外国へ行くと、トイレにその国の文化があるように感じます。例えば日本のトイレットペーパーの幅は12.5cmですが世界は10cmです。スペインのトイレで気づいたことをまとめてみました。


休憩

ドライブインABADESの売店 店員がそばにいない売店

 11時43分、1時間20分走ったので運転手のルイスさんと我々の休憩のため、ドライブインに入った。ルイスさんはEUの労働規約のために、30分間エンジンを切っておかねばならない。このドライブインはそれまでのイタリア資本と違って“ABADES”というスペイン資本の経営になっているため、内部の感じが全く違い、その規模が大きいような気がする。ここでも店員は静かで、売店をのぞいている人に商品を進めてくることはほとんどないし、近寄ってもこない。また、トイレはその国の姿を現すことが多い。スペインでは同じ雰囲気のものはほとんどなく、あちこちにアートを感じる。入り口のドアや男女の表示、便器の形状、手洗いの形状、カガミ、壁や床の模様などそこを作った人たちの感覚があちこちににじみ出ている感じがする。しかし機能性は別だ。便器の高さは、カタルーニャ方面のドライブイン“AUTO GRILL”が、とても高かったのに対し“ABADES”の場合は低くなっている。

コルドバで昼食

 12時15分、ABADESを出発。数分すると、道の左右は見渡す限りのオリーブ畑になり、時々オリーブを搾る工場も見えてきた。この辺りはまだオリーブの収穫を行っている畑もあり、実をたわわにつけている木もたくさん見られる。すでに30分走っているので40キロ以上も、その景色が続いている。12時50分、綿花やブドウ畑が混在してきた。1時00分、コルドバまであと60km、13分に41kmという表示が見え、36分にコルドバの市内に入ってきた。バスは、グアダルキビール川を渡って止まり、徒歩で川沿いを歩いて、右手の「ローマ橋」と「カラオーラの塔」を見ながら、ローマ橋とつながる左手の道に入っていった。

坂を少し上り右折して30m歩いたところに、昼食レストランの“TRIUNFO”があり、13時53分到着。

コルドバのレストラン レストランTRIUNFO

コルドバの昼食1  コルドバの昼食2
生ビールらしくない生ビール  トマト味のスープ
コルドバの昼食3  コルドバの昼食4
最初と違う豚肉のスライス巻き  カラメルプリン
メニューは

飲み物は生ビール3.5ユーロをお願いした。冷えてはいるものの、味や風味は生ビールらしくない。

①前菜 トマト味のスープ

 生卵、麩のようなパン、ニンニクが入っている。味は薄味だが、微妙

 な感じがする。

②主菜 ハムの細切りを豚肉のスライスで巻き、パン粉をつけて油で揚

 げたもの

前菜から30分も経過した2時50分に出てきた。スープは既に胃袋

を通過している。

この料理は塩味が強く、長く待たせた割に味はいまいち以下である。

③デザート カラメルプリン

食事が終わって飲み物の料金を払うときになって山上さんが「皆さんすみません。今日の料理は行き違いがあって、ポークチョップだったものが変更になっていました。その関係で飲み物は無料とさせていただきます。」ということで食事を終了し、3時10分にレストランを出て午後の観光が始まった。


トイレ1   トイレ2
ちょっとおしゃれなトイレ   入りたくなるトイレ表示

トイレ3   トイレ4
思わず笑ってしまったタイル 左は男子用、右は女子用の表示

このレストランのトイレのドアにはタイルが一枚はめ込まれ、それには男と女をパロディーのようにデフォルメして焼き付けてあった。こういった遊び心はスペインにしかないようだ。

後で気づいたが、レストランの隣の塀の中が、これから観光するメスキータだったのだ。


いよいよ大目的のメスキータです。

今日は、ドンキホーテです。笑い話のようなお話ですが、その背景には時の政治に対する風刺も盛り込まれているようです。ただのお笑いでは、時代の評価には耐えられませんよね。何でも、世界で2番目に沢山売れている本だそうです。もちろん1番は聖書です。


コンセグラの白い風車

 9時10分、前方のコンセグラの丘にドン・キホーテが突撃したという白い風車が見えてくると、バスは高速道路を下り、一般道を走り始めた。道のあちこちに、白く光る大きなタンクを何本も並べたワインの工場が見えてきた。確かに、今まで見てきたブドウ畑の収穫では、このくらいの工場がないととても処理はできないのだろう。すれ違う大型タンクローリーも中身はワインなのだろう。

14分にコンセグラの田舎町に入ってきた。コンセグラは、コン(with)セグラ(姑)という意味だというから、洋の東西を問わず、姑は大きな問題なのだろう。

村の本当に狭い道を、切り返しもせずにルイスさんはバスを操り、コンセグラの孤立した風車の岩山を登っていく。その腕前に思わず皆さん拍手をしてしまった。その道には、ダイエットを兼ねてこの町の人が歩いて登っている姿を見ることもできた。

この町のたたずまいを見ると、各家は2つの入り口を持っていた。一つはドアの付いた正式なもので、もう一つは風通し良くするためにカーテンで仕切っただけのものだ。

それは、かつてその中に家畜を入れておき、夏の暑さや虫をさけるためにカーテンで仕切っていた名残だという。今になってみると、人間が夏を涼しく過ごすためのものになっているようだ。カーテンの模様にアラビアの匂いがする。
コンセグラの平野とワイン工場   白い風車
丘から見た平野とワイン工場  丘の上の白い風車
9時23分、人がいないコンセグラの丘に到着した。ここからは一帯の乾いた赤い平野が一望できるが、丘の上では11月の冷たい風が吹抜けていて、じっとしていると体がどんどん冷えてくる。この風が風車を長い間回し続けてきたのだろう。丘の上には砦もあり、それを挟んで町側に5基、反対側に7基の白い風車が立っている。それらの風車は、全て引退し、その羽が壊れているものが3つで、残りの全ては布を取り払って回らないようになっている。丘の一番はずれには、小さなモニュメントがありそこまで行って戻ってきた。

この丘はモナドノックだと思われる。

プエルタラピセ

ベンタデルキホーテ   ベンタデルキホーテの看板

ベンタ・デル・キホーテ    タイル製の看板

 丘から見たこの辺りの畑は、その土地割りが直線でなく不定型であることから、古くから人力で開発されたことが分かるし、一枚の畑も比較的狭く感じる。

10時01分、風車の南側にあるプエルタラピセの町に入ってきた。町というより小さな村である。この村には、ベンタ・デル・キホーテという旅籠屋があり、セルバンテスはそこに逗留してドン・キホーテを執筆したという。道に面した壁には旅籠の目印として、荷車の車輪を掛けてあった。旅籠屋は四角い中庭を囲んだアラビア風の建物で、セルバンテスは中庭に入ってすぐ右の2階に逗留したそうだ。中庭には、この辺りの昔の農具やドン・キホーテの銅像などが置かれ、写真などを撮った後、黒い小粒の実を付けたネズミモチの並木に出てバスに乗り10時25分出発。

ラ・マンチャはどこに行ってもドン・キホーテだ。それだけ昔から愛すべきキャラクターになっているし、それで村おこしをしているのかもしれない。世界のベスセラーの1位は聖書で、2位がドン・キホーテだと言っていた。そうであるならばと、この物語を買って読んでみたい気になってきた。

車窓観光6

 バスで移動する距離が長いので、どうしても車窓観光をすることが多くなってしまう。その時、皆さんのほとんどは、体力回復に時間を費やしているようだ。

この地方には、最近ニュージーランド製のセンターピボット式のスプリンクラー灌漑設備の導入が進んでいるそうだ。これにより、あちこちで井戸を掘って畑に水を効率よく供給しているので、農業の生産力が飛躍的に上昇しているそうだ。その農地で小麦を作ると、ヨーロッパ連合(EU)の小麦が過剰生産になるので、スペイン政府は小麦生産の抑制を迫られているという。しかし、この方法は地下水が枯渇する危険性と、地表に塩分が蓄積する塩害の危険性があるから、あと10年ほどしたらこの辺りはどうなっているだろうか。

11時10分、バスは相変わらず渋滞が全くない高速道路を、単調なリズムを刻みながら時速100kmで走っている。そのため、車内にはさらに睡魔が満ち満ちてきている。

その中で山上さんはマイクを握って、ドン・キホーテの「風車の巻」と「羊の群れに突入の巻」を朗読してくれ、それが睡眠薬のように、皆さんの中に染み渡っていくような気がした。すでに、高速道路を1時間も走っているが、道の左右は相変わらず刈り取りの終わった小麦畑、ブドウ畑、オリーブ畑が見え続け、ほとんど変化がない。

11時20分、道が徐々に登りになり、前方に山が幾重にも重なってきた。どうも、この辺りがカスティーリャ・ラ・マンチャ州とアンダルシア州の境のようだ。

久しぶりに羊がいたが、その後は全く見えない。このころ畑の土が灰褐色から黒褐色に変わり、小高い山間に入ってくると木は松とカシが中心になってきた。徐々に雨量が多くなってきているのだろう。


バスは南へ向けて、コルドバの町を目指していきます。

ヨーロッパの缶ビールは、なぜか330ccなのです。酒飲みはそれを知らなくても、「日本より少ないな」と分かってしまうのです。

 

夕食
 荷物の整理をして、ベッドに横たわっているうちに8時15分になったので、夕食に出かけることにした。部屋から見ると、レストランの位置は同じ階の反対側にあるので、廊下をぐるりと回って移動。早めに着いたので、ウエイターに“我々の席はどこですか“と身振りで聞くと”この辺りだ”といったのだが、自信が持てないので山上さんが来るのを待って、その席に座り食事が始まった。

マヨラルホテルの夕食1   マヨラルホテルの夕食2

マホビールと野菜スープ    ローストチキン

マヨラルホテルの夕食3 バニラとチョコアイスのサンド

メニューは

ビールは、mahou 330cc 5.5% 4ユーロ

①前菜 トマト味の野菜スープ

 ズッキーニ、カリフラワー、ニンジン、白アスパラガス、インゲン、

 グリーンピース、カブ、マッシュルーム入り

 スープをおいしく感じるのは、体が乾燥しているからだろうか。

②主菜 チキンのローストとゆでジャガイモのソテー

 チキンは肉がパサパサしているので、味付けで食べる感じがする。味

 はあまり濃くないのでよい。

③デザート バニラアイスとチョコレートアイスのサンド チョコレー

 トの模様付け

9時25分終了。

体の芯に疲労がたまってきているので、早めに部屋に戻りシャワーを浴びいつもの整理と準備をして就寝したのは11時になっていた。

11月15日(金)

朝食

 旅も今日が5日目。疲れていても5時30分に起き出してしまった。何となく気ぜわしく準備などをしているうちに、7時20分になったので、食事に行くことにした。レストランに行くとすでに何人かの人が来ていて食事を始めている。

マヨラルホテルの朝食 朝食は軽めです

メニューは

クロワッサン、クッキー、パウンドケーキ、ソーセージ、スライスソーセージ2、チーズ、リンゴ、ミカン、牛乳

リンゴは小振りのスターキング、ミカンは“きよみ”のような印象で、手で皮を向いて食べると甘くてとてもおいしい。ヨーグルトはプレーンがないので食べられない。今日の昼食は2時だといわれているので、皆さんその対策を立てているようだ。その中で人気なのが、ビニール袋入りのパウンドケーキだ。レストランを出るとき皆さんのバッグがふくらんでいたことはいうまでもない。7時50分に終了。部屋に戻って準備をしていると、8時15分になったので、荷物を持ってロビーへ降り、8時30分に定刻通り出発。

出発

今日は、運転手側9・10列に着席したが、南下するのでスペインの強い日差しをさけられないかもしれない。

マヨラルホテルを出発したバスは、トレド旧市街の崖を正面に見てから、ロータリーでUターンをし、再びホテルの前を通ってコルドバへの道を走り始めた。右後ろにはトレドのアルカサルが丘の上にそびえている。アルカサルはアラビア語の定冠詞アルと城のカサルからできている語だそうだ。アラビア語では頭にアルを付けることが多く、アルコール、アルミニウム、アルカリなどは日本でも普通に使っている。

車窓観光5

10分も走ると、カスティーリャ・ラ・マンチャの畑作地帯になり、オリーブ畑がはるか数km先まで続いているのが分かる。最近この道は“ワイン街道”と名付けられたそうで、ブドウ畑も広がっている。そこで作られているブドウは乾燥に耐えるようにとても貧相な姿をしている。樹高は50cm程度で、11月ということもあり枯れ木が転がっているようにしか見えない。家畜や野菜畑などは全く見えない。

時、左手に珍しく湿地が見えてきた。これは貯水池らしい。相変わらずなだらかな丘は見えるが遙か彼方まで乾燥した平野が広がっている。この地域を占領したアラブ人が「乾いた土地」と呼びそれに由来してラ・マンチャと名付けた理由がよく分かる。

人も家もほとんど見えないが、たまに農家があっても隣の家は数km離れているので、平野に家などないに等しい。

近年は、ブドウ栽培に力を入れる農家が増えているそうで、小麦畑をブドウ畑に転換しているようだ。すぐに利益がほしければ小麦を作り、自分の代に利益がほしければブドウを植え、子供の代に利益がほしければオリーブを植え、孫の代に利益がほしければコルクガシを植えるという例えもあるそうだ。

 

スペインの大地を車窓から眺めていると、ほとんど変化がありません。

でもその変化がない大地を見続けていくと、それが体にしみこんできます。

移動中に眠ってなんかいられません。

暮れなずみ始めたトレドのソコトベル広場から自由散策が始まりました。

その後チェックインした、トレドのホテルはちょっと変だなと思ったのです。

自由散策

ソコドルベ広場 夕暮れのソコドベル広場

 大聖堂を出て、両側におみやげ店が並ぶ石畳の道を5分ほど歩くと旧トレドの中心であるソコドベル広場にやってきた。広場はあまり広くはないが、その周りを飲食店やケーキ屋、おみやげ店などが取り囲み、新市街からの路線バスも入り込んでいる。

ここで、やや薄暗くなり、空気もヒンヤリとしてきた6時00分から1時間の自由時間になった。特に買うものもなく、大聖堂につながる道にあるお店を冷やかして歩くだけだが、まだかなりの人が通りを歩いている。肉屋と薬局があるので、かつてここは生活のための商店街だったのだろう。

スペインの商店の店員はおもしろい。冷やかしに店に入っても、近づいてこないのだ。おみやげ店でもそれは同じで、お客は自由にいろいろなものを見させてもらえる。気に入ったものを買うときや、何かをたずねるとき以外は、店員はほとんど近寄ってはこない。近づいてきても黙ってみているので、気にならない。どこかの国のお店に入ると店員がつきまとってくるのとは大違いだ。

広場に戻り、ハンバーグ店のトイレに入ったのだが、観光客が自由に入れないように、トイレのドアには鍵が付けられ、暗証番号を入力しないと開けられない仕組みになっていた。

暗証番号はレジでレシートをもらうとそれに印刷されているのだ。そこで、ほかのお客が暗証番号で開けるのを待って、一緒に入り済ませる方法をとった。

トレドのエスカレータ丘の上の旧市街から降りるエスカレータ

6時45分と、皆さんが早めに集まったので、55分に広場を出発し、ビサグラ新門のエスカレーターを3つ降りてバスに戻り7時03分に出発。

ホテル マヨラル(HOTEL MAJORAL)

ホテル マヨラル   マヨラルホテルのパティオ

ホテル マヨラルの正面玄関   パティオ

 急坂のつづら折りを降りると、7時09分にHOTEL MAJORALに着いてしまった。荷物を受け取ってホテルのロビーに入ったあと、チェックインを終わった山上さんが「ここではパスポートをチェックしますので、一度私に預けて下さい」というので預けると「それでは鍵をお渡しします。私は101号室です。今日の夕食は8時30分からで、1階(日本では2階)のレストランになります。明日は6時30分にモーニングコール、朝食は7時30分から、出発は8時30分を予定しています」ということで鍵をもらって部屋へ移動した。なぜパスポートを一度ホテルに預けるのだろうか?その意味が分からず困惑してしまった。パスポートは夕食の時に返却されたのだが・・・・・。

102号室 マヨラルホテル102号室

このホテルの外観は新しい感じだが、中はやや古く床は板張り、ベッドも木で室内装飾は木調である。壁には白地に青模様のアラビア調のタイルがはめ込まれ独特の雰囲気を出している。ホテルのテレビが初めて薄型でLG電子製であるなど、機械の部分は改装をしてあった。隣室の話し声や水音はその人と断定できるくらいはっきりと聞こえるが、部屋は広く圧迫感はない。このホテルの構造はおもしろい。ホテルの中央に中庭のパティオがあり、その周囲に内側の部屋、中廊下、外側の部屋が配置されているので、上から見ることができればとロールケーキの断面のようになっている。102号室は内側の部屋の角にあった。中庭を見ると、壁などにアラビア的雰囲気を感じさせてなかなか良い。部屋の鍵は、昔風の鍵を差し込んで二段階に回転させるものだったので開けにくい。隣の部屋の人が助けを求めて来たので、出張したほどだった。


このホテルはパティオのある構造だったので、どことなく良い感じです。ただ防音が・・・・。

この後夕食に行きます。

トレドにやってきました。

いろいろな文化が入り混ざった独特な場所のようです。


トレド
トレド遠景
テージョ川が天然の堀となっているトレドの旧市街

 3時45分、トレドに入ってきた。トレドの町はタホ川が砂岩の台地を嵌入蛇行して深い谷を形成し、取り残された丘の上に作られているので、クエンカの町と同じ構造だ。

対岸の展望台からトレドを見ると、そこはカマボコのような傾斜地だが、そこに石や粘土作りの家々や宮殿がへばりつくように建ち、家々の色はこの地方の土の色“ベージュ”を基調としている。タホ川の水は深い峡谷に濃い緑を残し、右前方から手前、手前から左前方へ大きくU字型に湾曲して、はるかリスボンを目指して流れていく。リスボンではテージョ川と呼び名を変え大西洋に流れ出しているのだ。

バスは、崖沿いに作られた道を下り、橋を渡って旧トレドの麓に入っていった。

その辺りは、どこでも道は狭く、家がびっしりと建っている。その道を右へ左へ曲がりながら登り、4時04分に看板が何も出ていない“彫金工房”へ入った。

彫金工房の職人さん 彫金作業中の職人さん

トレドでは彫金が有名だという。そこでは、指輪、ネックレス、ブローチ、ペンダント、時計、ナイフなどの貴金属製品を、様々な技巧を用いて芸術的に作っていたが、お値段もそれなりになっていた。ほかにも、サーベル、皮製品、扇子、陶器なども売られている。

何人かが何かを買ったようだが、他の人は見ているだけだ。トレドの城壁内の旧市街は、家が建て込んでいてバスを停める場所がないのに、大量の観光客が押し寄せる観光地になってしまった。そこで問題になるのがトイレだ。善意で貸すと大変なことになるので、一般にトイレは貸してくれないらしい。そこでこの彫金工房に入ってトイレを借用したのだ。4時35分出発。

4時48分、アラブ人が作った高い城壁の下にバスを停め、エリアスが設計したという5つのエスカレーターを乗り継いで城壁内の旧市街地に入ることができた。そこからはトレドの新市街地が一望できる。

サント・トメ教会とトレド大聖堂

 狭い石畳の道を歩いて、サント・トメ教会に着いたのは5時だった。サント・トメはトレドの守護聖人である。この教会はそれほど大きくなく、入り口を入った右手に、グレコが描いた「オルガス伯爵の埋葬」という大きな絵が掛けられている。伯爵は死んでから、この教会のためにたくさんの遺産を残したことから、このような絵を掲げてその功績を感謝しているようだ。

5時10分、聖堂内に入ってみるが、14世紀にイスラム教のモスクを改装したものなので建築様式は一般的な教会とは違った感じがする。
トレド大聖堂 夕日を浴びているトレド大聖堂
5時20分、トレド大聖堂へ移動した。ここも、モスクが教会に改装されたもので、教会の建物内に、主祭壇や聖歌隊席、一般礼拝席がバロック様式で派手派手しく追加されていた。そのため、主祭壇は奥の壁に作られず、礼拝堂中央の奥よりに作られていた。

この教会は大きなもので、左右にそれぞれ4列の太い石柱を配置し屋根を支えている。

聖体顕示台   羊皮紙の聖書

聖体顕示台          羊皮紙の聖書

5時35分、宝物殿に入った。そこには羊皮紙で作られた聖書が3冊置かれ、金銀宝石で作られた聖体顕示台や十字架などが、きらびやかに置かれていた。聖体顕示台は年に一度の聖体祭の時に教会の外へだされ、町中を練り歩くという。

羊皮紙で作られた聖書はあまり目立たないが、本物は別のところに保管されているそうで、ここには複製品が展示されていた。値段が付けられない代物だ。この羊皮紙1枚を作るのに生まれて間もない子羊1頭が必要だというから、3冊の聖書には1000頭以上の子羊が犠牲になっている。紙のなかった時代だからやむを得ないのかもしれないが、やはり動物と共に生き、それを食料としていた文化だという印象を受ける。

5時55分、大聖堂の横から外に出て歩いていると、荘厳な教会の鐘の響きが頭の上から降ってきたが、その時、疑問がわいてきた。

オルガス伯爵はお金を残し、それを教会に寄付して絵に残された。大聖堂には目にもきらびやかな金銀財宝が献上されている。サント・トメという人は、聖人という偉い人になっている。

カトリックは、教会にお金を寄付した人や良いことをした人を優遇し、同じ人間なのにより神に近い人と位置づけているではないだろうか。それでは貧乏な人は神に近づけず救われる確率が下がるのだろうか。人知れず敬虔に信仰をしていた人もそうなるのだろうか。神のもとでは、人間は平等だったはずなのに、カトリックの教会を訪れるといつもそのような疑問におそわれる。



最近、キリスト教の教会を観光で見ることが沢山あります。

今回もそうでした。特に今回はイスラム教のモスクと並んでみることになったのですが、どうも違和感を覚えることが多いのです。

貧しい人がたくさんいた中世なのに、教会には、金金キラキラの金銀財宝がたくさんあったのです。何か矛盾を感じてしまいます。

それに対して、イスラムのモスクはがらんどうです。

ピカソをみてから、お昼ご飯を食べに行きます。

その途中でまたもやスリさんに出くわしました。被害は誰も受けていませんが、そのような生き物を実際にみたことがなかったのでとても興味がありました。

ソフィア王妃センター

 12時10分、アトーチャ駅前に移動してバスを降り、歩いていったが、ガイドのとも子さんがイヤホンで「スリがいます」と注意をしてきた。

見ると、後ろの方へ足早に歩いていく女性が見える。それがスリだったのだ。

ソフィア王妃センター

アトーチャ駅から見たソフィア王妃センター

12時14分にアトーチャ駅のそばにあるソフィア王妃センターに着いた。22分に総ガラス張りのエレベーターで上の階にあがり、ピカソの「ゲルニカ」の前に立った。

ゲルニカは、スペイン北東海岸バスク地方のビルバオの東にある小都市の名前である。

1937年のフランコ独裁時代の内戦では、フランコを支援するナチスドイツと反フランコを支援するロシアがぶつかっていた。そのときこのゲルニカ市がナチスドイツに無差別爆撃を受けたのだ。

同じ頃、1937年にパリ万博が開かれるので、ピカソはスペインパビリオンの壁画を依頼されていた。何を描くか考えていたピカソは資金をほとんど使ってしまったが、その時ゲルニカの悲劇を聞き、一度も行ったことのないゲルニカを題材に、想像でこの壁画を完成させたのだ。絵は黒白のモノトーンで牛、馬、闘牛士、目、光、母子、ゲルニカ市民などが描かれている。ピカソは、この壁画は見た人が見たままに感じてくれればいいといって何もコメントを残していないが、後世の人が様々に論評をしている。ピカソの絵は難しい。解説されるとそのように感じてしまうが、凡人には分からない。良いというのだから良いのだろう。

12時46分、サルバトール・ダリや老人のガウディに刺激を受けたホアン・ミロの作品を見た。ダリは兄が死んだあとに生まれたので、父親がダリに死んだ兄の名前を付けてしまった。そのことからコンプレックスの塊になってしまったそうだ。その後、立方体を絵の中に組み込んだキュービズムの作品で登場し、有名な画家になった。

ピカソ初期の作品 ピカソの「婦人」

この後、ピカソの青の時代初期の「婦人」を鑑賞して1時に下へ降り、8分にバスに戻って出発した。

昼食

 1時25分、バスを降り、31分にレストランの“Las Descalzas“に着いた。

このレストランは、スペインのバール式で、大皿に料理をのせて出され、同席者が自分の小皿に取り分けて食べる形式だった。
マドリードの昼食1  マドリードの昼食2
マホビールとオムレツとムール貝  サラダとキノコ
マドリードの昼食3  マドリードの昼食4

イカのリング揚げ       バニラアイス
メニューは

飲み物は、“Mahou“という瓶ビールを注文。3ユーロ、330cc 5.5%

このビールは、苦みがあるが歩いてきたせいかおいしい感じがする。

①生ハムとムール貝とジャガイモの入ったオムレツ

ムール貝は酢の味でさっぱりとし、野菜のみじん切りも乗せてあるの

で爽やかであった。

生ハムは少し硬いが、噛んでいると味がにじみ出て来ておいしい。オムレツはタマゴというよりジャガイモペーストのような感じがする。

②サラダ トマトとレタスにオリーブオイルとワイン酢をドレッシン

③キノコの生ハム・タマネギのみじん切り詰めオリーブオイル炒め

④イカのリング揚げ  甘くておいしい

⑤バニラアイスクリーム  少し黄色みが強く濃厚な感じがする

全体にこの食事は味にバランスがとれていて、美味しく食べられてので、とても良かった。

2時27分に終了し、39分にバスに戻り出発した。

車窓観光4

 グランビア通りを南に下り、アトーチャ駅前を3時に通過すると、5分後にはトレドに向かう高速道路を走っていた。建物がだんだん少なくなって行くに従って、カスティーリャ・ラ・マンチャ州の広大な畑が広がってきた。1枚が数ヘクタールもある畑がごく普通に延々と続いている。畑と畑の境界がほとんど直線であるのは、鋤農耕文化の影響だろうか。それにしても日差しが強すぎ、畑の土はほとんど乾いている。


ピカソの「婦人」と言う絵は、ピカソが展覧会に出品したら2等だったので、頭に来たとか言う話がありました。

それにしても、ヨーロッパでは、大切な絵でも写真撮影自由の場合も有れば、禁止の場合もあります。その境目が分かりません。

この後、トレドに行きます。

今日は、プラド美術館に行くのですが、写真は禁止ですのでガイドさんの話したことを文にしてあるだけです。

名画はやはり名画ですね。でもピカソは分かりません。



王宮

スペイン王宮 王宮前広場にあるフィリップ4世の騎馬像

 9時24分、王宮に着きバスはギリギリに狭い通路を入って地下駐車場にとまった。階段を上がり王宮前に出ると、後ろ足で立った馬に跨るフィリップ4世の銅像がある。これはベラスケスが描いた王の絵を、レオナルド・ダ・ビンチが計算をして、作成したものだという。ベラスケスの絵の通りに像を造るとバランスが悪く、像が倒れてしまうそうだ。この王宮は公式行事に使われ、ファン・カルロス王はほかの宮殿で生活しているそうだ。

免税店Lepanto

 9時36分、王宮前広場を出て、やや急な石畳の坂道を上って左手にあるLepantoに入った。目的はトイレ休憩だが、お買い物も兼ねている。並べられている品は、皮製品、衣料、スカーフ、チョコなどであるが、ちょっとしゃれたブティックといった感じだ。まだ朝ということもあって、女性陣の買い物行動も炸裂せず静かな時間が過ぎていく。10時12分出発。

プラド美術館

 10時35分にプラド美術館に到着した。

美術館の開館時刻が10時なので、それに合わせて時間調整をしていた感じがする。

プラド美術館前のゴヤ像 プラド美術館前のゴヤ像

バス通りから階段を下りるとゴヤの銅像が出迎えてくれる。左に回って現地ガイドのトニーさんから入場券(15ユーロ)をもらい、手荷物チェックを受けてから中に入った。

受付と広いロビーがあり「これから鑑賞に行きますが、終わったあとは自由時間になります。集合は外へ出た右手の階段の上で、11時55分といたします。トイレはロビーにありますから、集合までに必ず済ませておいて下さい。」

と連絡を受けて、とも子さんの解説で鑑賞を始めた。

ゴヤ

・「1808年5月2日、3日」という絵は、フランス軍とマドリード市民の戦いです。

・これは、ゴヤがどん底時代に描いた絵です。彼は80歳台まで生きましたが、耳が聞こえなくなり心の闇を、このようなくらい色調の15枚の絵で残しています。

・「我が子を食うサツルヌス」は、ナポレオン以後の混乱と徴税によるマドリード市民のどうしようもない状況を描いたものです。

・「裸のマハ」「着衣のマハ」この絵は、最もよく知られているものの一つで、モデルはアルバ侯爵ともジプシー女ともいわれています。“La Maja(マハ) desnude”は“裸のいい女”という意味で、いい男の場合はMajo(マホ)となります。

・「カルロス4世の家族」これは12人の肖像画で、中央にカルロス4世、右側にマリア・ルイス・デ・パルマ、左奥にゴヤは自分の顔を描いています。この絵は、目がうつろで生きていないし、表情の変化が乏しいものになっている。絵には、レンブラント流に左上から斜めの光線を組み込んでいます。

かつてスペインはフランドル地方のオランダ・ベルギーを領土としていました。その頃その地方で活躍していた画家の作品もフランドル派として展示されています。

ルーベンス

・「三婦人」は、エレーナ、イサベル(エリザベス)と架空の婦人が描

 かれたものです。

レンブラント

・「Judith at the banquet of Holofernes」(ホロフェルネスの祝宴のジュディス)は1634年の作品で、ジュディスにスポットライトのような光を当てています。光を効果的に使うレンブラントの作品になっています。

バルトロメ・ムリーニョ

ぼかしを生かした画家です。

ベラスケス


・「キリストの架刑」この作品では、キリストは十字架に掛けられてい

 ますが、両手両足に計4本のクギを打たれ、足台を描きその上にキリ

 ストを立たせています。

光線法も利用し、キリストに光を当てて浮き出させています。

クギ3本足台なしではキリストの体を十字架にはかけられないし不自然だと師匠にいわれ、そのアドバイスで、クギを4本にして足台を描いたのです。

・「フィリップ4世の乗馬」王宮前の銅像の原型になったもので、馬の後足の位置が不自然だと指摘され修正したものです。よく見ると、以前の馬の足が見えます。

・「女官たち」(ラス・メニーエス)この絵の中央に描かれている女の子はマーガレット王女です。この絵はとても有名なものの一つで、空間遠近法という技法を使っています。

最前面から①小人と犬 ②女官とマーガレット王女 ③画家 ④尼僧と男 ⑤壁の肖像画 ⑥階段を上る男と配置し、6つの空間で遠近感を表し、2番目と6番目の空間に光を当ててさらに立体感を出しています。

・「ブレダの開城」のブレダはオランダの都市で難攻不落のお城があった。この地域はオランダとスペインが何度も戦いをしていたが、スペインが勝利したところを描いたものです。この時代の人物はカメラ目線のように描かれ、右手の端にベラスケスがいます。

グレコ

イタリア出身のギリシャ人で本名は違います。イタリアではギリシャ人をグレコと呼ぶので、スペインに来てエル・グレコと呼ぶようにしたのです。

当時のフィリップ2世にはあまり評価されなかったので、不遇な生活をしていました。

・「自画像」

・「三位一体」キリストを中心にした絵で、人物を長身に描き12頭身

 になっています。

・「キリストの脱衣」

これらを見て、11時45分にエレベーターで受付脇の広いロビーに戻ってきた。

ダビンチの弟子が描いた「モナリザ」を見に行ってからトイレを済ませ、集合地点に着いたのは11時55分だった。バスに移動して12時04分に出発。

プラド美術館はもっと時間を取りたいところですが、やむを得ません。

ただ、浅学非才としては、やはりガイドさんの解説があるとその興味が一段とわいてくるので面白いです。

「何事も先達はあらまほしきことなり」といった鴨長命の格言は正しいです。

今日はマドリード観光です。みるべきものは沢山ありますが、日程の関係上沢山みることはできません。その中で可能な限り何でもみていこうと思っています。

 

11月14日(木)

朝食

 朝は相変わらずだが、昨夜は寝ていたようで、5時30分になったので起き出した。着替えを済ませ、荷物を整理していると7時に近くなったので食事に行くことにした。

レストランはここもビュッフェスタイルだが、どうしても食材を取りすぎてしまうきらいがある。こういった旅行は、少なめに食べておいた方が体によいのだが、料理を取り始めるといつの間にか多くなっているので嫌になってしまう。

マドリードの朝食 野菜が少ない朝食

メニューは

クロワッサン、マフィン、チョコペストリー、生ハム6枚、ハム2枚、チーズ4枚、リンゴ、牛乳2カップ、ヨーグルト

リンゴは有ったが、野菜系のものは一切ない。味は相変わらずで、変化なし。

ホテルの朝食に、文句を言うのは贅沢というものだろう。

7時30分に終了し、部屋に戻りスーツケースの鍵を閉め、8時12分にロビーに降りていった。空は晴れ、空気は少しヒンヤリとして気持ちよい。

出発

ホテルの前にバスが来て、指定されたとおりに、右側最後尾の11、12列目に着席し、定刻通り8時30分に出発。山上さんの朝の挨拶が始まった。「皆さんおはようございます。今日もバスを運転してくれますルイスさんです。よろしくお願いします。」拍手「お忘れ物はございませんか。5分以内なら間に合いますが、それ以上経つと大変なことになります。

昨日、シェラネバダに雪が降ったそうです。マドリードは標高700mの位置にありますので、ヨーロッパでは最も高い位置にある首都になっています。この後、バスはマドリードの中心に向かい、プラド美術館の観光を行います。この美術館にはベラスケス、ゴヤ、グレコを中心とした作品が展示されています。入場が混雑しますので、開館にあわせて早めに出発しましたが、現地ガイドの方に入場券を手配してもらっています。ここスペインでは失業問題もありますので、必ずガイドを雇わなければなりません。もし、バスを降りて私が説明をいたしますと、ガイドの仕事を奪ったことになりますので、大変なことになります。」とマドリード南東にあるホテルから市の中心部に向かっていくが、バスは朝のラッシュに巻き込まれてしまった。

ゴミ収集ストライキ

ゴミストライキ中 ゴミ収集ストライキ中

市の中心部に入るに従って、町がとても汚い。町中ゴミが散乱し、人々はそのゴミを踏みつけながら歩いている。山上さんが「今、マドリードはゴミ収集者のストライキが行われ、このような状態になっています。町の人も自分の家の前ぐらいは掃除すればいいのに、と思いますが、しませんね。ストライキに協力しているのでしょうか。」という。本当にゴミだらけだ。ゴミ箱はあふれかえり、歩道にはプラタナスの落ち葉とゴミが舞っている。人々はその中を平然と歩いているのだ。

スペイン広場

ガイドのとも子さん   スペイン広場のドンキホーテ

ガイドのとも子さん      ドンキホーテ像

 8時55分、マドリード南東の入り口“アトーチャ駅”でガイドの“とも子さん”を拾って観光開始。中央郵便局、凱旋門を見て、グランビア通り(大通り)を下りきったところがスペイン広場。ここで現地ガイドのトニーさんが合流。この広場は、ローマのスペイン広場が有名になったので、それにちなんで20世紀に作られたものだという。公園の真ん中に大きなセルバンテスの像があり、その前にドン・キホーテとサンチョ・パンサの主従の銅像がある。とにかくゴミが多い。

9時20分に公園を出発。空気が冷えているので、日陰にいると体が冷えてしまう。

 

ちょっとしたことにもヨーロッパの文化を感じてしまいます。

今回は、ゴミでしょうか。イタリアのナポリでもそうだったのですが、ヨーロッパの労働者は常に戦っているように思います。

そうです。経営者は常に利益を上げるために給料を下げるのですから。

ヨーロッパは強烈な階級社会なのです。

私の階級は、どう考えてもプロレタリアですね。ブルジョアなら旅物語で旅行はしません。

ヨーロッパではなぜか、ガス入りの水がポピュラーに売られているのです。

見分け方は、ボトルを左右から押してみれば分かります。

凹むのはいわゆる水、弾力が強いのはガス入りです。

ガス入りは苦手です。

マドリード ホテル“H2 MERCADER”

ホテルMERCADER ホテル MERCADER

 クエンカからマドリードまでは165km。夜道になってしまった高速道路では見るものは何もなく、静かな車内にはジーゼルエンジンの音だけが単調に響いている。

7時44分、遙か前方にマドリードの町の灯が、視界の幅いっぱいに見えてきた。その光はどんどん明るさを増し、8時09分に高速道路の脇にある“H2 MERCADER”ホテルに着いた。

山上さんがチェックインを済ませたあと「皆さん長い距離をご苦労さまでした。私は107号室です。私への電話は1107に掛けて下さい。夕食はレストランで8時45分からとなります。明日のモーニングコールは6時45分、朝食は7時、出発は8時にいたします。それでは鍵をお渡しします。」と連絡を受けて鍵をもらい、101号室へ移動。

夕食

 部屋に荷物を置いて、すぐにレストランへ移動し、8時47分から食事となった。

マドリードの夕食1  マドリードの夕食2

テーブルにあった赤ワイン    魚介のトマトスープ  

マドリードの夕食3  マドリードの夕食4

牛肉のトマトソース煮込み    プロフテノール

なんとこのホテルでは、1テーブルに赤ワイン1本と水1.5リットル、ガス入りの水500ccが無料で置かれていた。スペイン製の赤ワインは癖が少なくおいしい。

メニューは

①前菜  魚介のトマトスープ

 ムール貝、パスタ、イカ、タラ、パプリカ、アサリ、タマネギが入っ

 ている。

②主菜  牛肉のトマトソース煮込みサラダとフライドポテト添え

 グリーンピース、ニンジンも入れて煮込んであり、サラダはレタス、

 赤大根、トマト、ニンジン、牛肉はやや堅目ではあるが、これくらい

 の歯ごたえでよいかと思う。それにしても味付けにトマトをよく使う

 国である。

③デザート プロフテノール

 シューアイスクリームにカラメルとハチミツを掛けてある。

甘くておいしい。ハチミツは濃厚で水気が少ないように感じる。

同席になった人ととりとめもない話しをしながらおいしく食事をし、10時になったところで引き上げて部屋に戻ってきた。

これまでのスペインの料理

 これまで食べた料理は、価格の問題もあろうが旨味というものがない。安い旅行だし、まだ十分に分からないからしょうがないのかもしれない。

ただどの料理でも野菜が圧倒的に少ない。特に朝の食事で野菜・果物が少ないのがつらい。

これはスペインの食生活の基本なのだろうか。前菜・主菜・デザートというパターンはヨーロッパ共通だが、イタリアやフランスとはその味付けが異なるようだ。

ビールは苦みが強すぎる。ワインも少し癖が強いというか、はっきりしていないというか。良いものを手に入れればいいのだろうが、それらはいずれも高価であるから、手が出せない。ということはスペインの人たちはこのような味が基本なのだろうか。何を食べているのだろう?

101号室

101号室 室内が暗い101号室

 今日はバルセロナ・クエンカ・マドリードと合計705kmも走った。実質の乗車時間を計算してみると、8時間30分になっていた。そのせいか、いまだに体がふわふわと揺れている。

この部屋は、清潔で静かで、まだ新しい感じがする。バスタブ・シャワー、トイレも清潔でよい。西洋式バスタブは滑りやすくて困る。いっそのことシャワーだけの方が良いくらいだ。これはどのホテルでも共通している。また部屋の照明があまり明るくないのもスペインでは共通している。高速道路も照明がなかったから、スペインは電気の節約をしているのか、それとも明るくしないのが文化なのだろうか。

明日の準備をしてからシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだ時はもう12時に近くなっていた。明日の出発は8時30分だから、早く寝付かなければならない。

 

明日は首都のマドリード観光ですから早く眠ることにしました。

実はまだ時差ボケが治っていないのです。

体がスペインになじんでいないのでしょうか。

ちょっと旅行に行っていましたので、ブログを更新できませんでした。

今回はクエンカです。

この町をみていると、かつてのヨーロッパはずいぶん危険な地域であったことを思い知らされました。

有名な都市はほとんど城壁で囲まれた城壁都市ですし、イタリアに行きますと丘上集落を沢山みることができますしね。


3回目の休憩

既に90分走っているので、3時35分に3回目の休憩を“AUTO GRILL”で取ることになった。

朝、ホテルを出発してから6時間近くバスに乗っているので、バスを降りても足がふわふわして、地面が揺れている感じがしてしょうがない。売店を見る気力もなく、3時56分にルイスさんからティオさんに運転が代わって出発。

カスティーリャ・ラマンチャ州の乾いた赤い大地をバスは走り始めた。時々町と村が見えるだけで何の変化もなく、見渡す限りの畑が続き、遙か彼方に山がかすんでいるだけだ。畑には人影もなく家畜の姿もなく水らしきものは何処にもない。

クエンカ

 4時52分、ようやくクエンカの新市街地に入ってきた。それほど大きくない市街地を抜けて、5時に丘の上にある旧市街地の麓にある駐車場に着いた。


クエンカのディエゴさん クエンカのガイドディエゴさん
駐車場にはガイドのディエゴさんが待っていて、早速クエンカの旧市街地を目指して徒歩で出発した。駐車場はウエカル川の谷底にあり、そこから見上げると、“宙吊りの家”など旧市街の建物が高い崖の上にこぼれ落ちそうに建てられている。ウエカル川の谷底の橋を渡ってから、川と平行な少し急な坂を10分ほど登っていくと、橋桁を赤く塗った長さ45mのサン・パブロ橋にたどり着いた。


サン・パブロ橋と宙づりの家 サン・パブロ橋とクエンカの遠景
ここには16世紀に石橋が造られたが崩れてしまい、その後鉄橋を架けたがこれも崩れてしまい、1800年代に現在のものに架け直している。橋を渡り終わると道は左に曲がり、石畳の急坂を40mほど登っていくと“宙吊りの家”に着いた。
宙づりの家 宙吊りの家
昔は、家の敷地に税金がかかったので、崖の外に張り出した“宙吊りの家”がたくさん建てられたが、砂岩の風化で落下してしまったものや、壊れてしまったものもあり大幅に減ってしまっている。

“宙吊りの家”から道は右へ曲がり、幅の狭い道を登っていくと、通路の上に太い材木を掛け渡し、その上に住居を建てている家もある。このような狭い道の左右には、間口があまり広くない煉瓦造りの建物がびっしりと並んでいる。煉瓦には補強のために鉄骨を入れている家もあり、煉瓦の表面は漆喰で白く塗られている。そこを抜けると小さな広場があり、元の王宮の方向を向いたアルフォンソ8世の銅像や美術館も建っていた。アルフォンソ8世はレコンキスタでクエンカの町を開放した人である。またこの広場には展望台もありクエンカの新市街地も眺められた。さらに細い道を進んでいくと、モスクを改装した教会が現れてきた。教会に沿って正面のファサード側に行くとそこは中世都市の広場(プラサ・マヨール)。
クエンカの旧市庁舎前広場 教会側からみたクエンカの広場
広場に面したこの教会のファサードは20世紀のものであるが、その後ろ側は12世紀のゴシック建築で、守護聖人はサン・ジュリアンとなっている。全面石畳のその広場は、傾斜が急で中央が車道になっていた。もし、この広場の路面が濡れていたら転倒の危険性があるくらいの傾斜になっていた。

教会前から広場の下方向を見ると門があり、その上は市旗、国旗、州旗、ユーロ旗の4本を立てた市庁舎となっていた。現在、この旧市街地には、3000人が住んでいるが、生活用品のお店や駐車場がないので、とても住みにくく売り家がとても多いということだ。また世界遺産に指定されているので、建物を改築することもできず、現在の建物も左右で支え合って維持させているそうだ。

市庁舎の下から広場を抜け、右手にあった木の仮設階段と急坂を登ると修道院広場に出た。さらに進むと、16世紀に建てられたマンガーナの塔と旧ユダヤ人居住区に出た。そこからはクエンカの町が一望でき、フカール川の水が深い谷の底に見えている。このことから、旧クエンカは三方を急な崖に囲まれ、防衛を最重点に置かれた都市であることがよく分かる。それだけ中世のヨーロッパは危険な地域だったのだろう。

ユダヤ人居住区は破壊されていたが、それはアルフォンソ8世のレコンキスタ以降のことであるという。アラブ人は、税金を払えばユダヤ人を含めて誰でも自由に商業活動をすることを認めていたのに対して、キリスト教を信仰していたスペインは、キリストを認めないユダヤ人を迫害して追い出し、ユダヤ人の居住区を破壊してしまった。ここにはその迫害の証拠がいまだに残っていた。
崖に建てられた家 絶対に住みたくない崖の家
道を引き返し、仮設階段から市庁舎の下へ戻って、広場の右手の道を入り、崖に作られた転げ落ちそうなつづら折りの急坂を降りていった。その崖には12階建ての家がへばりつくように建てられ、ところどころに材木で出窓のような部屋を突き出して作ってある。トイレだそうな。

この急坂を下りたところが駐車場で、たどり着いたときは6時03分。トイレを済ませ、13分に出発。バスは夕方の渋滞で混雑する中世の風情を残す狭い道を、ライトを付けて戻ってきた。


時刻は既に6時を回っています。つるべ落としで迫る夕闇の中を、バスはマドリードに向けて160kmちかくを走っていくのです。