「ビフテキ」という言葉は今はあまり使われないのだろうか。ビーフステーキの略称のように聞こえるが、フランス語のビフテック=ステーキが語源であるらしい。近年耳にする「トンテキ」とは即ち造語なのだが、日本人の言語文化の豊かさを感じずにはいられない。

今回は「シネマの万華鏡」のブログ主である、

阿刀ゼルダさんのご友人、夏色インコさん主催、

七夕感謝企画 「#愛されフード」

に参加させていただき、ビフテキのお話。


阿刀ゼルダさんのブログ

   「シネマの万華鏡」

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  「はちみつバード」

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私の父は現役時代、仕事に真っすぐな職工人だった。中卒で製本関係の工場に就職し、その後職場で知り合った母と結婚、独立して2人で小さな工場を構えた。私の妹が生まれる頃には文京区・江戸川橋の近くに工場兼自宅を購入して数人の工員を雇う様になっていた。父の真面目な仕事振りと母の細やかな気配りで商売は順調だった。

ただ土曜の午後になると父は決まって家から姿を消した。当時は「半ドン」と言って、学校も会社も土曜日は午前中で終わり、そのまま日曜日までが休みになる決まりだった。半ドンの仕事を納め昼食を摂ると、父は当たり前の様に出掛けて行く。行き先は大概、元の勤め先の工場、そこは父の両親—私の祖父母が預かっている工場であり、2階は職員寮になっていた。父は週末そこに入り浸り、酒を呑み麻雀に興じていた。日曜の午後遅くに帰宅することが多く、帰宅してからはテレビを見ながら母の料理を肴に酒を呑んでいた。

母は乳飲児の妹を背負い、私の世話と家事をしつつ出入りする人々に応対して、忙しい週末を過ごしていた。


妹がよたよたと歩き始める頃、母がどうしても週末に外出する事になった。祖母が絡んでいるらしく、私を預ける先がない。母は父に私の面倒を見る様に頼んだ。父は渋い表情を作ったが、了承した。その土曜も父は午後から出掛けたが、夜遅くには戻ってきた。

日曜日の朝、母は妹を背負い祖母と共に出かけて行った。私は記憶上初めて父と二人きりになった。父は何をするでもなくテレビを眺めていた。私は何となく父と居なければいけない様な気がして、父の傍らでひとり遊んでいた。やがて昼過ぎとなった頃、父は私を連れて家を出た。ひとつ向こうの新目白通りからバスに乗る。何処へ行くのか、父は話さない。窓の外の空には廃止されて間もない都電の架線が残っていた。景色の様子から、映画に連れていかれる時と同じ道だとわかった。


上野広小路のバス停で父と私は降りた。バスの後ろ姿を見ながら歩き出す。近づく交差点の向こうに松坂屋が、その更に向こうに御徒町のガードが見えた。交差点を右に折れる。手は繋いでいない。私は置いて行かれないよう父の後を追った。交差点を折れて程なく、父の足が止まった。

そこは一軒の洋食屋の前だった。父は私を一瞥すると、店の扉を押して中へと入って行った。後に付いて私も入店した。給仕の男性が案内したのは店の中央辺りのテーブルだった。父と向かい合って席に着いた。コップに水が注がれ、父にメニューが示された。父はあまり間を置かず「ビフテキ」を注文して給仕にメニューを返した。若い給仕は一瞬怪訝な顔をしたが、一礼して立ち去った。

私はコップの水をひと口飲んだ。やや暗めの暖色系の照明、シンプルだが品の良いテーブルと椅子、客も皆上品だ。私達は少々場違いに思える。

やがて父の前に注文の「ビフテキ」が用意された。漫画やテレビマンガで見るよりも小振りだが、分厚かった。バターが乗っている。ご飯とスープが付いてきた。程よく焦げた肉と甘い脂の香りが容赦なく胃袋を刺激する。父は右手のナイフでバターを塗りたくり、その肉の塊に左手のフォークを刺しナイフを入れた。肉は抵抗なくナイフを受け入れ、父は切り出した肉を頬張った。実に旨そうに咀嚼しながら右手に持ち替えたフォークでご飯をすくい口に押し込む。喉が大きくうねった。スープを啜り、またフォークを左手に持ち替えナイフを使い—繰り返すこと十数分、父の食事は終わった。

コップの水を飲み干すと、父は席を立ち出口近くで会計を済ませると給仕に‘ごっそさんね’と声をかけて店を出た。私も給仕にお辞儀をして父について行った。若い給仕の、困った様な笑顔が忘れられない。

降りた場所の向かいのバス停から再びバスに乗り、私達は帰宅した。

夕方帰宅した母は、ちゃんと面倒を見てくれたか、と父に確認した。見たよ、父は短く答えた。今日の事は誰にも言ってはいけない様な気がした。台所で、どうしていたの?と問う母に「テレビを見て、ラーメン作って、遊んでいた」と答えた。


今は海外からの輸入が増えて牛肉も安くなり、ステーキは身近なごちそうになった。私も相応の歳になり、チェーン店などでステーキを食べる機会がある。思い切って贅沢をすれば良い牛肉を口にする事もできる。しかしどんなに美味しいステーキを食べても、あの時の「ビフテキ」の味はわからない。どの部位なのか。塩胡椒とバターのシンプルな味付けだったのか。何かしらソースの類が添えられていたのか。高価かったのか。記憶に微かな洋食屋の場所には、今それらしい店はない。

確かな事は、いつ何処でステーキを食べても、ナイフを入れるその瞬間にあの時の光景が匂いと色付きで再現されるという事だ。抑えた柔らかな光、シンプルで上品なテーブル、客達の静かなざわめき。

私にとっては案外、ステーキに付き纏う「ビフテキ」の記憶こそが愛すべきごちそうの味なのかも知れない。