多分、小学校1年生の頃のことである。

何故か頻繁に羽田空港に行った時期がある。季節も覚えていないので夕方だったか夜だったか、とにかく辺りが暗くなってからだった。近所のおじさん—妹の友達の父親—の車に乗って首都高速に上がり羽田を目指す。車はスカイライン2000GT-X、当時人気の2ドアモデルだ。今ほど過密ではなかったが東京の夜景は十分に魅力的で、私は後席の狭い窓から飽きる事なく眺め続けた。高速道路の下で野球をするような街育ちではあったが、夜景を眺める機会などほとんどなかった。


羽田空港に着くと後は何をするでもない。駐車場でUターンして帰る時は‘移設しようとすると祟る’という大鳥居を車窓から眺めながら空港を後にした。車を出てロビーに入った時は1階のガラス張りの前で待っているように言われる。私は素直に待っていた。今の羽田と違って単純な造りだったので動かなければ迷子になる心配はなかったし、様々な人々が行き交う様子、英語の案内アナウンス、聞き取れない幾つもの外国語はそれだけで異世界にいる様な高揚感があった。


その夜はロビーで待つように言われた。私はいつものようにその場を離れず空港の雰囲気に浸っていた。子どもひとりで突っ立っているのはいかにも不自然であったのだろう、綺麗な身なりのおばさんがボクひとり?迷子?と声をかけてくる。大丈夫です、おじさんにここで待つように言われました、優等生の返事を返すとおばさんは微笑んで、そう、じゃ良い子で待っていてねとチェックイン・カウンターの方へと戻って行く。この時おばさんはチラと別の方向に視線を送った。


つられて視線の先を見ると—もうひとりいた。歳格好は私とほぼ同じくらい、白人の男の子がぽつんと立っている。彼は暗いガラス張りの向こう側を不安気に見ていた。そして程なく私の視線に気づいてこちらを見た。

見知らぬ者同士の緊張感…どこの国の子だろう。日本語は話せないだろうな。そう思いながらなぜか私は彼の方に歩きはじめた。目を合わせたままの緊張が続く。握手ができそうな距離まで近づいたとき、男の子もこちらに向き直っていた。視線は外せない。言葉は出ない。彼の瞳も戸惑いと疑念に揺れているのが分かった。


5〜6歳の男の子ふたりが緊張の中向かい合う様は周囲からはどう見えただろう。1分に満たなかった筈の時間は数十分にも思えた。まるで決闘前のようだ。

先に動いたのは私だった。相手を見つめたまま握り拳を振りかざし、勢いよく言った。

「じゃんけん、ぽん!」

視線が外れた。突き出された拳を彼はじっと見つめていた。拳は平手に変わっていた。今度は声を小さくして、私は二本指を繰り出した。男の子の手は下げたままだったが手のひらはそっと握られた。

3回目、今度は彼も腕を出した。パーとグー。私は

「勝った」

と言った。4回目、パーとチョキ。私は

「負けた」

と言った。フレーズを覚えると男の子も掛け声を合わせ始めた。

カッタ、マケタを取り違えるだけで掛け声はしっかりしている。私は勝ち負けを言わなくなった。彼は声を出しつづけ、やがてカッタ、マケタを間違えずに口にするようになった。男の子の目が

「これでいい?」

と言っている。いいよ、と私は笑って見せた。

それからは彼がずっとカッタ、マケタを言い続けた。勝っても負けても楽しそうだ。緊張はすっかり解けて私たちはふたりだけの世界でじゃんけんに興じていた。


その世界が不意にほどけた。男の子が私の後ろの方に視線を送る。振り返ると背の高い白人の男性が立っている。私を見るとちょっと不快そうな顔をした。男の子と男性はともに歩き出し、私から数メートルの場所で合流した。男性が男の子の目線にしゃがみ込み真剣な顔で何か言っている。男の子は神妙な顔をして聞いている。それから男性が男の子の手を握って立ち上がるとその手を引っ張って歩き出す。男性は厳しい表情を崩さず、男の子の顔は強張っていた。私は奇妙な緊張感の中、離れて行くふたりをただ見つめていた。


すると今度は男の子が先に動いた。引っ張られながらこちらを向き、空いている手を振った。彼はこっそりと笑っていた。自然、私も笑顔になり手を振り返して彼に応えた。出発ロビーに向かうエスカレーターに乗るまでふたりとも手を振っていた。私は上階でエスカレーターを降りてその姿が見えなくなるまで男の子を見送った。

車に戻る駐車場で轟音に振り返った。雲混じりの夜空に旅客機が一機飛び立つのが見えた。あの子が乗っているのかな、そんな想像をしながら私も車に乗り込み、羽田空港を後にした。


数日後、私は母に頼み込んで小さな英会話教室に通い出した。後々学校の授業には役立ったが肝心の会話の方はというとさっぱりで、結局覚えたのは教室の日毎に使った

“I’m sorry to be late”

(遅刻してごめんなさい)

だけだった。