【釈 正輪 メルマガ 3月12日号】 日々是好日 | 自灯明寺

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【幸せの価値観】

 私たちが求めている幸せは、「相対の幸福」と呼ばれるものです。ここでいう「相対」とは、「比べる」ことを指します。私たちが何かを判断する時は、必ず他のものと比較しなければなりません。
 一例を挙げましょう。総務省の発表によると、2021年の日本人の携帯電話の月額料金は、平均約三千円でした。(データ容量月20 GBのプラン)これは高いでしょうか、安いでしょうか。昨年は八千円を超えていたので、それに比べればだいぶ安いですが、ロンドンのニ千円と比べたら、高いと言わざるを得ません。同じ三千円が何を基準とするかによって、安くもなり高くもなります。しかし、何かと比べなければ、安いとも高いとも言えません。

 このように、比較しないと判断できないのが、私たちの知恵の特徴なのです。それは人間の「精神の根源的な性質」だと、ヒューム(十八世紀のイギリスの哲学者)も言っています。

 自分は幸せなのか不幸なのか、それも誰と比較するかによって決まります。
単純に考えれば、オリンピックで銅メダルを取った人より、銀メダルを取った人の方が満足度が高そうですが、実際は逆のことが多いのです。銅メダルの人は、メダルを取れなかった大勢の選手と比べて、表彰台に上がれたことを喜べます。ところが銀メダルの人は、どうしても金メダルに目が向いてしまい、「あと一歩でトップになれたのに」という悔しさがあって、心から喜べないそうです。

 ボランティアに参加すると、本人の幸福度が高まる理由はいくつも解明されていますが、その一つは、不幸な人たちを見ることによって、自分の置かれている状況に感謝するようになるからです。ところが私たちは自分を、自分より少し上のランクの人と比較してしまう傾向があります。その結果、誰もが「銀メダリストの不満」に陥ってしまうのです。

 遠い国の大富豪が、宮殿のような家に住んでいようと羨む人はいないでしょう。
ついつい気になり、競争したくなるのは周囲の身近な人です。これを「ご近所さん効果」といいます。

 新聞の人生相談に出ていた話ですが、ある奥さんの悩みの種は、夫の収入や学歴が低いことです。「そのせいで自分の価値まで低い気がする」と、不満を語っています。近所の主婦は大抵、大邸宅や高層マンションに住んでいるので、雑談をしていると、いつ夫の仕事や出身大学を聞かれないかと、ヒヤヒヤするそうです。

 学歴や職業、家や財産など、「目に見える幸せ」しか知らない人は、死ぬまで満足することはできません。自分より上の人を見るたびに、羨む心が吹き上がり、残念な気持ちになるからです。

 ある夫婦が建てた家は、ちょうど隣が空き地になっており、公園や木々の景観を楽しむことができました。その空いた土地は売りに出されていましたが、不動産屋からは「地盤が傾斜しているので家は立たない」と聞いていたので購入しませんでした。
ところが、そこを裕福な人が買い取り、金に任せて土地を造成し、豪邸を新築したのです。自分たちが買っておけばよかった、と言う後悔、もうきれいな景色が見られない悲しみに加え、何より隣人への妬みで毎日が辛いと嘆いています。
目の前で財力をひけらかされたら、誰しも嫉妬に苦しむのではないでしょうか。

 第二次世界大戦後、東西に分断されていたドイツは、1989年ベルリンの壁崩壊をきっかけに、翌年再統一されました。
かつての東ドイツに暮らしていた人たちは、給与が上がって、高級品にも手が届くようになり、生活水準は急激に上昇しましたが、かえって不幸になったといわれます。もっと恵まれていた西ドイツの人たちの生活と比較するようになったのが、大きな原因の一つです。

 経済学者によると、近所の住人の収入が自分より高いと、幸福度は下がるそうです。このように隣人の収入が増える事と、自分の収入が減る事は、ほぼ同じ悪影響を与えるそうです。

 孤独を感じるのは、一人の時とは限りません。周りが楽しそうにしているほど、寂しさは増すものです。孤独感を最も味わう季節は、春と夏であることがわかっています。皆が家にこもる冬より、温暖な時季の方が、公園や海岸で人々が賑わっている光景を目にしやすいからです。

 SNS (ソーシャルネットワーキングサービス)により、インターネットを通じて、多くの人と繋がることが可能になりました。
趣味や職業、出身地などが同じ人同士で友達になり、近況を発信しあい、共有することができるのです。

便利なサービスですが、のめり込むのは考えものでしょう。SNSを使うこと自体が、幸福感を低減させるという研究結果もあります。 友人が幸せそうにしているのを見て落ち込んだり、自分の投稿がどう評価されるか、気にして疲れたりすることなどが原因です。
では、他人の生活をのぞき見ることをやめれば、満足できるのでしょうか。

イギリスで七万人以上の従業員を対象にした調査によると、相場並みの給与を受け取っている人の三分のニ近くが、それを不当な低賃金だと考えていました。
相場以上に優遇されている人でも、感謝しているのは21%に過ぎず、35%は、もっと高くて当然だと考えています。
私たちはついつい、自分は過小評価されて損をしていると思い、他人は甘い蜜を吸っていると想像しがちなのです。うぬぼれが不満につながっているといえるでしょう。

 他人と比較して一喜一憂していては、心の満足は望めません。誰と比較するとも、常に「自分ほどの幸せものはいない」と喜べる「無常の幸福」こそが、人生の目的なのです。

           合掌


他人と比較しなくても、常に喜べる幸福などあるのでしょうか。どんなことがあっても変わらない、絶対の幸福が現存すると示しているのが、『歎異抄』という古典です。

 『歎異抄』は、今から約七百年前に書かれた本で、仏教書の中では最も多くの人に読まれています。

 「仏教」とは、「仏の説かれた教え」のことです。その「仏」とは、約二千六百年前、ネパールで生まれたゴータマ・ブッダのことです。
仏陀の説かれた教えを、今日「仏教」といいます。

 その仏教を日本で正確に伝えられた、親鸞聖人のお言葉が記されているのが『歎異抄』です。
その第一章には、「人間に生まれてよかった」と喜べる無上の幸福を、「摂取不捨(せっしゅふしゃ)の利益」という言葉で表現されています。

 「摂取不捨の利益」の摂取不捨とは、文字通り″摂(おさ)め取って捨てぬ″ことであり、「利益」とは″ガチッと摂め取られて、捨てられない幸福″それが「人間に生まれてよかった」と喜べる無上の幸福のことなのです。

 私たちは、健康から、子どもから、恋人から、友人から、会社から、金や財産から、名誉や地位から、捨てられないかと戦々恐々としてはいないでしょうか。
幸福に見捨てられるのではないだろうかと、薄氷を踏むように、いつも不安に怯えています。
捕らえたと思った楽しみも一夜の夢、握ったと信じた幸福も一朝の幻、線香花火のように儚いものだと知っているからです。
たとえしばらくはあったとしても最後、死んでいく時には、全てから見放されてしまいます。

 ひとたび「摂取不捨の利益」を獲得すれば、いつでもどこでも満足いっぱい、喜びいっぱいの人生を楽しむことができます。

 この摂取不捨の幸福こそ、人生の目的なのです。

            釈 正輪 拜




ちょうちょ講話会

どなたでもご参加いただけます。
お気軽にお越しください。

◯3月15日(金)12時より(ランチ講話会)
 横浜市青葉区あざみ野 
◯3月22日(金)19時より
 大阪市住之江区 フラミンゴカフェ
◯3月23日(土)10時より
 兵庫県宝塚市 戸島雅美様サロン
◯3月24日(土)13時より
 大阪市 鶴見区民センター
◯3月24日(日)18時より
 京都市上京区 
 
ちょうちょ4月6〜7日 一泊ツアーをします。
富士山の周りを巡ります。
若干名募集します。お問い合わせ下さい。



クローバー記載責任者

シャムロッククリエイティブ株式会社

釈正輪 秘書 赤荻由那

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