世界史の教科書5冊、一気読み!

参考教科書

荒井信一 他 (1998) 「詳解世界史B」 三省堂

江上波夫 他 (1997) 「詳説世界史(旧)」 山川出版社

尾方 勇 他 (2002) 「世界史B」 東京書籍

佐藤次高 他 (2002) 「詳説世界史(新)」 山川出版社

柴田三千雄 他 (2003) 「新世界史」 山川出版社


kyoukasyo,5\u0027

毎日更新が目標、でも量より質を大切に。


人気blog ranking

Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

外伝 その他 『吉村作治の早大エジプト発掘40年展』 福岡市博物館

吉村作治の早大エジプト発掘40年展

福岡市博物館

平成18年7月17日-9月3日


に、いってまいりましたー。



福岡市博物館
http://museum.city.fukuoka.jp/


特別展示
http://museum.city.fukuoka.jp/jf/2006/fs_yosimuraegypt.htm


不肖ワタクシ、

ちょうど福岡に訪れておりまして、

さらに百地(ももち)の人に会いに行く用もあったということで、

百地浜福岡タワーの近くの博物館で開催されていました

吉村作治の早大エジプト発掘40年展』に足を運んで参りました。



吉村作治氏といえば


四大文明 第一集「エジプト~そしてピラミッドがつくられた~」


の監修もつとめられておりますし、

これも何かの縁かなぁと思うところもあったりしまして。


早稲田大学はなかなかエジプトでの発掘調査に年季がある模様ですよ。

そして、かつての発掘調査というのは、

発掘協力者に対する見返りに、

発掘品を渡すものだったそうですが、

早稲田発掘隊はその風習をとらず、

発掘物はエジプトから持ち出さず、エジプト国内にとどめておくようにしたそうです。

いまではそれがスタンダードになっているそうな。


ふーん、えらいねぇなんて思ったのですが、

ということはあんまりいいもの置いてないんじゃない?

なんて意地の悪い発想が浮かんでみたり(笑)


まぁ、そのあたりはエジプト政府との信頼関係を拠りまして、

特別に借り受けたものが展示されているそうですよ。


さて、展示ですが、

たしかに価値あるものが並んでいるのですが、

エジプトの歴史に触れるための展示、というよりは

早稲田発掘隊の軌跡がわかるように展示されているね、

という印象をうけました。


吉村さんの幼少時代の写真なんかも飾ってあったな(笑)


それでもセヌウのミイラのマスク」を開ける瞬間の映像などを

観ることができましたし、

それなりに満足いたしました。


そんなこんなの福岡市博物館でしたけどね、

ついでに国宝「金印」も見ましたよ。


(こちらは常設展示場。別料金だけど一般200円だから、オススメ)



金印
http://museum.city.fukuoka.jp/jb/jb_fr2.html



博物館を出ると、

外はさんさんとした真夏の日差しが突き刺さります。

これはまた暑いけど、エジプトほどではないか・・・なんて思いながら、

整備されていてなかなかすがすがしい埋め立て地に作られた若い街、

百地をあとにしました。



参考記事

外伝 映像作品 『四大文明 第一集 エジプト』ジェネオン エンタテインメント(2000)|世界史の教科書5冊、一気読み!
http://ameblo.jp/syayou-history/entry-10014877633.html



人気blog ranking



第Ⅰ部 1章 10.来世的な古代エジプト文化

さて、第16回ですね。
古代エジプト文明です。


古代エジプトの文明といえば?


そう、まずはピラミッドですね、
今回はピラミッドについてはふれませんが、
他にイメージできるものと言えば、
あの絵でしょうね。
ファラオ的な人が、
横向きで、横顔なんだけど、
両肩はこっちをむいてるというあの絵。

真似してみるとけっこう痛いですが(笑)
あの絵のまわりに「神聖文字」なる、
鳥だとか眼だとか秤だとか蛇だとか
そんなものを表象した文字がならんでいるカンジ・・・ですね。
それでokですよー。



<今日のまとめ>
エジプトは太陽神ラーを主神とした多神教の宗教体制をとっていました。
多神教といってもね、けっこう動物神が多いっていう特色があるよ。
新王朝時代になると首都テーベの守護神アモン
も強く崇めるようになるので、
アモン=ラー信仰、なんて言われるようなものになっていきます。
エジプトの人々は、霊魂の不滅と来世の存在を信じておりまして、
冥界の王オシリス神が支配する来世の世界を考えていましたから、
ミイラやら副葬品の「死者の書」(死後の世界ガイドブックだね)を作りました。
そうした「死者の書」などは、
パピルスと呼ばれる紙に書かれていました。
エジプトの文字は神聖文字・神官文字・民衆文字とされてる。
ちなみに18世紀末、ナポレオン=ボナパルトがエジプトに遠征した際に、
ロゼッタストーンという神聖文字・民衆文字・ギリシア文字(神官文字じゃないよ)
が記された碑文の一部が発見されたのは有名ですね、
今は大英博物館にあるらしいですが、
これを解読したのはフランスのシャンポリオン
なぜかこれも併せて憶えておかなきゃいけないんだよね(笑)
こうして、ミイラを作っていたわけだから、
当然、医学薬学が発達していました。
また、ナイルの灌漑やピラミッド建設の技術にみることができるように、
天文学測量術(測地術)
のちのギリシア幾何学に影響を与えたといわれる数学なども生まれていました。
暦法は、まぁ太陽暦だったんだけど、太陰暦も併せ使ってました。



エジプト文字について、詳解世界史Bには


p.54 l.1-4
神殿や墓の碑文に刻まれた神聖文字(聖刻文字)と、
 これを実用化してパピルスなどに速記できるようにした神官文字があり、
 のちにさらに簡略化された民衆文字も用いられた。」

※強調部分は筆者によるもの。


なんて詳しい解説が付されています。


神聖文字はヒエログリフ
神官文字はヒエラティック
民衆文字はデモティック

と言います、カタカナではね。


さすがにあんな鳥とか蛇とか書くのは大変だからさ、
神殿や墓、公文書や文学作品、雑記やメモ。
それぞれの用途に合わせて簡略化していったんだね。


では、最後に暦法を。
太陰暦と太陽歴を併用していたとされますが、
特には太陽暦を使っていたこと(太陰暦を使っていたメソポタミアとの対比で)
これをしっかり憶えているのがいいでしょうね。


陰暦は1年を354日くらいとし、
太陽暦は1年をおよそ365日だと制定しているんです。
その二つを併用していたということは、
つまりそのズレを閏月をいれて補正するわけですね。
太陰暦を改正したのがユリウス暦(かのユリウス=カエサルの名ですよ)で、
今、我々が使っているのがグレゴリオ暦です。
いまの暦法のルーツとなっているんだなぁ、と漠然と感じておきましょうよ(笑)



さあ、今回までで古代エジプトのお話は終わりです。
次回はまたメソポタミアにもどりまして、
前16世紀ごろ、古バビロン王朝衰退後の世界の
ヒッタイトカッシートをなどを見てゆきましょう。



人気blog ranking

外伝 古典・文献 『ギルガメシュ叙事詩』 月本昭男 訳 (1996)

ギルガメシュ叙事詩
月本 昭男

ギルガメシュ叙事詩』、と一言でいっても、
「標準版」というものが存在し、それがスタンダードということになっています、一応。
というのも、「標準版」のほかにも、
「古バビロニア版」「中期バビロニア版」「ヒッタイト版」「フリ語版」
と、多岐にわたるバリエーションが存在し、それがどこで発掘された書板に記されたものなのか、
どの時代に編纂されたものなのか、などの違いが存在しています。


とりあえず、「世界最古の」文学作品、なんて言われるものですから、
これは読んでみなくては、と思って書店に行きました。
どーせ岩波文庫の古典コーナーにあるだろうなんて思って探してみたんですが、
これが意外に無いんです
結局、図書館にて古びた本をどうにか2冊だけ見つけることが出来まして、
今回借りてきたのが、この月本昭男氏訳の『ギルガメシュ叙事詩』でした。


この本のなかには諸版のテキストが記載されているのですが、
特に標準版についてお話しましょうね。


もちろん主人公はシュメールの王ギルガメシュ



1.「野人」から理性を持つことになった盟友エンキドゥとの出会い。
2.怪物フンババとの戦い。
3.ギルガメシュを殺すために神より使わされた「天牛」の打倒。
4.エンキドゥの
5.「不死の生命」の探求。



こうした大まかな流れにそった話が、12の書板に「彫られて」いたようです。
当然、楔形文字で記されていたものですよ。
かのアッシリア王、アッシュールバニパルによって建造されたとされる古代図書館から、
出土したものを現代語訳したのもですね。
ですから、ところどころで、
書板が傷んでいたり、あるいは文が欠けていたりなどしていたため、



ギルガメシュは[   ]を[    ]した。
それ[      ]なり。
[    ]にはエンキドゥを。



ってなカンジで虫食い状の文章になっておりましてね、
要領を得ない箇所も多く見受けられました。
あくまで「原書」にこだわらないのであれば、
多少の二次創作部分を含むような書籍を当たったほうがよいのかもしれませんねー。


さて、
さきほど5つのお話が12の書板に書かれているといったのですけれども、
第12の書板の内容だけは、すこし整合性に欠けているため、
後の編者によって追加された部分であるという仮説が一般的だそうです。
少し極端な例にはなりますけど、
『源氏物語』の宇治十帖のような存在なのかな、と思いました。

月本氏の解説によると、
5つのお話をどのように解釈するかでだいたい4つの解釈のよるそうですが、
まぁそこまでは触れないでおきましょうか。
少し難しいので、ご自分でご確認ください(笑)


あ、でも最後の「不死の生命」のくだりでは、
洪水伝説の強いルーツ性のある部分があったりしまして、
この文献の歴史的価値をも感じました。


これはかなりのかなりの古代書ですからかなー、
やたらとくどい表現が多かったり、
例えが長すぎたり、
これはコピペかよってくらい同じ文章が散見されたりしますが、
第1、 第11の書板などは比較的完全に近い形で残っており、
さらになかなか深みのあるものですんで、それだけ読むのもいいかもしれません。
けっこう短いですよ。


総じての感想ですが、
これが意外に宗教倫理的な話としてよりも、
「2/3が人間、1/3が神」とされるギルガメシュの、
彼があくまでも人間であり、
そして英雄であり、逃れられない死を臨む者であることの苦悩やらを眺めてみるとね、
それは決して理解できないものではないんだね、
と思いました。


ギルガメシュ叙事詩

『ギルガメシュ叙事詩』


こっちは図書館から借りてきたもの。



参考記事

第Ⅰ部 1章 2.シュメール人の繁栄|世界史の教科書5冊、一気読み!

http://ameblo.jp/syayou-history/entry-10014664991.html



人気blog ranking

第Ⅰ部 1章 9.エジプト新王朝 シリア進出と信仰改革

では、第15回。
古代エジプト、新王朝のお話です。
こっからのエジプトはね、

「あー、そんなのいたねぇ・・・」なんて、
脳をくすぐるようなファラオが出てきます。


新王朝のポイントは3つ。
領土がシリアまで拡大したこと
アマルナに一次遷都されたこと
「海の民」の襲来で弱体化していったこと
以上ですね。


先に言ってしまうのですけど、
新王朝のラメス2世というファラオは、
小アジアに興った民族ヒッタイト
世界最初の条約」といわれるカデシュ条約を結んだりしていまして、
(これ教科書に載ってないけどさ)
だーんだん、世界史っぽくなってきます。
まぁ、20世紀の世界大戦あたりになると、
もう条約やら協商やらがどっさりでうんざりなんだけどね(笑)


というわけで、それだけ国家も規模が大きくなって、
人々の文化レベルもあがってきた時代だったということなんでしょうか、
この新王朝。



<今日のまとめ>
約30もの数で興亡を繰り返した古代エジプト王朝。
そのうちの、第18~20王朝を新王国(前1567~前1085 都:テーベ、一時アマルナに)
としています。
新王朝は領土をシリアまで拡大、
ユーフラテス川中流域にも攻めこんで、
ミタンニカッシートヒッタイトなどの民族と戦いました。
エジプトは太陽神ラーテーベの守護神アモンを中心とした神々を信奉する多神教たっだのですが、
前14世紀のアメンホテプ4世(イクナートン)神官たちの台頭を嫌い、
思い切って首都をテーベからテル=エル=アマルナ(アマルナ)に移します。
そしてさらに従来の神々を否定し、
アトン(アテン)神唯一神として崇拝するように強制したのでした。
こうしたファラオ・アメンホテプ4世による宗教改革は、

王権の強化が目的だった思われているんだけど、
結局は彼の死後にまたもとの体制へ逆戻り
失敗だったと言ってしまう教科書もあるけどね、
彼による信仰の変革は、アマルナ美術と言われる写実的な美術を遺したのでした。
これは当時のエジプトからすれば特殊な美術。
だってあのみんなが横向いてる様式的な絵ばっか描いてたエジプト人が、
いきなり立体的な像(有名なのはアメンホテプ4世の王妃ネフェルティティの像)を作りはじめたわけだからね。
そんなこんながあった新王朝。
前13世紀にはラメス2世による隆盛期を迎えるんだけど、
民族系統不明「海の民」の攻撃によって弱体化の道を歩んでいきました。



ミタンニカッシートヒッタイトについては、
次回以降にまとめます。


アメンホテプ4世の別名、イクナートン
アルファベットで書くと


Ikhn-aton


で、彼の崇拝したアトン神の名前が入ってる。

気づいてた?


世界史Bでは


p.38 l.8
「アトンにとって有用なる者の意」


と説明されてます。


そんなアメンホテプ4世の改革ですが、


詳説世界史(新詳説世界史(旧新世界史では


「一時的」「されたときをのぞいて」「王の死によっておわった」


と表現されているのに対し、

詳解世界史B世界史Bは、

「改革は挫折」「これは失敗し」


なーんて、きつい表現(笑)が用いているんですよねー。


そうそう。

新王朝も最期は謎の民族「海の民」に弱められてしまった、

という教科書が多いのですが、

世界史B


p.38 l.10-11
オリエント全域が鉄器時代に入ると
 鉄資源不足のためエジプトは衰退していった。」

※強調部は筆者注釈


なんて記述を載せており、大変興味深いです。



では、次回はそんなこんなの古代エジプトの文化について。
さらりといきましょー。



人気blog ranking

歴検日記 其の二 世界史侍の失速

少々、間があいてしまいましたね。


7月7日の開設日から休みなく続けていこうと思っていたのですが、

ちょっと息切れでした。


この場合に、「みなさますいませんでしたー

なんて書くのをよく見受けますが、

それを僕が言うのもなんともおこがましく思えるのでね、

それは言いませんよ(笑)


歴検日記なんですけど、

まぁ、「歴検に向けての日記」ってことで、

ちょっとこういったことも記していきます。


いわゆる、「徒然なるままに」ってやつですが、

この表現はあまりにも使われすぎているものなので、

もはや用いないほうがよいようです。

兼好法師も意外なロングランとなる言葉を生み出していますねー。


なんのことかって?


日本史は畑がちょっとちがう、

うちはどちらかといえば稲作よりも麦作なので、

兼好法師については語りませんよー(笑)



人気blog ranking

1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>