派ですね。




余談

稲荷神社境内には、珍しい大木が3本あります。

カヤ (イチイ科)、幹回り3.15m、樹高19m


ケヤキ (ニレ科) 幹回り3.4m、樹高20m


クヌギ (ブナ科) 幹回り3m、樹高20m  クヌギは珍しく兵庫県下1とか?


3種の大木が一度に見られる場所としては結構珍しいらしい、という事です。


樹齢約400年。三木合戦、戦国時代を見て来た大木でしょうか?



子どもの頃から今も毎日見ている風景、毎日通っている道。

三木に限らず、城跡周辺に住んでいるという事は、昔多くの方が亡くなった合戦跡に住んでいるという事。

少し考えさせられるこの頃です。