【親の心・親に感謝】
今年になって檀信徒の方からいただいたお手紙を、かいつまんで二件ご紹介いたします。
母は真面目な性格です。十八歳で一人暮らしを始めた私を心配して、毎日メールを送ってくれました。野菜やお菓子などを入れた宅配便も、よく送ってくれました。私が結婚し、やがて三人の子育てに奮闘するようになると、母は、実家のある熊本から豊中まで、毎月ニ週間ほど手伝いにも来てくれました。
そんな長閑(のどか)な日々が一転したのは、新型コロナウィルスの感染が広がってからです。夫は、客足が遠のいた飲食店の経営に苦しみ、ストレスから脳出血で倒れ、半身不随になってしまいました。夫の介護、店の経営、子どもの養育など、目の回るような忙しさの中で、私も腹痛に悩まされるようになりました。
病院で何度も検査を受けましたが、腹痛の原因はわかりません。押しつぶされそうな気持ちになっていた時、コロナ感染の不安を押しのけて、母が四年ぶりに我が家に顔を出してくれました。
母は、私の苦しい胸の内を聞いてくれて、静かに言葉をかけてくれました。
「自分を追い詰めすぎてるんじゃないの?今の状況から逃げ出したいという気持ちが、自分を病気にさせているんだよ」と。その言葉に私はやっと、自分が置かれている状況をしっかり受け止めることができました。なぜか、その日から腹痛は消えていきました。
離れて暮らすようになって久しいのに、今も娘の心を温かく見つめてくれる母親に、目頭が熱くなります。そんな母の為にも、家族みんなで幸せな姿を見せられるように日々、頑張っていきたいと思っています。
和尚様がいつも気にかけてくださり、「誰にでも甘えていいんだよ」と絶えず言われたお言葉が、今になりやっと分かったような気がいたします。
四月の法事には、熊本から母親を呼びます。母も住職に久しぶりに会えると、今から喜んでいます。
大阪府豊中市在住、大内さん(四十五歳)
私は三人兄弟の中でも体が弱く、母親にはとても心配をかけました。小学生の時は喘息を煩い、夜中にぜいぜいと息苦しく眠れなくなると、母親が布団の横で夜通し看病してくれました。
丈夫な体にしてやりたいという母親の勧めで始めたサッカーは、高校まで続けました。高校時代には、早朝練習で5キロを走り、夕方の練習でも日暮れまで走り回れる体になりました。
大学受験に失敗した時も、両親が一言の文句も言わず、予備校の学費まで出してくれました。翌年、志望大学に合格して、公衆電話から家に連絡した時に聞こえてきた、受話器の向こうの弾んだ声を今でも覚えています。
ところが卒業後の進路をめぐって、両親と対立してしまいました。大学で学んで有頂天になっていた私は、とにかく自分の思いを押し通すことばかり考え、親にきつい言葉を投げかけていました。この時、母の目には涙が溢れていました。
ご住職さまもご存じのように、私は一旦、無難なサラリーマン生活を選ぶこととし、やがて結婚して二人の子どもにも恵まれました。そこで知らされたのが、親にとって一番嬉しいのは、子どもの笑顔だということです。
思えば、大学時代の私は、子を思う親の心に、思いが至りませんでした。あれから約三十年。父親は他界しましたが、母は健在です。苦楽ともに、いつも私に寄り添ってくれたことへの感謝の気持ちを、これからも笑顔で伝えていきたいと思います。
七月の父親の法要を宜しくお願い申し上げます。
名古屋市在住、大河内さん(五十六歳)
合掌
「親の心、子知らず」とはよく言ったものです。
私も歳のせいでしょうか?御迎えが近いのでしょうか?父や母の夢をよく見るようになりました。夢に出てくる両親は、いたって元気で昔のままでした。夢ではあるものの、安堵感がありました。
他界した父親と同じ年齢となり、両親を回顧することが多くなった昨今。つくづく親の有り難さを染み染み想います。
子供叱るな来た道だもの
年寄り笑うな行く道だもの
浄土真宗 妙好人
釈 正輪 拜
講話会
どなたでもご参加いただけます。
お気軽にお越しください。
◯3月15日(金)12時より(ランチ講話会)
横浜市青葉区あざみ野
◯3月22日(金)19時より
大阪市住之江区 フラミンゴカフェ
◯3月23日(土)10時より
兵庫県宝塚市 戸島雅美様サロン
◯3月24日(土)13時より
大阪市 鶴見区民センター
◯3月24日(日)18時より
京都市上京区
武道礼法 体験してみませんか?
◯3月7日(木)12時から
横浜市青葉区青葉台
是非お問い合わせ下さい。
記載責任者
シャムロッククリエイティブ株式会社
釈正輪 秘書 赤荻由那
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