阪神大震災後の九州旅行 | 車内販売でございます。

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 阪神大震災から20年たった。

 私はずっと東京周辺に住んで、1月17日も寝ていたが、阪神大震災の時は全く揺れを感じなかった。朝の9時過ぎに起きてテレビをつけたら、大変なことになっていて驚いた。



 40日ほどして、3月1日から4日間の休みが取れたので九州に出かけることになった。九州でグリーン車乗り放題の「豪遊券」を使って乗り鉄をするためだ。

 阪神大震災では、新神戸周辺では高架の線路が落下するなど大きな被害がでており、新大阪~姫路間は運転できない状態だった。そのため、新大阪から在来線に乗り換えた。

 しかし、神戸の三宮や新長田周辺は、在来線も運転できない状況だった。そのため、住吉駅から神戸の中心部をバスで振り替え輸送が行われていた。バスに乗るために住吉駅で一旦降りると、「あれ?一度降りたことがある」と気づいた。

 住吉駅は、関西の名門校・灘高校の最寄駅だ。私はこの時、塾・予備校業界で受験指導をする仕事をしており、灘高校にも足を運んだことがある。

 住吉駅を降りて、周囲を見渡して、体か震えてきた。以前、降りたときに入ってコーヒーを飲んだ喫茶店が入っていた6階くらいのビルが、30度傾いて倒壊したままだった。コーヒー飲んでいる時に地震があったら、私はつぶされていたわけだ。知っている建物が間近で倒壊していたのを見て、体が震えてきたのを今も覚えている。


 ふと、その日が3月1日であると気づいた。実は関西の中学入試日は、3月1日で、この年から1月下旬に変更するハズだった。ところが大震災で、入試どころではなくなり、昨年と同じ3月1日に戻っていた。そこで、灘高校まで歩いて行った。

 試験は始まっていたが、そこではマスコミや塾関係者や保護者が押し寄せていた。看板を見ると、「受験生はこちら、避難所はこちら」と矢印が書いてあった。聞けば、震災直後には、遺体安置所にもなっていたそうだ。


 振り替え輸送のバスの中では、隣の席に地元のおばあさんが座っていた。私は喫茶店の建物だけでもショックだったが、昔から住んでいる人にとっては、日常生活の場所が、知り合いの家が、思い出の場所が被災したことになる。地元のおばあさんは、車窓を見て泣いていた。隣の私も泣けてきた。



 姫路から再び新幹線に乗って九州へ。九州では、グリーン豪遊券で、JR九州のグリーン車を乗りまくった。

 当時のJR九州のグリーン車では、コーヒーやオレンジジュースなど飲み物が無料サービスだった。

 「つばめ」には客室乗務員・つばめレディが乗務しており、心のこもった接客には、感激しっぱなしだった。「にちりん」「みどり」などの他の特急でも、車内販売員が、無料の飲み物をサービスしてくれた。だから、車内販売はあまり利用しなかったが、快適な旅行を楽しめた。

 「ドリームにちりん」のグリーン車では、飲み物のサービス無しだが、代わりにアイマスクなどが入ったセットをもらえた。利用者は、ほぼ全員豪遊券利用者だった。3月上旬のような閑散期は、普通車自由席を4人分占領できて、グリーン車並みの快適さだったからだ。(もちろん混雑する時期なら大ヒンシュクだ)

 阪神大震災で命の大切さを実感した直後だけに、こうして列車に乗りながらコーヒー飲めるのは本当に幸せだとつくづく感じながら、3日間の乗り鉄をしたのだった。