とにかく700kmも移動していますので、単調な景色の中に何か変化を求めている自分がいます。


2度目の休憩

ジャカランダ 季節はずれのジャカランダ?

11時43分、1度目の休憩から2時間が経過しているので、ドライブインの「AUTO GRILL」で2度目の休憩を取ることになった。ここでの休憩は30分。

駐車場にはもう季節はずれとなった“ジャカランダ”の花が1房2房咲いていた。生け垣にはブーゲンビリアも咲いている。12時18分出発。

昼食

 12時30分、バレンシアの町に入ってきた。町中には闘牛場なども見えている。

46分には昼食レストランの“BRUSELAS”に着き、2階の席に案内された。

ビール1 苦味が強めのスペインのビール

飲み物は全て2ユーロだといわれ、ビールを頼んだがコップで出されたので銘柄が何処なのか分からない。スペインのビールは苦みが少し強くさっぱり感がないのが特色のようだ。フレッシュジュースは注文後に絞るので、少し酸味があるようだ。白ワインを注文した人から味見をさせていただくと、甘みが少なくさっぱりとした感じで、もう少し熟成させても良いかなという感じがした。

バレンシア昼食1   バレンシア昼食2

前菜のサラダ         ポークソテー

バレンシア昼食3   食後酒

デザート           食後酒のビーノ・ドルセ

メニューは

①前菜 サラダ  レタス、トマト、ニンジン、トウモロコシ

オリーブオイル、ワイン酢、塩、こしょうで味調整をするのは同じ。生野菜はおいしい。

②ポークソテーのポテトフライ添えニンジン入り

おいしい

③デザート チョコレートケーキのクリームホイップ添え

甘みが強すぎてあまり旨くない。

食後に食後酒として、小さなコップでビーノ・ドルセ(甘いお酒)という白ワインが出された。甘口で、ブドウを搾って発酵させたばかりのような味、ブドウの粒をたくさん食べた後のような味がする。酒が飲めない人の分までごちそうになって終了。

バスに戻って2時に出発。

車窓観光3

バレンシア北駅に向かってT字路を右折し、市内をプチ観光。

道が狭く、旧市街地にバスが入れないこと、バイクが多いのはスペインに共通している。

町中を走っているバイクは小型のものやスクータータイプもあるが、中型・大型もたくさん走り、ドイツのBMW、カワサキが目立っていた。ヤマハ、ホンダ、スズキはほとんど見られない。スペインにはバイク・自動車のメーカーはないので、全て外国企業の現地生産か、輸入に頼っている。その中で、世界1のオートバイレース“モトGP”19戦のうち4戦がスペインで開かれているのは不思議な感じがする。そこで走るバイクは、日本、ドイツ、イタリア製だけだ。

走っている自動車はフランスのシトロエン、プジョー、ドイツのBMW、オペル、フォルクスワーゲン、アウディ、ベンツ、アメリカのフォードがほとんどで、時々トヨタ、スズキ、ニッサン、イタリアのフィアットがみえる。その他のメーカーのものはほとんど見ることはない。タクシーに、プリウスがちらほらと見えている。

ヨーロッパでは基本的にエンジンはジーゼルで、変速はマニュアルシフトとなっている。

バレンシアの町中には大きな街路樹が植えられ、枝を大きく茂らせている。ナツメヤシはたくさん実を付け、シュロ、ジャカランダ、プラタナスなども見ることができる。

地名の頭に“AL”の付いたものがたくさん見られるのは、かつてアラブ人が支配していた名残である。

バスは、2時20分に道を西へ取り、内陸のクエンカを目指して進み始めた。

すぐに郊外に出ると、川はあっても水がない。しかし春先になると雪解け水によって洪水が起きることもあるそうだ。イスラム人は水のコントロールを行っていたので、農業関係の地名用語にはアラビア語の影響がたくさん残っているという。

2時30分、右手に自動車レース場が見えてきた。調べてみると、ここはバレンシア・リカルド・トルモサーキットといい、モトGPが開かれる有名なところだったのだ。

2時35分、バスは地中海岸の豊かな平野(プエルタ)を離れて、徐々に登りにかかってきた。この辺りの農家は小規模で斜面に張り付くように家を建てている。周囲には畑や果樹園もなく松林ばかりでどの様に生活しているのだろうか。最近マドリード・バレンシア間に鉄道が敷かれたばかりで、道路と平行に真新しい鉄道の線路が走っているが、今まで貨物の輸送はどうしていたのだろうか。自給自足だろうかトラックだろうか。見ていると疑問がたくさんわいてくる。

乾燥したスペインの大地 どこまで行っても平坦なスペインの大地

2時45分、フロントガラスに雨粒がつき始め、道路が濡れている。左右には幅が数kmの谷が現れ、だんだんその幅が広くなっていく。谷は一面のブドウ畑で、それがずっと続いている。バスは時速90km程度で走っているから、10分も走れば15kmもその景色が続いていることになる。この面積だけで山手線で囲まれた面積と同じくらいになる。

3時にウェテルという町を通過した。

内陸に入るに従って、畑や切り通しの土岩が赤みを増してきている。鉄分が多いのだろうか。3時20分、車内は全く静かになってしまった。皆さん眠ってしまったのだろう。

すると道路に“クエンカ“という表示が現れてきた。


既に何km走ったのでしょうか。緑を見慣れている日本人としては、これだけ乾いた大地を見せられると、どこかに緑を欲している気持ちがあることが分かります。

でもこれがスペイン人気質を生むのかも知れません。

スペインは歴史上多くの民族が入ってきたところですから、各地に古い時代の遺跡があります。石造りですからそれらは時代を経ても形として残っているのです。


ラス・ファレーラス水道橋

ラス・ファラーレス水道橋

ローマ時代に作られたラス・ファラーレス水道橋

 9時04分、バレンシアの西100kmほどのタラゴナにある、ローマ時代に造られたラス・ファレーラス水道橋にやってきた。バスを路肩に止めて、展望台から写真だけ写して出発。タラゴナは地中海に面した都市で、この水道橋はローマ人が2000年前に建設したものが現在も残っているものだ。ローマ人は支配地では必ず水を確保しようとした。そのために水源を見つけ、得意の土木技術で水道橋や円形劇場などを作っているが、ここも2階建てのアーチ構造で、深い谷を横断するように作られている。2000年も昔に良くこのような建設が行えたものだと驚いてしまう。

1度目の休憩

 9時15分、カンブリア地方に入り、前方の山上に40ほどの風力発電の風車が建てられている。この辺りの山の石は白い砂岩だがその基盤岩は赤い色をしている。地形はケスタの独特な形をしている。

1回目の休憩 空の青さがきれいなドライブイン

9時27分、出発してから1時間30分が経とうとしているので、イタリア資本のサービスエリア「Auto Grill」で休憩をすることになった。駐車場からは、地中海の青い海が小さく見えている

このサービスエリアは軽い食事ができる小規模なもので、ガソリン補給とトイレ休憩が主な目的になっている。トイレに入ると男子の便器が床から70cmの所に取り付けてある。ホテルも同じだったので日本人男性は苦労をしてしまう。

42分に全員がバスに戻って出発。日差しがさらに強くなってきた。

車窓観光2

 左右の畑には、オリーブの畑はもちろんだが、オレンジやアーティチョークの畑も見えてきている。10時頃、地中海に流れ出る全長910kmの大河エブロ川(イブロ川)に架かる橋を渡った。この川はスペインの5つの大河のうち唯一地中海に注ぐもので、河口には大きな三角州を形成し、現在もその面積を拡大中である。ただ、910kmも流れている大河なのに、その水量は少ない。川沿いに小規模な水田が見えたが、河口付近には大規模は水田が広がっているという。ここに米作をもたらしたのはアラブ人であるようだ。今まで2時間も走ってきたが、車窓からは1頭の牛も羊も見ることがなかった。ようやく、ここエブロ川に来て初めて数頭の羊を見ることができた。またエブロ川の上流にあるリオハ州はスペインの有名なワイン産地となっている。

10時20分、バレンシア地方に入ってきた。この辺りに来るとバレンシアオレンジで知られているように、見渡す限りオレンジ畑になってしまう。道路の右を見ると遙か彼方の山までオレンジが栽培されている。1枚の畑は1ha(1町歩)以上あるのが普通で、広いものは、10haはあるだろうか。左手にもオレンジ畑が続き、10kmほどのところに地中海の青い海が見えている。所々にシュロの木が見えるのもスペイン的である。

ペニスコラ市遠景 丘の上に砦があるペニスコラ

やがて左手の半島の尾根に古い砦のあるペニスコラ市が見えてきた。ここは地中海を航行する上での要衝の一つだったらしく、紀元前から人々が住み、ギリシャ人、フェニキア人、カルタゴ人、ローマ人といくつもの民族がこの地を支配したがアラブ人がこの地を支配したときに、この砦を築いたという。現在の市街地は半島の麓に展開している。

畑は相変わらず石ころだらけ。農家は石との戦いのはずだ。中にはその石で石垣を作り土地の境にしているところもある。それでも畑に鍬を入れることはできないだろう。

 11時25分、車内は静かになっている。起きているのは2~3人くらいだろうか。空は一面の雲で、ルイスさんとティオさんはバルセロナからずっと話しをしている。眠気覚ましもあろうが、良く話題がつきないものだ。

高速道路の作りを見ていると、日本とはかなり違いがある。距離を表す表示がkmごとにでているが、商業的な看板や案内表示の看板はほとんど見られない。必要最小限にしているようだ。そういえば、高速道に照明灯が全くないので、夜になると、自分のヘッドライトだけが頼りになり、その周囲は全く見えないから怖い感じがする。

走行レーンの外側には時々ガードレールがあるが、その外側には幅10mほどの雑草地があり、一般の用地との境には簡単な金網の柵があるだけだ。

11時35分に料金所を通過したが、料金所のゲートは12ほどあり無人であった。ルイスさんは料金をキャッシュカードで払い、領収書をもらって出発。日本の無人駐車場と同じシステムにみえる。

11時38分、左手にローマ時代に作られたサグントの町が見えてきた。紀元前218年、カルタゴの名将軍ハンニバルが、このサグントを攻撃して第2次ポエニ戦争が始まったという。この後、ハンニバルはゾウ部隊などを率い、国境のエブロ川を渡ってローマ帝国の領土に入り、ピレネー山脈とアルプス山脈を越えてローマに攻め入ったことは世界史の教科書にも出ている。第2次ポエニ戦争はカルタゴの負けで終わるが、ハンニバルには不運が重なり、最後はトルコまで逃げ延び63歳で自殺をしている。


車窓から流れていく景色は、二度と見ることができません。

バスは時速100kmくらいで走っていますから、それらを記憶にとどめておくことは無理です。メモを取るのですが、それも十分ではありません。

バスはまだまだ走り続けます。

スペインは広い国です。ヨーロッパで面積が50万平方キロメートル以上の国は、フランス、スウェーデン、スペインの3カ国です。

ですから、移動を日本の感覚で考えるのは間違いです。
その国を長距離移動するのですから、移動中は皆さん御睡眠になります。

せっかくスペインに来たのにもったいないですから、ずっと起きていました。


出発

 ロビーには山上さんがいて挨拶をすましてから鍵をフロントに返し、バスの座席表を見て指定された運転席側2・3列目の席に座ったのが7時55分。隣には昨日スーパーへ一緒に行った方が席を占めている。その後の旅行ではこの方々がずっと隣の席に座っていた。

また、今日は長距離移動なので運転手さんが2人体制になっている。

8時にバスは出発した。いつものように山上さんが「おはようございます。皆さんお忘れ物はございませんか。5分以内でしたら引き返せますが、それを過ぎると大変なことになります。今日は長距離移動なので、運転手さんはお2人になります。昨日も運転いただいたルイスさんよろしくお願いします。今日だけ運転していただくのはティノさんです。ティノさんよろしくお願いします。」拍手「このバスはリスボンから来ました。これからの旅行はずっとこのバスに乗っていきます。運転していただくのもずっとルイスさんです。今日は長い距離になりますので、途中適当にドライブインなどでトイレ休憩と運転手さんの休憩を取っていきます。ヨーロッパは労働規制が厳しいので、休憩時間はきちっと取らなければなりません。」と朝の挨拶をすますと、山上さんはそのまま、スペインの歴史、文化、観光などの詳しい話しを始めた。その量があまりに多すぎて、とても記憶にとどめておくことができない。

そのうちの一つをメモしておいた。

スペイン料理で有名なパエリヤはパエージャと言い、スペインの歴史を表した料理である。

紀元前にこの土地に来たローマ人は魚貝を食べる文化を持ってきた。400年代に来たゲルマン人・ゴート人はソーセージとタラを持ってきた。700年代に来たアラブ人は米とサフランを持ってきた。1492年に新大陸に行って来たコロンブスはトマトを持ってきた。そしてそれらを融合した料理がパエージャなのだ。

といった調子で、その話しは多岐にわたったのである。

車窓観光1

 このバスはベンツ製で観光用のため窓を広く作ってあり乗りやすい。おまけに、50人乗りのバスに23人が乗ったので、1人で2座席を割り当てられたから実に楽だ。
モン・セラ 彼方の山はモン・セラ
バスは出発してすぐの8時04分にメディテラネオ高速道路(地中海高速道路)に乗り、時速90kmで快調に走り始めた。前方には山頂をギザギザさせた石灰岩の奇山モン・セラが見えている。この山はガウディの思想に大きな影響を与えたそうだ。それは、建物を直線で構成させなくても良いのではないかというものらしい。

バスは隣のバレンシア州を目指して地中海の沿岸付近を走っている。

道の左右はうねりを持った平野でブドウやオリーブの畑ばかりとなっている。この辺りのオリーブは収穫が終わっているようで、実を付けているものはほとんどない。ブドウ畑のつるは膝上程度の高さまでしかなく、今は乾季の終わり頃ということもあって、ほとんど赤さび色に枯れた葉や、全く葉が付いていない畑がほとんどだ。ちょっと見ただけでは何が植わっているのか分からないくらいになっている。

その畑の合間に、教会の塔が目立つ小さな町や村が点在しているが屋根は朱色(煉瓦色)の瓦葺き、壁は真っ白の漆喰塗りとなっている。カサブランカ(白い家)のオンパレードだ。これはアラブの影響だろう。

この辺りは地中海性気候で乾燥が激しく、1年間に450~650mmしか雨が降らない。日本の1700mmと比較するととても少なく、その反対に晴れる日が多く蒸発量がとても多くなっている。だから、土地を見ると畑は石ころだらけでパサパサだし、ブドウやオリーブ畑には下草がほとんど生えていない。良くこれで農業ができるかと思えるくらいだ。

今、バスは時速100kmで20分以上走ってきたが、その景色は全く変わらない。乾燥した国だが、その広大な面積には驚かされる。西へ向かっているので、予想通り空の雲はどんどん少なくなってきた。それにつれて、11月にもかかわらず、カタルーニャの太陽が強烈にバスを照らし始めた。

カタルーニャからアンダルシアにかけては、土も切り通しの岩も遠くの岩も全て乾燥したベージュ1色で、遠くの小高い丘の上に水くみ用の風車が見えている。しかし、この辺りには風力発電の風車は1台もない。


車窓に流れていく何も変化のないスペインの大地を眺めているのも楽しいものです。

ここでなければ見られない景色なのですから。

スペインはほかのヨーロッパの国と違って、どこかに魅力的なものを感じてしまいます。

それはスペインが成立する歴史に関係があるのかもしれません。


バルセロナというところ

 スペインの歴史をかいつまんでみると次のような変遷をしている。

1万5千年以上前、スペイン北部には人類が住み、アルタミラの洞窟を

残している。

3100年前頃、タルテッソス人(イベリア人)がアンダルシアに王国

を作り

2500~2200年前、ギリシャ人、フェニキア人が進出して都市国

家を作り

2200年前からローマ帝国の支配下に入った。 

415年にゲルマン人が西ゴート王国を作って、キリスト教(カトリッ

ク)が普及し

711年にイスラム系のアラブ人がウマイヤ王朝を作り

1492年に718年から続いていたレコンキスタ(国土回復運動)

完了し現在のスペインがほぼ完成した。

1931年、王制が崩壊

1939~75年 フランコ独裁

1978年~ 立憲君主制・国民主権となって現在のスペインになって

いる。

だから、純粋のスペイン人というのはどの様な人なのか分からない。イベリア人、ギリシャ人、フェニキア人、ローマ人、ゲルマン人、アラブ人が混血して現在のスペイン人が生まれたようだ。だから道を歩くと、身長や髪の色、皮膚の色など様々な人に出会う。

また、スペインはスペイン王朝が成立するまで、地方に独立した政治や文化が存在していたので、現在も地域意識・地元意識が非常に強い。これはヨーロッパに共通したものでイギリス、ドイツ、フランス、イタリアなどでもよく見られる。スペインの場合、その意識がとても強いのが、北部のバスクと南東部のカタルーニャである。ここではバスク語とカタロン語という言語を持ち独自の文化もあるので、そのうちにスペインから独立するかもしれないといわれている。バルセロナはカタルーニャ州の都市で、元々、闘牛を行う文化はないから、かつての闘牛場は閉鎖されていた。

この地方の独自性がもっとも良く表れているのは、サッカーでリーガ・エスパニョーラというスペインサッカーリーグでは、レアルマドリード対FCバルセロナ戦の視聴率が50%を超えるというくらいだという。今年はメッシがいるバルセロナが強い。

11月13日(水)


 昨夜は疲れもあって10時頃に、シャワーも浴びずに眠ってしまった。しかし、相変わらず眠りは浅く、2時過ぎに目が覚めてしまったが4時間はしっかり寝たようだ。その後は寝たり起きたりだったようで、5時頃にはベッドから起き出してしまった。腰が痛いのは疲れだろうか。今日は700kmもの長距離移動で、一日中バスの中のようなものだから、気楽に過ごせるように下はジャージに変えていくことにした。また夕方の観光に備えて防寒具も出せるようにしておかなければならない。

部屋の窓から外を見ると、昨日と違って雲が多くなっている。昨日の天気予報では、ピレネー山脈の北部では雨といっていたので、今朝は、その雲の先端がバルセロナにもやってきているのだろう。雨は徐々に東から西に向かっているようだ。今日は西のマドリードへ行くから大丈夫だろうが、この辺りはだんだん雨模様になるのだろう。そのせいか、外の気温は昨日よりも高い感じがしている。

6時にモーニングコールが来たので、“ブエノスディアス”と言おうとしたら“グッドモーニング”と言われてそのままお返事。普通の返事は“オラー”ですませるみたいだ。

朝食

 6時55分になったので朝食のために1階のロビーへ行くことにした。ここの朝食は食材が乏しく、取るものは限られているので、7時05分には食べ始めていた。窓から外を見るとまだ暗くて、道行く車の姿も見えないくらいだ。
11月13日朝食 ちょっと量が多めの朝食
メニューは

クロワッサン、チョコ入りペストリー3、ハム6、サラミ2種3枚、スライスチーズ2枚、パックチーズ2、オレンジ1、牛乳、ヨーグルト(ダノン製)3

昨日と同じで、特に感想もなく7時25分終了。

この30分ほどで外はすっかり明るくなってきている。部屋に戻って出発の準備をしていると40分になったのでロビーへ降りていった。


これから、イベリア半島の長距離移動が始まります。

とりあえず今日は、バルセロナからクエンか経由でマドリードまで移動します。移動距離は700kmです。

スーパー、市場見学は一緒に行った人たちにとってとても面白かったようです。

レストランに戻ってもその話に花が咲いたのでした。

 

 

夕食レストラン NEO CLASSICへ戻る

 晩秋の太陽は釣瓶落としで暮れるのが早く、ランプラス通りは少し薄暗くなってきている。また、帰りのランプラス通りは少し上りになっているので、皆さんの足取りも徐々に重くなってきていた。そこで、カタルーニャ広場が見えてくると5時頃だったので「まだ早すぎますし、皆さん少しお疲れのようですから、この辺りのベンチで少し休んでいきましょう。5時20分まで休憩にしたいと思います。」と、遊歩道にあるベンチにバラバラに座り、道行く人などを眺めて休憩をとることにした。

5時20分になったので「それではそろそろ行きましょうか。」と歩き始め、もと来た裏通りなどを歩きNEO CLASSICに着いたのは、集合時刻より1時間も早い5時45分だった。

そこにはすでに山上さんがいたので、“入っても大丈夫ですか”と聞くと“大丈夫ですが、できたら飲み物を注文して下さい”というので、一同2階の予約席に座って、ビールやジュース、コーヒーなどを注文して、午後の小遠足の感想を楽しく話したのであった。満足5回目。そのうち他の人も戻ってきて「どちらへ行って来ましたか?」と聞くとほとんどの人が「ピカソ美術館に行って来ました」と答えていた。ピカソの絵を見ても時間がたくさん余ったので、途中の屋外テーブルでビールを飲んできた人、早く戻ってきたのでレストラン付近で時間をつぶしていた人などがほとんどであったようだ。

夕食レストラン NEO CLASSIC

 注文した飲み物は6時頃に運ばれてきた。ビールもジュースも4ユーロ。

話しに花を咲かせて料理が運ばれてくるのを待っていると、6時56分になってようやく料理が運ばれてきた。
NEO CLASSICの夕食1  NEO CLASSICの夕食2
①前菜           ②主菜(メインディッシュ)
NEO CLASSICの夕食3 ③デザート
①前菜 魚介のトマト味の米スープ

 魚はタラでジャガイモの味もするので入っているのだろう。味がはっきりしていなくて、少し油が強い感じがしていた。

テーブルのパンには、トマトソースが塗られている。

②主菜 タラの蒸した切り身のトマトソースがけ

ピーマン、ニンジン、グリーンピース、白アスパラガス、カリフラワー、マッシュルームを細かくして入れてある。塩味が強く、前菜と同じスープ味で変化がなく不評。

③デザート チョコレートバニラアイス

いろいろと意見がある中、とにかくみんな食べてから7時35分に終了。

このときコーヒーを頼んだ人がミルクももらうと、コーヒーが2.5ユーロ、ミルクが2.5ユーロの計5ユーロを請求され一同唖然。ビール中ジョッキが4ユーロなのだから。

トイレを済ませて7時48分にバスに乗り出発。これより、運転手はルイスさん。

ホテルへ

バスの中で山上さんが「皆さんご苦労様でした。今日は連泊ですのでここで連絡をいたします。明日は6時にモーニングコール、朝食は7時から、出発は8時です。明日はマドリードへ行きますので、スーツケースを持ってロビーに来て下さい。」と連絡をしている間に8時20分にホテルに到着した。

今日は連泊2日目なので、さっさとシャワーを浴びのんびりと眠ることにしたのだが、時差ぼけはまだ治らない感じがしている。ベッドの中で、今日の午後はこれで良かったのだろうかと考えているうちに眠ってしまったようだ。

今日の午後に一緒に行動した人は、きっと楽しかっただろうな、と思うことにしよう。

 

レストランのコーヒーとミルクの値段はちょっとどうかと思ったのですが、このレストランの食事もあまり美味しくありません。料理よりも名所旧跡の観光で満足すべきなのでしょうか。

市場は、昔の食文化を示しているようです。人々の姿勢や接客態度も親近感や人間くささがあって良いです。これからヨーロッパに行くチャンスがあったら、市場を探してみようかと思ったくらいです。

ボケリーア(サン・ジュゼップ)市場
ランプラス通り 人通りが少ないランプラス通り
 この市場は正式にはサン・ジュゼップ市場というらしい。スーパーを出発してからカタルーニャ広場をぐるりと回ってランプラス通りに入っていった。幅20mほどの中央分離帯が遊歩道になっているバルセロナ一番の繁華街であるというのだが、平日の4時頃なので人通りが少ないのかもしれない。人が増えるのはもっと遅いのだろう。少し下り傾斜の遊歩道を歩いていくと、その左右に雑貨や花、衣類などを売る屋台がいくつも出ている。それを覗きながらでなかなか先に進まないが、それもまた楽しいものだ。満足3回目。
ところが前方を見ても市場らしいものが見えない。そこで、“i”マークの旅行案内所で「サン・ジュゼップ市場は何処ですか」と聞くと“そのまま3分ぐらい歩いていけばある。”と教えてくれた。さらに歩いていくと、何の看板もないところに幅10mくらいの路地があり、その奥に目指す市場の明るい照明が光っていた。4時13分。

ボケーリア市場の肉屋さん   果物屋さん
市場の入り口にある肉屋さん  市場内の果物屋さん

キノコ屋さん 市場内のキノコ屋さん
「ではこちらです。」と路地を20mくらい入ると、市場の売り場が明るい照明でキラキラ輝いていた。入り口には左右に肉屋が構えているのもヨーロッパ的だ。その奥にはとてもカラフルなスペインカラーの果物店がずらりと並び、奥まで続いている。目移りをさせながら歩いていくと魚屋さんのエリアがあったが、そこは半分以上が店じまいをしていた。

開いている魚屋で売られているものを見ると、カツオ、タイ、イカ、エビ各種、サバ、アジなどで魚種はそれほど多くはない。魚の並べ方はスーパーと同じだ。また、果物屋が多いエリアに戻って歩くと、たいていのところで“カットフルーツ盛り合わせ”を1~2ユーロ程度で売っている。それを買った人がいて、少しずつ分けて食べたが、日本ほど甘くない感じだった。次に肉屋さんのエリアに行くと、ほとんどの肉屋さんがテニスラケット型の豚の生ハムをたくさんぶら下げて売っている。その価格はちょっと手が出ないが、試食させてもらった人の感想ではとってもおいしかったそうだ。そのため、試食できなかった人はとても悔しがり、しばらくその話題で盛り上がっていた。

山羊の頭   ウサギの肉

山羊の頭を売っている     ウサギの肉も売っている   

内臓専門店やほかの動物の肉を売っているところもあり、そこでは豚や牛の腎臓、胃、肝臓、ウサギ、山羊の頭、山羊の脳みそ、豚足などが並べられていた。これを見ると肉食文化の国だということが分かる。タマゴ屋は少ないが専門店が2軒ほどあった。

珍しいのでは、白い餅のように見える塩タラを売っているお店が何軒かあり、なぜスペインでタラなのかと思わされた。

このように、地元のスーパーや市場では、そこでなければ分からない発見というものがあるので、このような観光は楽しいものだ。

ひととおり市場の中を観光したのでそろそろ戻ろうということになり、4時51分にサン・ジュゼップ市場を後にした。大満足で満足4回目。

もう少し早い時間に市場に行くべきですね。やはり午後の4時頃になると市場は店じまいを始めてしまいます。

でも実際に見てみると、体で感じるものが沢山ありました。

レストランからスーパーへ移動する途中に、カサ・カルベというガウディが手がけた建物があったのです。曲面の壁とアールヌーボー調のテラスが特徴です。


スーパーマーケット

 山上さんから配られたバルセロナの地図に目的地をマークし、それを頼りに歩き始めた。市街地は1辺が113mのブロックに区分けされているという。1分ほどで夕食レストラン前を通過し、そのブロックの角にくるとお菓子のゼリー屋さんがあった。すると同行者の1人が友達に「あんたゼリー大好きでしょ」と言う。すると「すみません。ここに入ってもいいですか?」というので、「どうぞ、どうぞ。時間はたっぷりありますので、ごゆっくりして下さい。」かくして2時30分にゼリー屋さんに突入。あれこれと好きなものを選んでお会計をし、店を出た。ほぼ満足の様子1回目。「ではせっかく観光に来たのですから、裏通りを歩いてガウディの建物を見ながらいきましょう。」と裏道に入ってカサ・カルベというガウディのアールヌーボー調の建物を見に行った。「この建物がカサ・カルベと言うようです。窓の手すりは鉄でできていますが、柔らかい曲線になっています。このようなスタイルをアールヌーボー様式と言います。ガウディはこのような曲線を建物に取り入れているようです。」と話しをしてスーパーに向かって再び歩き始めた。あまり満足は無し。

数分歩いて幅の広いグラシア通りに出ると、すぐ左前にカタルーニャ広場が見え、大きな交差点を渡ったところに、目指すスーパーがあった。ここに来ると皆さんの歩くスピードが速くなった気がする。女性の本能だろう。
スーパーの野菜売り場 スーパーの野菜売り場
2時55分に地下のスーパーに入り「今、2時55分ですが、4時にこの位置に集合ということでよろしいですか。では解散します。」ということで、一同スーパーの中に散っていった。野菜、魚、肉は売り場の外側、中央に配置された棚に酒、調味料、缶詰、お菓子、インスタント食品などが売られているのは日本と同じ。価格は日本とほとんど変わらないが、生産地はヨーロッパ各地からとなっておりEUの力を感じる。肉・魚はスペイン産のようだが、乳製品はフランスのものが多いような気がする。魚はカツオやタイ、サバ、イカ、エビ、イワシ、アジなどがあり売り台の上にかき氷を敷きその上に一匹ずつ乗せて売っている。魚の皮が乾き始めているのもあり、ちょっとという感覚にさせられる。肉は牛・豚・鳥の精肉を売っているが、価格はそれほど安くはない。豚の太腿から作った、テニスラケットのような形の生ハムブロックが、何本もぶら下げられているのはスペインだという印象だ。その価格はちょっと手が出せない高価なものだ。

時計を見ると3時30分も過ぎてきたので、レジを済ませて集合場所に行くことにした。

レジは、ヨーロッパでは何処でもそうだが、買ったものは買い物かごからすべて出して、レジ台に乗せなければならない。レジ係は必ず座ったまま仕事する。“いらっしゃいませ”“ありがとうございました”の言葉や笑顔の接客などは決してない。お客を無視して私用電話や知り合いとのおしゃべりをしている。レジ係にそのようなサービスを求めることはできない。とにかく売れたものがいくらであるかを計算して、間違いなくお金を取るのが彼らの仕事なのだ。売り上げを増やすのは経営者の仕事であって、店員の仕事ではない。というのが外国の一般的な労働スタイルになっている。

さてレジを済ますと、トイレに行きたくなったという人が出てきた。そこで、そばにいた人にトイレの場所を聞くと、地下だというのでそこへ案内をし、済ませてから戻ってくると3時45分。全員がそろったところで、スーパーを出発して市場へ行くことになった。

大満足で満足2回目。


外国のスーパーで買い物をしてみると、およそお世辞といったものに出くわしたことはない。でもそれが世界標準なのかもしれない。

日本はこれもガラパゴスだったりして。

ということは、我々もゾウガメやイグアナなどのような、特殊な進化をした生物なのかもしれません。

結局なんですが、バルセロナの午後自由行動は、地元スーパーと市場へ行くことにしたのです。ほかにどうしようかと困っている人もいたので、身近にいた人をお誘いしたら二つ返事で行きたいとおっしゃったので、にわか添乗員としてスーパーと市場をご案内することになりました。


昼食レストラン テトゥワン

 バスは、右折・右折を繰り返し、動物園のそばを走っていた。

コロン通り(コロンブス通り)から右折してライエタナ通りに入り、カタルーニャ音楽堂のすぐ隣を走ってカタルーニャ広場に出てからさらに進み、クラリス通りを経て右折しグランビア通りに入った。

テトゥアン広場付近でバスを降り、1時19分に昼食レストランの“Tetuan”に到着した。
テトゥアンで昼食1 テトゥアンで昼食2
前菜のサラダ       細いパスタのパエージャ
テトゥアンで昼食3 デザートのプリン
メニューは

①前菜 サラダ(レタス、ピーマン、ニンジン、タマネギ、トマト)

サラダには、ワインビネガーやオリーブオイル、塩などを振りかけ、好みの味にして食べるのがスペイン流(ヨーロッパ流?)と言うことだが、そのまま食べても久しぶりの生野菜なのでおいしい。量もたっぷりの感じがする。付け合わせのパンにはトマトソースが塗ってあってこれもおいしい。

②主菜 細いパスタのパエージャ(ムール貝、エビ1匹、イカの切り

 身、)

このパエージャはトマト味である。味は普通といった感じであろう

か。

③デザート カラメルソースのかかったカスタードクリームのプリン

食後にこのような甘いものを食べる習慣がないので、いつもとまどってしまうのだが、これもその土地の習慣であるならば、食べるのが礼儀だろうし、文化に触れることにもなる。

この後、自由散策になるのでお昼にビールを飲むのは取りやめにしてしまった。

このとき、同席の人に「午後はどうなさいますか?何かご予定はありますか?」と声をかけると「何も予定がありません。」と少し不安な顔をしている。「私たち、これからスーパーマーケットと市場に行こうと思っているのです。もし良かったらご一緒に行きませんか?」「エッ。ご一緒していいんですか。是非連れて行ってください。」ということで行くことになった。その隣の人にも聞くと「夫がビールを飲み過ぎているので行けないと思います。」見ると缶ビールを3本も飲んでいる。

フリータイムの計画

 食事が終了したところで山上さんが「皆さん、これより午後のフリータイムになります。今2時過ぎですから、6時半まで4時間半あります。集合は夕食レストランのNEO CLASSICで、場所はバスからも見たと思いますが、ここのすぐそばですので、地図を確認しておいてください。」と連絡を受けて2時18分にレストランを出発した。

それでも、午後のフリータイムの行動予定がまだ決まっていない人がいるようで、レストランの外で立っている人がいた。そばにいた人に「何かご予定はありますか?」と聞くと「何もありません。」と少し不安な顔をしている。「私たち、これからスーパーマーケットと市場に行くのですが行きませんか?」とさそうと「いきます。連れて行ってください。」と二つ返事。一転して満面の笑顔。かくして8人で出発。


同行者23人中の8人で地元スーパーの探検に出発しました。

知らない町を、地図を片手に歩くというのはどこかワクワクしてくるものです。

バルセロナの町を歩いて移動していると、スリがいたのです。一歩間違えると我々の旅行団の人が被害に遭う可能性があったのです。


午後の自由行動の情報

11時50分、FCバルセロナの公式店でトイレを兼ねてお買い物。

特に買うものもなく、店の外で待っていたのだが、午後のフリータイムの過ごし方をどうするのかの不安がまた頭をよぎってきた。何かの情報を得なければならない。同行者に聞いてみると

1)ガウディが作った“カサ・ミラ”(入館料約16ユーロ)“カサ・バトリョ”(入館料約20ユーロ)を歩いて観光する。

2)クエル公園のガウディ博物館を観光に行く。

3)ピカソ美術館を見に行く。

4)マイバスの郊外観光でモンセラに行く。

というものだった。

1)は、入場料金5000円近くで建物を見るだけ。

2)は、グエル公園が2013年10月から有料の入場予約制になったので、ひょっとすると入場できないかもしれない。入場料は大人8ユーロ(約1000円)だという。タクシー代もかかるし。

3)は、ピカソは有名だが彼の絵を理解できる力がないから・・・・。

4)は、山上さんに詳しく聞いてみないと分からない。

そこで5番目として、地元スーパーマーケット観光はできるだろうか考えた。ガイドの中西さんに「すみません。この辺りにスーパーマーケットはありますか?」と聞くと「ありますよ」と地図にあるカタルーニャ広場の隣のエル・コルテ・イングラスというデパートの地下を教えてくれた。「では、その南にあるサン・ジュゼップ市場(後で調べるとボケリーア市場となっていた)も歩いていけますか。」と聞くと“行けます”と言ってくれたので、これも重要な情報になった。

スリ捕まる
バルセロナのスリ 白バイに捕まっているスリ
 それはFCバルセロナ店からバスに戻るときのことであった。現地ガイドのアウロラさんがせわしなく動き回っていると中西さんが「反対側の歩道を歩いている観光客の中にスリがいます。」と言う。驚いて見ると欧米系の観光客の中に、やや小柄の黒髪の女性2人男性1人が紛れ込んでいる。すると直後に白バイ警官がやってきて、列の真ん中にバイクを入れた。警官は3人を呼び止め、持っていた手配書を取り出し、顔を確認して何か言っていた。その状況を見ているわけにもいかないので、バスに戻り11時56分に出発した。後で聞いたのだが、そのスリ3人組は我々の列もねらっていたらしい。

それからは皆さんより貴重品には注意を怠らないようになった。

カサ・ミラ邸、カサ・バトリョ邸

 出発したバスは、北上してから2回左折してグラシア通りを南下し始めた。

カサ・ミラ邸 曲面の壁に特徴があるカサ・ミラ邸

するとまもなく、左手にカサ・ミラ邸が見えてきた。

この邸宅は実業家のミラさんがガウディを気に入って作ってもらった建物だそうだ。建物の外壁は大きく波打って作られ、各窓のバルコニーには、鉄を様々に曲げて作られた手すりが付けられている。このような窓の様式をアールヌーボーという。

グラシア通りをさらに300mほど南下すると右手にカサ・バトリョ邸が見えてきた。この館は元々あった建物を、実業家のバトリョさんがガウディに改築を依頼してできたものであるという。建物を見ると周辺とは全く違う独特なもので、見ただけでそれだと分かる外観をしている。これらの建物は、最初市民から馬鹿にされたそうだが、今となってはバスセロナの重要な観光資源になっているから、物事は分からないものだ。

バスはグランビア通りを横切って直進し、大きな噴水のあるカタルーニャ広場に出た。

カタルーニャ音楽堂

 広場をぐるりと回って、広い遊歩道があるバルセロナ1番の繁華街、ランプラス通りに入り、道を右に左に走って、カタルーニャ音楽堂近くの裏道に止まった。5分ほど歩くとカタルーニャ音楽堂の裏側に着き、音楽堂の壁に沿って正面に回っていった。建物が密集している所に、大きな音楽堂があり、駐車場が何処にも見られないのも不思議だ。

カタルーニャ音楽堂

カタルーニャ音楽堂は込み入った路地の中にある

この建物は約100年前に建てられたもので、柱など外面に派手派手しい彫刻や装飾がしてある。モンタネールという人が設計したモダニズム様式だと物の本には書いてある。

世界遺産らしいが、外見からそれとは言い難いが、建築様式のモデルとしてあるようで、それはそれでいいと思った。音楽堂の脇を歩いて元の裏通りに戻りバスに乗って出発した。

バスの中で山上さんが「朝ご紹介しました、午後のフリータイムにマイバスでモンセラ観光へ行くことをご希望の方はいらっしゃいますか。人数がまとまりますと行けるのですが、観光料金は60ユーロになります。」と連絡があったが、希望者は誰もいないので取りやめになってしまった。昼食直前に言われても情報が少なすぎて判断もできないから、手を挙げることもできない。


さてこの後食事をしてから、半日自由行動でバルセロナの町を歩きます。

サグラダファミリアも実物を見ながら話を聞き、知識を当てはめていくと違った見方ができてきます。やはり実際のものを見ることは大切です。


サグラダファミリアの中に入る

東ファサードの入り口でアウロラさんから入場切符をもらい教会内に入った。

建物の中に入ると、教会の床は2階の高さに作られていた。ガウディは正面入り口から離れたところに門を作り、そこから橋を架けて渡らせ、教会に入る構想だったらしい。しかしこの教会の周りがいつの間にか開発され、牧場だった教会の正面にマンションが建ってしまったので、これを壊さなければ永久に完成しないそうだ。これからどうするのだろうか。確かに正面側に回ってみるとそこにはむき出しの錆びた鉄筋が魚の小骨のようにたくさん突き出していた。
サグラダファミリア内の礼拝堂 サグラダファミリア内部の礼拝堂
教会内部には4本の巨大な柱があり、あたかも大黒柱のような役割を果たしていた。

その柱は上部が何本にも枝分かれしてイエス・キリストを象徴する塔を支えるそうだ。この柱はアラビアの椰子の木をヒントに作られているようでもある。

ステンドグラスなどは未完成なので、現在の教会内は明るいが、いずれそれがはめ込まれると、もっと暗い感じになるかもしれない。

サグラダファミリアに関する話

 その1 サグラダファミリアの地下には高速鉄道AVEが建設されている。地元や関係者は反対したそうだが、建設側はそれを計画して実行してしまった。

その2 サグラダファミリアの建設資材はコンクリートがかなり使われている。コンクリートの耐用年数は100年程度とされているので、この建物はあと何年持つのだろうか。

その3 サグラダファミリアは、その建設に当たって行政に建築許可を取っていない違法建築物だということが、高速鉄道建設の時に発覚したという。今更壊すわけにも行かないので、バルセロナ市は超法規的に建築許可を出したそうだ。

その4 サグラダファミリアは、長いこと教会ではなかった。2010年にローマ法王ベネディクト16世がここを訪れて認定し、初めて教会になったそうだ

西ファサード(西正面)

西ファサード 抽象的な現代彫刻の西ファサード

 教会を通り抜け、西ファサード側に出た。そこには、キリストが最後の晩餐から復活して昇天するまでの場面が14の彫刻にされて飾られている。この彫刻は、スビラックスという現代彫刻家が作成したという。そのせいか、彫刻は少し抽象化されているので、見ている人にはちょっと分かりにくいものになっている。14の場面があるのだが、確かにそうだと確認できる場面は7つしかなかった。これでは役に立たない。

サグラダファミリア博物館

 西ファサードを見たあと、元小学校の隣から教会の地下に作られている博物館に入った。ここにはガウディゆかりの品々、建設で確認するための模型が展示され、現在作成中の品々の製作工房もがある。建設に生涯をかけたガウディがこの教会に寝泊まりしていたという場所もあり、当時のガウディの写真やデスマスクなども展示されている。

アントニオガウディの像 ガウディの頭部彫刻

博物館の観光もその程度で終わり、後は11時15分に元小学校前に集合するまで自由行動になった。

博物館は一通り見たので、外に出て関連グッズ売り場に行き、もう一度西ファサードの彫刻をひとつひとつ確認してみた。平日にもかかわらず、辺りはたくさんの人で混み合っているなか、時間が来たので集合場所に移動して出発した。

西ゲートを出て教会の南側へ向かっていったが、そこには入場待ちの観光客の長い行列があり、やがて教会の南側の道路を歩いてバスに向かった。

南側にはガウディの構想をじゃまするマンションがあり、今後作られるであろう橋のための赤く錆びた鉄筋が教会から突き出していた。


できたら、サグラダファミリアが完成した姿を見てみたいものです。