フィルムコンパクトカメラ、コンタックスTVS。
1993年発売のこのカメラは、自分にとって今日のロシア女子フィギュアスケートのワリエワ選手と同意語だった。
「絶望」だ。
なんたって定価17万円だ。こんなコンパクトカメラは高価すぎて自分には生涯買えないと発売当時思ったからだ。
コンパクトフィルムカメラ史上最高額のカメラだ。高額カメラの代名詞ライカのCMズームもかなわない。
同じコンタックスの一眼レフRTSⅢは定価35万円とこれもフィルムカメラ史上最高額だったが、RTSⅢは実売で値段が結構落ちていた。最終的には新品が17万5千円と半額で販売する店もあった。それでも高い。
1993年はバブルがはじけて数年たっていたのに京セラはなぜこんな高価なカメラを発売したのだろうか。
1990年に発売されたコンタックスT2は、12万円という価格にもかかわらず大ヒットカメラとなり高級コンパクトカメラとしての地位を初めて確立した(初号機のTはそれほど人気が出なかった)。当時大ヒットした映画ターミネーター2の主演俳優アーノルド・シュワルツェネッガーが、映画の略称T2と同じこのカメラを所有していたり、このカメラを使う写真家も多かった。T2の販売は1997年まで続いた。T2の成功に刺激され、ライカはミニルックス、ニコンは35Tiと28Ti、ミノルタはTC-1と発売した。
TVSは、単焦点レンズのゾナー38ミリF2.8搭載のT2の成功を経て、描写力を落とすことなくズームレンズ搭載の高級コンパクトカメラ登場の要望に応えたものだ。
T2が12万円、このTVSが17万円の新品価格からもわかるように、TVSはT2の上位機種という位置づけだった。京セラが発行した「ONLY ZEISSⅡ」ではT2の前に紹介されている。
気になる描写はどうだろうか。
搭載レンズは、ズームレンズであるバリオゾナー28-56ミリF3.5-6.5を搭載している。
ガラス製の非球面レンズを三枚使用している。型に流し込んだプラスチック製ではない。コストがかかっているのである。
そしてほぼ真円を保つ絞り設計なので、レンズの開放F値が暗くて実用上難しいものの工夫によりボケを活かすこともできる。光源も円く、画は優しく写る。
以前使っていたフジフイルムのティアラズームも同じズーム域の28-56ミリだった。今はなきアサヒカメラのニューフェイス診断室で、ティアラズームはTVSのバリオゾナーレンズに勝るとも劣らないとの評価を得ていた。
確かにティアラズームの写りは素晴らしく、トリミングしたうえで四つ切サイズにしても画が破綻することは全くなかったほどのすごさだった。しかし、ボケはTVSの方が優れていると思う。ティアラズームは和色というか、日本古来の色というか中間色の再現に優れていて、バリオゾナーははっきりした色の再現に優れている印象を持った。TVSのこってり系に比べてティアラズームはあっさり系だ。ティアラズームはプログラム露出モードしかないので自分でコントロールできる範囲がTVSより限られる。絞りも円形絞りではないのでボケが今一つで点光源の撮影には注意が必要だ。
このTVSで写る世界も大きく引き伸ばしても破綻することはない。TVSのカタログ冒頭と半ばで見開き(A3サイズに近い)で作例が掲載されているが、写りの良さがわかる。釣竿を持っている年配の男性の作例は雰囲気が良く出ていると思う。
数値上の性能だけではなく、数値に現れない実際の描写は他のカールツァイスレンズ同様、暗部がつぶれない。晴天のときなど光量が十分あるときはどのメーカーのレンズも良く写る。しかし曇りや暗い時など悪い条件でツァイスレンズはその性能を発揮する。このTVSのレンズもその特徴を受け継いでいる。カールツァイスレンズが「写真はレンズで決まる」と言うのはだてではない。
フィルム時代の印象として、日本のカメラメーカーの安いレンズは高いレンズに比べて劣るという印象があった。しかしツァイスにはそのような印象を持たなかった。それよりもレンズの個性(プラナーとゾナー)の違いの方が大きかった。今ではもうやってはいないが、当時のツァイスレンズはすべて検品されたうえで販売されていた。
ネットでは、このレンズの描写は単焦点に劣るとするものが多いが、自分はそれほど劣るとは思わない(T3には負けるかもしれないが)。実際、アサヒカメラのニューフェイス診断室では、開放での画面中心解像力では単焦点レンズのT2より良かったと記憶している。カメラ誌のある年のカメラ年末特集では、描写性・再現性の良さには一眼レフを超えるものがあるとのコメントがあった。ちなみに、ニューフェイス診断室の評価から、TVSⅢよりもレンズ性能は高い印象を持った。
TVSのカタログではレンズについて、「この描写力は、まさにロケのメインカメラたり得る能力と言っても、決して過言ではないでしょう。」と記載しているのでかなりの自信が窺える。
ミノルタのTC-1と比べてみよう。TC-1は単焦点の28ミリレンズでレンズの開放値はF3.5だ。TVSの広角側28ミリでの開放F値は同じ3.5だ。自分はミノルタレンズの描写がどうしても必要というわけではないので、同じF値なら自分はズームを使えるTVSを迷わず選ぶ。単焦点レンズの一番の魅力はレンズの明るさなので、TC-1はその点で他の単焦点コンパクトカメラと比べて自分にとって魅力は少なくなる。ただし、絞り羽根を使わないものの真円の円形絞りであるのでボケはきれいだろう。
使い勝手はどうだろうか。
TVSはT2同様チタンボディだ。触れたときのひんやりとした感触が心地よい。高級感は半端なく、廉価な中古価格と相まって所有満足度はかなり高く感じる。
チタンボディのカメラが市場に出回るようになったのは東西冷戦が終結したからだ。米ソが兵器用に持っていたチタンを放出したからだ。
TVSを使っていると触れたときの感じが優しい。全体的に平面で構成され角になる部分が斜めで、出っ張りがレンズ部分以外はない。ごつごつした感触がないのでどこかしら穏やかになる。数値には表れないが、これは五感に訴えるものがあると思う。
また、底カバーのネジ部分が一段高くなっている。そのおかげで底カバーが直接地面に触れることがなく傷がつかない配慮がなされているのは、一眼レフのRTSⅡと同じ(RTSはどうだったか覚えていない)で、良いモノを使っている実感がしてうれしい。
TVSはズームをするときはスイッチを兼ねたレバーを操作するのでマニュアルっぽくて楽しい。ボタンで操作するモーター駆動より撮っている実感が沸く。ちなみに、焦点距離を知るには、シャッターボタンを半押したままでズームリングを動かすとフィルムカウンター液晶に表示される。
AFはT2と違い、一眼レフと同じパッシブ方式なので特に遠景の撮影に不安がない。また、ガラス越しの撮影でもピントが合う。T2より信頼性が高いと思う。T2の対応策としてガラスにレンズをぴったりつけるとピントが合うのではないかと思うが。
あまり知られていないのが、TVSには二種類のフォーカシング方式があることだ。シャッターボタンを押し切ったときにフォーカシングする方式と、シャッターボタンを半押したときにフォーカシングする方式だ。前者だと後者に比べてタイムラグが長いので、少しでもシャッターチャンスを逃したくないなら後者に変更した方がいい。ただし、フォーカシングする音が比較的大きいので、フォーカシングだけの音をシャッターが切れたと勘違いしてしまうかもしれない。
変更の方法だが、電源を入れてフラッシュ発光ボタンを押しながらセルフタイマーボタンを動かすとモードが変わる。前者は0、後者は1で表示される。
混乱しやすいのは、この操作を行うとフラッシュ発光モードが変わってしまうことだ。自分の場合は常時フラッシュ発光OFFにしていたのに、この操作後に発光モードが変わってしまったのでなぜだかわからずOFFモードに直すのに苦労した(OFFモードの一つ前の発光モードにしてからフォーカシングモードを変更したら発光モードはOFFモードになった)。
T2がTVSにかなわないのは近接撮影だ。T2の最短撮影距離が70センチに対してズームレンズを搭載しているにもかかわらずTVSは50センチ。実際の撮影でこの差は大きい。一眼レフの標準レンズ50ミリの多くが最短撮影距離が45センチであることを考慮すると、TVSの方が「寄れる」のである。TVS購入以前はTProofを使っていたが、最短撮影距離が35センチだったのでかなり寄れて使い勝手がよかった。そのため当時T2の中古価格が4万円と格安だったにもかかわらず、T2を買おうと思わなかった。ただし、近接撮影ではファインダー視野率がかなり下がるので注意が必要だ。
ファインダー表示は透過式液晶を使用していて、ズーミングに合わせて変化する実像式である。パララックスの正確な自動補正をしてくれる。しかし、このファインダーが今一つの出来で、ファインダーを覗いたときに色ムラがでて被写体がみにくい。変な色がついてみえるのだ。ペンタプリズムを採用し、アルミ蒸着ではなく銀蒸着を施してコストをかけているのだがもったいない。ここにもガラス製非球面レンズが使われている。後継機のTVSⅡでは一般的な実像式ファインダーになっているのが両機の最大の違いで、パララックス補正は補正マークによる簡便な方式であるものの、ファインダーの明るさは3倍になったという。ファインダーが見やすくなったためTVSⅡの方が人気が高い。
ファインダーにはキズがつきにくい人工サファイアを採用したサファイアガラスを使っている。シャッターボタンも人工サファイア製だ。フィルム圧版もセラミックを採用し、まさに京セラのお家芸である。京セラの技術を惜しみなく投入しているのに残念である。
一眼レフでいつも気になるファインダー視野率はTVSでは83%だ。下位機種のTズームの80%よりは良いが、17万円のカメラにしては残念に思ってしまう。
後継機であるTVSⅡはTVSをコストダウンしたものだ。ファインダーの色ムラはなくなった。レンズ収納もレンズキャップ式からバリア式に変わり、ズームもズームリングを回転させる方式に変わった。使い勝手はTVSⅡの方が良い。定価も17万円から15万円と安くなった。しかし中古価格はTVSⅡの方が高い。
レンズがボディ内に収納されるT2と違い、TVSは完全に収納されないのでフィルターとレンズフードをつけることができて便利だ。
露出モードもプログラムと絞り優先AEがあり、露出補正もできるので自分の意図を反映できる。
ありがたい!と思うのは、ストロボ機能をOFFにしてしまえば、電源を切ってまた電源を入れてもストロボ機能はOFFのままであることだ。入門価格帯のコンパクトカメラは、一枚撮影するたびにストロボ機能OFFが解除されてしまうものが多く、いちいちOFFにするのは使っていて本当に嫌になる。時間が経てばカメラは自動的に電源が切れてしまうので、カメラの電源を入れればストロボ機能をOFFにしなければならない。それから解放されただけでも気が楽になり撮影に集中できる。
時代を感じさせるのがパノラマモードの切り替えスイッチだ。TVSⅡでは廃止された。
ただ一つ惜しいのはその重さだ。電池抜きで375グラムはコンパクトカメラとしては重い。同じ京セラが作ったTズームの2倍近い重さは何とかならなかったのだろうか。少しでも機材を軽くしたいと思うときは、TVSよりもTズームに手が伸びてしまう。それともTVSをもっていくぐらいならいっそのことヤシカコンタックスマウントの一眼レフを持っていこうという気になってしまう。
オーディオの世界では機器は重い方が良いということがよく言われるが、TVSもカメラとしてはずっしりと重いので高級感を感じさせてくれるのだが。
17万円の新品価格だったTVSが今では中古で安くて3万5千円ほどだ。定価4万3千円だったTズームの中古が4万5千円ほどであることを考えると絶対的にお得だ。重さを気にしないならTVSの方が絶対おすすめだ。かけられたコストが違うのだ。
先ほどツァイスレンズは描写の違いだとは書いたが、新品価格17万円と4万3千円のカメラのレンズが同じわけがない。Tズームも京セラが本格的な写真を楽しめるカメラと記すほどのカメラであることに間違いないが、レンズの密度感はやはりTVSの方が優れていると思う。中古価格が安いTVSをさしおいて高いTズームを買うのはわざわざ損をするようなものだと思うのだ。
レンズだけでなく造りも違う。特にボケに影響する絞り羽根の構造。TVSが円形絞りなのに対して、Tズームはコストダウンのためか簡易な造りで、フラッシュ使用時など場合によっては「マンボウ」形と言われる変な形がでてきてびっくりする。場合によってはせっかく撮った写真が作品として使えなくなるので注意が必要だ。
ただし、Tズームはファインダー視度調整ができリモコンもついている。
ちなみに、TVSの三枚の非球面レンズはガラス製(他に説明がないので研削だと思われる)に対してTズームの二枚の非球面レンズはガラスモールド製だ。生産技術が高まったからガラスモールドで生産できるようになったのは間違いない。昔フジフイルムの技術者と話す機会があったのだが、非球面レンズはプラスチック製よりもガラス製の方が性能が上なのは明らかで、ガラス製でもガラスモールドより研削の方がコストはかかっている(性能は熟練度や技術の違いもあって一概には断言できないようだ)と聞いた。
このカメラは、2017年あたりに1万5千円で札幌のカメラ店で手に入れた。相場より数千円安かった。
史上最高額のコンパクトフィルムカメラ、一度手にしてはどうだろうか。このツァイスレンズは期待を裏切らない。ツァイスらしさを楽しめる。ズームレンズつきの中古カメラもじわじわと値上がりしている。今ならまだ安い。
300円で買ったTVSのカタログ。500円できれいなカタログもあったが、読めればいいやと思ってこちらを買った。

