月に一回、東京・北千住の病院に通っている
処方箋を持って薬局へ、薬をもらう頃は早ければ午前10時前だ。体調と相談して、その後の予定を決める。
昨年秋の或る日。体調はすこぶる良好、天気も良い。朝食がまだなので腹も減っている。何か食べようと思った時、懐かしい味が舌の表面を撫でた。
北千住からつくばエクスプレスで新御徒町駅へ、清洲橋通りを真っ直ぐに…行かずに時々脇道に逸れたりしながら、
浅草橋駅近くの『スタンドそば 野むら』さんへ。
…箸、逆だよ。
(手前だと器の中が見えにくいので)
東京名物の真っ黒なつゆに太めのゴワゴワ麺。かけそばにかき揚げを付けてなんと¥500-。とても強い甘辛のカエシだが不思議と穏やかで、出汁も決して負けていない。そばも硬めの茹でで食べ応えがある。かき揚げも店揚げ。
こんな立ち食いそば屋さんは今や絶滅寸前だ。
店主さんににご馳走様でした、と告げて退店。元気な「ありがとうございます」をいただいた。
さて、今日はここからスカイツリーを目指す。
清洲橋通りをとって返し、
右に折れて蔵前橋通りに入り、真っ直ぐに歩く。その先は隅田川だ。
おもちゃを扱う問屋さん。
色々並んでいる。バンダイナムコ系列だろうか。
こちらはチェーンの専門店。
店内には大小各色、様々な用途向けのチェーンが。
極細・極小のチェーンは模型にも使えそうだ。いつかのぞきに来よう。
屋上庭園のある小ビル。1階はおそらく工場だろう、町工場育ちには懐かしい空気がある。
程なく見えてきた、鳥越神社のイチョウの木。力士の大銀杏は葉の形からくるがこの木は正しく「大銀杏」。
神社を過ぎ、やがて国道6号線=水戸街道と交差する。画面中央奥が蔵前橋、そのやや右に見えるガラス張りのビルは洗剤や歯磨き用品のライオン本社。
ここを左折、浅草駅の方へ向かうとまもなく複雑なつくりの六叉路に行き着く。
この界隈が面白い。
祭り半纏(はんてん)の専門店。
こちらは編みかごの専門店。
創業130年を超える老舗。こまもの屋/煙草屋として開業、大正時代にはブリキ玩具を、ブーム時にはモデルガンを扱い、現在はフィギュアがショーウインドウを飾る。
一方で和凧をメインにコマ・羽子板・ケン玉など、また季節毎の雛飾り・五月人形、更にお祭り関連の玩具・飾りといった伝統的な品を扱う店も。
こちらは駄菓子屋さんで見かけるおもちゃ扱いを専らとする。
左のラーメン屋の隣、明らかにかしいでいるが、現役の書店である。
勿論、大手の老舗も。
1階ロビーには最新から懐かしい物まで様々なおもちゃが…残念ながら「撮らないで」と看板が立っている。せめて、と外から撮れる『シルバニアンファミリー』のディスプレイを1枚。
水上バスが行く。
江戸時代には多くの渡し船があった。幕府の方針で橋は架けられなかった。
敢えて架けないことで江戸の護りとした、あるいは人や物の出入りの管理を容易にする為などと聞いたことがある。厩橋は明治になって架けられたが、後に架けなおされたのが現在の厩橋だ。旧厩橋は今の橋より100メートルほど下流にあったそうだ。
川添いに遡る。駒形橋が見えてきた。
厩橋や駒形橋の他にも東京には架橋から100年を超える鉄橋が数多く残っている。これは1923年に起こった関東地震とそれに伴う大火災—関東大震災の為だ。新たに架けられた橋は勿論、旧来の木製橋も全て丈夫で燃えにくい鉄製の橋にされたもので、そのお陰で後の東京大空襲にも耐え抜いた鉄橋が数多く残っている。
引き続き隅田川を遡る。吾妻橋が見えてくる。
吾妻橋は江戸時代に幕府が架けた5つの橋のうち最後に架けられた橋。幾度かの災害の後隅田川では最初に鋼の骨組みとなり、やはり関東大震災罹災後に現在の姿になったそうだ。
橋の下を行くのには橋脚に開いたトンネルを潜る。
抜けると観光案内でもお馴染みの光景が現れる。
左から墨田区役所、東京スカイツリー、アサヒグループ本社ビル、同社スーパードライホール(手前)。本社ビルがビールジョッキをイメージしている。隣の「もの」は金色の炎のオブジェで会社の情熱の炎を表している、のだそうである。
因みに30年程前にカナダから我が家を訪れた義弟の母君は首都高速道でこの真横を通過した際、
‘Oh,what a big poo!’
と宣うた。…印象は世界共通ということだ。
岸辺に造られたビオトープで餌を探す青鷺。そこここにビオトープが作られている。上流の千住大橋辺りには更に大規模なビオトープがある。東京都建設局、墨田区、すみだ水族館などが力を合わせて河川浄化・環境改善に取り組んでいる。
東武鉄道の隅田川橋梁が見えて来た。
この鉄道橋は真横を歩くことができる。
鉄橋の下を抜けて下流側に歩道橋が並行する。
首都高速6号線が跨いでいる。
「熱心すぎる」撮り鉄のような危険な真似をせずとも
こんな写真が幾らでも撮れる。もっとも架線柱やら柵やらが入り込んで、記録写真としては駄目なのだが。
列車に乗って車中からここに佇む自分を想像するのも面白いかも知れない。
地面に降りた。スカイツリーまでもう少し。
スカイツリーライン(昔は浅草線/伊勢崎線、と言った)の高架下はカフェやレストラン、ハンドメイド工房などが並ぶ。近年の高架下の利用法の典型。
更にスカイツリーに近づくと、
懐かしい雰囲気の道に出た。レンズ効果で広く見えるが乗用車2台分ちょっとの道幅。両側に並ぶのは町工場や個人商店、それらを改築した工房など。
ここではない別の区だったけれど私もこんな町で育った。狭い道だが休日には自動車の侵入が禁止され子ども達は地べた(といってもアスファルトの上)に座り込んでチョークで落書きしたり、ところ構わず駆けずり回ったりした。昔の東京都区内にはこんなところが沢山あった。
到着。





































