実家の自分の部屋の机の引き出しにしまいっぱなしのウォークマン。
SONY WM-F203。
1988年のデンマーク留学の際に持って行った。
外国ではどんなラジオ放送をしているのか興味があったので、ラジオ付きしかも録音機能付きのこのモデルにした。
付属のステレオマイクを接続すれば、生録(死語?)もできる。
このWM-F203は、1985年発売だったと思う。買ったときには旧モデルになっていたので安く買えた記憶がある。
当時はCDプレーヤーもまだ高価なうえ、ポータブルCDプレーヤーもまだなかったのでカセットテープが主流だった。
テープも大きく分けてメタル(TYPEⅣ)、フェリクローム(TYPEⅢ)、クローム(TYPEⅡ)、ノーマル(TYPEⅠ)の四種類があった。
フェリクロームはノーマルとしても使えた。真っ先に市場から消えたのがフェリクロームだった。
WM-F203は、録音はノーマルテープしか対応していなかったが、再生はノーマル、クローム、メタルと対応していた。
CDやDVDは、無音から音が出るが、カセットテープの場合、「サー」というノイズがいつも出るので無音になることはない。
ノイズを減らすためにいろいろなノイズリダクションシステムがあったが、この機種は最も広く採用されていたドルビー(Dolby)システムを搭載していた。再生専用システムでDolbyPBとなっているが、効果はおそらくDolby B相当だと思う。
当時はインターネットもなく、日本とのやり取りは電話のみ。
日本から持って行ったカセットテープを聞いては外国での慣れない生活で元気を出していた。
オーストラリアの歌手カイリー・ミノーグのカセットテープをデンマークで買ってよく聴いていた。まさかその12年後にコペンハーゲンでカイリー・ミノーグのコンサートに行ってわずか数メートルの距離で彼女の歌を聴けるとは予想もできなかったが。
デンマークの学校のタームの間の休みでヨーロッパ17か国を鉄道で一周(北はノルウェーのノールカップそば、南はギリシアのアテネ、東はワルシャワと西はポルトガルの海)した。
ひどい時には夜行列車で三連泊して体がガタガタになった。
言葉は理解できなかったものの、夜行列車でも安ホテルでもこのWM-F203で国々のラジオ放送を聴いては楽しんでいた。
今でも覚えているのは、チェコスロバキアかポーランドでのコーヒー。コーヒーカップの底にコーヒーの殻が沈殿していた。コーヒーを漉すということをしていなかった時代で、上側の部分をすすって飲むのが当時は当たり前だった。
このモデルの再生時間は、ガム型充電池ではラジオは10時間ほど、テープ再生は2時間ほどだったので複数のガム型電池を持つのは必須だった。
バッテリーチャージャーは、日本国内仕様だったので100ボルト対応だった。そのままでは220~240ボルトが一般的なヨーロッパでは使えなかったので日本から持って行った変圧器を使って充電することができた。
単三型乾電池一個でも電源になったが、マンガン型だと充電池より使用時間がやや劣り、アルカリ乾電池では充電池の倍以上長持ちしたものの、当時はアルカリ電池は高価だったので充電池を複数使う方が結果として安上がりだった。
外部電源(ACアダプター)対応でもあり、自分は買わなかったが電源が三種類あるのは使い勝手が良かった。
中を開けてみたら今でもコンパクトにできていると感心する。
右側にあるのは単三型電池ケースでガム型充電池ケースはもっとスリムだった。
ヨーロッパ一周旅行ではバックパックの中に放り込んで使ったので酷使した。
あちこちガタがでて91年に一度修理している。
今日、電池を入れてみた。
ゆっくりとするするとテープが回り始める。
「サー」という懐かしいテープのノイズ。
何十年ぶりだろうか。
ラジオも聞こえる。テレビ音声はアナログ地上波が終了してしまったので聞こえなかった。
タイムスリップしたような。
しばらく感触を楽しんでWM-F203はまた引き出しの中へ。
一枚目の画像でわかるように、本体には「It's a Sony」のシールが貼られている。
ソニーは独創的なプロダクツが多かった。
いつもワクワクさせてくれた。
初代ウォークマンも日本のみならず世界に先がけて札幌で試験的に販売してから全国展開・世界展開になったのだ。
そんなこともあって札幌出身の自分には思い入れがある。
しかも、今ではすっかりみなくなったメイドインジャパン。昔は日本製が当たり前だったのはもう遠い昔になってしまった。
またこいつを動かしてやりたいと思う。
カセットテープの再生域は、クロームとメタルポジションで40~15,000Hzだ。
据え置き型では一般的には20~20,000Hzだが、ウォークマンなどポータブルの再生プレーヤーはこのぐらいの再生域は珍しくなかった。
それに、20歳頃を超えると高音域がだんだん聞こえなくなるので、自分は気がつかず違いがわからないはずだ。
結末は、自虐。