雑踏の場所に行くと、トイレが問題になる。アメ横の場合、「アメ横センタービル」の2階と地下にあるのでそこを利用させていただくと良い。

昼食時はどこの食堂もいっぱいなのだが、安さが売りのアメ横でも、メニューの価格は安くない。何とかならないものでしょうか。


再びアメ横

 冬はどうしても冷えてくる。またトイレに行きたくなってきた。アメ横は良いのだが、トイレに困ってしまう。どこかのビルに入ればトイレはあるだろうと目星を付けていくと、アメ横のメイン通りを上野側から入ったところにある「アメ横センタービル」の三叉路が目に入ってきた。ビルの脇から中に入ると、左手に下へ下りる階段があり、地下食品街という表示があった。右手を見るとドアの向こうにエスカレーターが見えるので、中へ入っていくとたくさんのテナントがあり、エレベーターに乗ると地下と2階にトイレがあると書いてある。地下へ下りるとそこは魚や肉、野菜など生ものの売り場になっていて独特の生臭い匂いで満ちあふれている。中華料理や中国系食品のオンパレードといった感じがする。案内に従って一番奥のトイレで済ませてから、地上に出て食堂探しになった。

昼食は吉牛

 食堂は上野駅不忍口の前から見てもたくさんある。寿司、ラーメン、定食、中華、焼き肉、うどん、韓国、点心、ケバブなど国際色も豊かだ。でもなぜかそこにはいるのに一歩ためらってしまう。お寿司でも良いのだが、昨日食べていたので連日というのはさけたい。ラーメンも良いのだが、お値段が800円くらいで高く、時間も悪かったので混んでいるのだ。ほかの定食や焼き肉などはどれも1000円以上もしている。どれか良い場所はないかと探し探し歩いてくると、いつの間にか御徒町に戻ってしまい、時刻も12時30分になっていた。するとそこに吉野家があったので、ここも気が進まなかったのだがとにかく入ってみることにした。中は満席で2階があると言われ、上がってみるとそこも満席。しばらく席が空くのを待ってから、2人で並盛り(280円)と大盛り(380円)を注文するとキャッチフレーズ通りにすぐに運ばれてきた。食べ始めるとどこか変だ。味が薄過ぎるのだ。それにご飯が硬くて少しポロポロしている。確か吉牛はもう少し美味しかったような気がするのだが。でもその価格からすれば少し不満はあっても文句は言えないだろう。ついでに言うと、丼も食べにくい形をしている。

12時45分に食べ終わってから、もう一度上野方面へ戻り、目星を付けておいたものを買いながら御徒町へ戻ってくることにした。

午後の雑踏

 再び上野方面へ歩いていくのだが、午前のときと違って人出が2倍くらいに増えている。

信じられないのは、この雑踏へ乳母車を押しながら買い物に来る人たちだ。それも何人もいる。普通、雑踏に乳幼児を連れてくることはしないだろう。それに乳母車を押して歩くと言うことは自分たちとっても回りの人たちにとっても危ないはずだが、今時の母親はそんなことは関係ないのだろう。

やがて、上野側の一番端まで来た。もちろんそれまでもあちこちを覗いては品定めと目の保養だ。端に近いところに、独特のトークでお菓子を売っているところがあるので、それを見がてら買うことにした。「テレビを見た人」「ハーイ」と手を挙げさせ、レジ袋にお菓子をどんどん入れていく。見ていると1000円以上入れているように見えるから不思議だ。それにつられて買ってしまうのだが、それもお祭りのようでおもしろい。買い手が「もう一つ入れて!」と声をかけても売り手はそれに応じることはない。

どんどん入れていても、冷静に勘定をしているところもおもしろい。最も毎日同じことをしているのだから、そのあたりは計算され尽くしているようだ。これも商売のテクニックなのだろう。


アメ横のお店はトークで売っていると言っても良いのでしょうか。それも横丁を元気づけているのでしょう。その声を聞くのもここを訪れる楽しみでもありました。

一番の目的は1000円時計を買うことなので、それさえ済ませてしまえば、後は自由行動みたいなものだ。ぶらぶらと歩くのは悪くない。

 

お店を冷やかし歩き

時計屋を出て先に進んでいくと、左右には水産乾物類を売る店が軒を連ねている。その間に、衣料品、靴、バッグ・カバン、お菓子、時計などなどが売られている。アクセサリーや指輪、化粧品などは、一歩中に入ったアーケード内に狭い間口で店舗を構えている。

左右のお店を覗き覗き歩いていくと、やがて「アメ横センタービル」の大きな三叉路に出た。そこにはテレビ中継でも良く取り上げられる水産物店が大きく店を構え、既に売り子さんの声はかなり良い調子になってきている。値札と売り値が大きく違うので、うっかり「これ下さい」などと言ってはいけないようだ。よくよく値段を聞いて、売り値を値切って「じゃあ帰りに寄ります」と言って次の店に行くのが、常套手段。でなければ、買っている人を脇で見ていて、値段を聞いておくことだろう。お店を覗き、冷やかしながらブラブラと40分歩いてくると、上野駅不忍口前の道路にたどり着いた。

上野公園

 左前方は上野公園の西郷さんの銅像が立っている崖がある。崖下にあった映画館は全て無くなり、レストランや喫茶店、コンビニに変わっている。かつてのどこか泥臭い上野駅というイメージは消えてしまったようだ。

11時10分に、ついでだから、上野公園を歩いてみようということで、横断歩道を渡り上野公園に上がる階段の下に来た。そのすぐ左隣が「京成電鉄上野駅」への入り口になっている。ここから「スカイライナー」に乗れば成田空港へ一直線だ。

階段を上がり、さらに右手の階段を上がると上野公園の台地の外れに出た。西郷さんはそこに立っている。冬なのに単衣一枚では寒かろう。でも今日はうららかな冬の日が差していて、歩いている人もどこかのんびりとしていて気持ちがよい。

近くのトイレに入り、清水観音堂の脇から、不忍池方面を見てから公園を北に向かって歩いていった。公園の太い木立を縫うような散歩道を進むと、右手に東京文化会館、左手に正岡子規記念球場がある。そこを過ぎると左手に上野動物園があり、広場ではバグパイプやゴム風船の大道芸人がパフォーマンスをしている。今日から学校も冬休みに入ったようで、たくさんの親子連れが動物園に向かって歩いていく。中央の大きな池の向こうには国立博物館の威厳のある建物が見えている。プラプラと公園口に向かって歩き、国立西洋美術館前にやってきた。美術館の前庭は自由に出入りが出来るので、そこに展示されている「考える人」「カレーの市民」「弓を引くヘラクレス」「地獄の門」というロダンの傑作を見るのも久しぶりだ。「考える人」のポーズをまねると腰を壊しそうになる。「考える人」は「地獄の門」の上の方に置かれたものを、拡大して作られたものだ。などと話しながら、「公園口」から崖沿いの坂道を下って12時に「不忍口」へ戻ってきた。

 

上野公園は、周辺の雑踏からかけ離れた感じがしてとても良い。

本当なら博物館や美術館にも入りたいのだが、時間がないので入れないのは残念だ。また、日本のこういった施設はなぜ入場料金が高いのだろうか。ケチだからそういう気持ちになるのだおるか。

築地に行ったのはいつだったでしょうか。本当に久しぶりに上野アメ横に行ってきました。

10日ほど前に新潟の寺泊に行って来たのですが、そこは新潟のアメ横というキャッチフレーズで観光客を集めている場所です。そこで、だったら本家に行ってみようではないかと思い立ち、メモ用紙1枚を持って出かけました。カメラは持っていきませんでしたので、写真はありません。

テレビなどでも紹介されていますので、映像はご自分で描き出してください。

今日のテレビ番組を見ていたら、加山雄三さんの町歩きで、寺泊が紹介されるようです。



 

アメ横

 

上野公園

 

         散歩 

 

 

御徒町 → アメ横 上野公園

 

          → アメ横 御徒町

 

 

 2013年12月25日(水)

 

 

出発

年末になると、テレビはアメ横の混雑を中継している。この混雑は行ったことのない人の心までそわそわさせるものだ。2013年も余すところ7日となり、あちこちでクリスマスセールと年末セール真っ盛りとなってしまった。景気が少し良くなったとかで、何かと財布のひもをゆるめさせようと、広告もたくさん入ってくる。

「年末だ、年始だ、といっても、所詮、太陽は東から昇り西へ沈むだけだろう」などと天の邪鬼を装っていても人間の心は正直だ。どこかにうきうきした気持ちが生まれていることは否定できない。

「何事も経験してみなければ文句も言えまい」ということで、「明日、アメ横へ行ってみよう」と話がまとまったのが昨日のことだ。

9時30分に家を出て、43分の電車に乗り、10時に「品川」へ着いた。山手線の電車に10時08分に乗って「田町」「浜松町」「新橋」「有楽町」「東京」「神田」「秋葉原」と過ぎ「御徒町」に着いたときは10時30分になっていた。

「アメ横」御徒町側入口

「御徒町」の駅を出ると、道路の向こうに入り口が見える。入り口には、真ん中に時計を付けた「アメ横」の看板が見えるが、その道幅は思っているほど大きく広くない。その名の通り横丁だ。しかしその入り口からは、その雰囲気が吹き出している気がしてならない。

「アメ横」というと、アメリカンの略と思ってしまうが、戦後まもなく「上野駅」と「御徒町駅」の間にアメヤさんがたくさん出来たそうで、それから「アメヤ横丁」→「アメ横」となったというから、ちょっと興ざめだ。

青信号を待ちながらも、気持ちは既に「アメ横」を歩いている。青信号に促され、まだ人出がそれほど多くない横丁を上野駅の方向を目指して歩き始めた。ようやく開店をしたばかりのお店は、まだ活力60%といったところだろうか。

1000円時計

今日買いたいものは、1000円時計とお菓子や海産物などのめぼしいものだ。横丁に入って5軒目ぐらいのところに時計屋さんがあったので、そこに並べられているものを見た。「1000円時計有りますか?」と聞くと「500円のものもあります」と店員さんが言う。さすがに500円のものは高価?すぎて手が出せず、文字盤が見やすい900円のもの2つが気に入った。1つは電池切れなので新しい電池に交換してもらって購入。保証書が付いているというが、この時計の保証書を使うこともあるまい。電池が切れたらあとは自分で交換すればいいし、なくしても簡単にあきらめることも出来る。今の時計は構造が簡単なのでほとんど壊れることもないはずだ。以前買った1000円時計も10年使ってベルトが切れてしまったが、時計本体はまだ快調に動いている。壊れても良いのだけれど、そういうときに限って壊れない。念のため言っておきますが、ほかにもスイス オメガ製の10万円の金時計も持っていますのでケチといわないでほしい。


まだ朝なので、アメ横の元気なところはありません。

ここに来て高級品を買おうとは思いません。安いもので結構ですのでその雰囲気を楽しもうと思っています。

新潟から関越を直進してくればすぐなのに、長岡へ戻り北陸道から上越回り、長野経由で都心に戻ってくることになり、出発をしたのです。

次の問題は到着してからの時間の過ごし方です。寒空を駅前に放置されてはたまったものでありません。そのことが皆さんの大きな不安になったのでした。


バスチャーター

出発するとすぐに長尾さんが「皆さん。このルートで横浜に帰りますと、おそらく終電車はないと思われます。そこで会社と連絡しまして、このバスを明日の朝までチャーターすることにしました。ですから始発の電車までバスで休むことが出来ます。」拍手「そこでですが、トイレの問題もありますので、横浜到着を朝になるように、途中のサービスエリアなどで調整をしていこうと思うのですがどうでしょうか。」という提案があった。しかし、横浜まで車で来ている人、家族に迎えに着てもらえる人、タクシーで帰れる人などもいるので、無理のない範囲で出来る限り早く横浜に行くことになった。

その間も霰がパリパリと音を立てて車体に当たっている。

北陸高速道から上信越道へ

9時47分「上越ジャンクション」から「上信越道」に入った。するとそれまでの横風が追い風となり、バスは快調に進み始めた。これより「妙高高原」まではずっと登りが続き、800mの高度まで上がらなければならない。10時頃になると道路は登り坂にかかり、路面は雪で真っ白になってしまった。運転手さんが緊張した様子で運転しているのが、車体の動きから感じられる。9分に「妙高高原サービスエリア」を通過し12分頃には峠を越えたみたいだ。路面はまだ雪だが、これから状況が悪くなることはないだろう。10時40分「信州中野」を通過している。外は雪が降っているが路面の雪がなくなってきたので、心なしかバスのスピードが上がっているような気がする。エンジンとタイヤの音が軽くなっているのだ。47分「須坂・長野東」あたりにくると雪もやんできたので、心の緊張が取れてきたような気がしてきた。「松代」「更埴」そして「五里ヶ峯」の長いトンネルを出ると右前方に上田盆地の明かりが見えてきた。

11時17分「東部湯ノ丸サービスエリア」でトイレ休憩。ここでもご飯などの食べ物を手に入れることは出来ず、33分に出発。長野の夜は冷え込みがさらに厳しく感じられる。

その後、再び眠ってしまったのだろう、全く記憶がない。

関越道

「皆さん「三芳サービスエリア」に着きました。トイレ休憩を済ませてすぐに出発いたします。」という声で目が覚めた。いつの間にか「藤岡ジャンクション」で関越道に入り、埼玉県の三芳に来ていたのだ。トイレを済ませて28分出発。

横浜駅西口から朝帰り

また記憶をなくしてしまった。「皆さん、最後のトイレ休憩を取ります。トイレを済ませましたらすぐに出発いたします。」“ここはどこだ?”とぼやけた頭を整理すると、なんと「保土ヶ谷バイパス」の「保土ヶ谷サービスエリア」ではないか。時計は2時30分になっている。はっきりしないままに37分出発。5分後の2時42分に横浜駅西口「天理ビル脇」にようやく到着した。ここで半分近くの人がバスを降り、残りの人は車内で始発電車を待つことになった。

4時30分頃になると各方面の電車が動き始め、三々五々皆さんはバスから降り家路をたどっていった。4時40分になったのでバスを降りて、「寺泊」のお土産をもらい、5時04分の上り品川行きに乗って、家に着いたのは5時30分。まだ朝日が上がる前で空は真っ暗だった。

昨日の朝6時に家を出たので、23時間30分ぶりに家に戻ってきたことになる。

バスの走行距離は約1000kmになっていたことだろう。

それにしても1泊2日の長い日帰り旅行だったが、関越トンネル事故に遭遇し、高速の通行止めにもあうなど、有る意味良い経験だったと思いたい。お願いしてもこのようなルートでこのような経験は出来ないのだから。

この日は、疲れていたのに気が張りつめていたのだろう、何もする気が起きなかった。翌日になって「寺泊」のお土産を開封し、中身を美味しくいただいてこの旅行は完了したのであった。



このような出来事はまず持って起きないことでしょう。緊急事態と言っていいかと思いますが、それに対しても長時間の面倒を見てくれた添乗員さんと雪道運転をしてくれた運転手さんには大きな感謝をしました。

旅行はこのようなハプニングが起きるので面白いのです。

寺泊を出発して帰ってくるのですが、事件はそこで起こったのです。

さてどうなるのでしょう。


北陸自動車道と関越道

バスは国道402号線「北陸道」を2kmほど南下してから左折し、県道22号線を内陸に入っていった。4時33分、信濃川の堤防に出て右折し、42分に国道402号線の青い色の与板橋で信濃川を渡り、すぐに県道20号線に乗り継いで、4時55分に「中之島インターチェンジ」から「北陸自動車道」に乗っていった。

新潟平野は広い。ほぼ30分間水田地帯を走っていたのだ。

もう外は真っ暗になり、車のヘッドライトがキラキラ輝いている。これからあとは、静かにバスに乗っているほかにすることはない。いつの間にか「長岡」から「関越道」に入り5時30分に「魚沼丘陵」の「堀之内パーキングエリア」の近くに来ていたが、この辺りにくると雪が降り始め、50km程度のノロノロ運転になってしまった。

トンネル事故発生と通行止め

6時06分にようやく「塩沢石打サービスエリア」でトイレ休憩になったのだが、ここで添乗員の長尾さんから衝撃的なことを聞かされた。「皆さん、良くない知らせですが、この先の関越トンネル内で交通事故が発生し、現在通行止めになっています。また「湯沢」「水上」間がとても滑りやすくなっていますので、道路閉鎖になるかもしれません。今、情報を集めていますが、とりあえずトイレをお済ませ下さい。」

6時20分にバスに戻ってきたが、女子トイレは大渋滞になっている。このあとどうするのだろうか。27分に長尾さんが「事故処理は終わったようですが、道路の整理にもう少し時間がかかるようですので、開通するまでここで待ちたいと思います。」と連絡をしてきた。周りの車が数台出発している。

6時42分、長尾さんが「「湯沢」「水上」間が通行止めになってしまったようです。今のところ方法は3つ有ります。1つは「石打」でこのまま開通を待つ。1つは一般道に下りて「三国峠」を越えていく。1つは「長岡」に戻って「上信越道」を経由して戻る。というものです。どれが最善であるか会社と相談して決めねばなりません。しばらくお待ち下さい。」と話してから、会社と連絡を取っていた。

上信越道回りで帰る

やがて「「上信越道」を経由していくことにしました。「石打」で待っても開通が明日の何時になるか分かりません。「三国峠」を超えていくのは、渋滞とトイレの問題があるので無理だと思われます。遠回りですが「上信越道」はサービスエリアがあるので大丈夫だろう。ということです。それでは皆さんもう一度トイレを済ませておいて下さい。7時15分に出発をいたします。」とルートを決定し、Uターンをするために「湯沢」へ向けて出発した。高速道路は簡単に方向を変えることが出来ないので、Uターンするためには「石打」から15分先の「湯沢」まで行って方向を変え、また15分走ってこなければならないのだ。30分も無駄になってしまう。それでも高速料金はしっかりと徴収するのだから、NEXCOはひどい会社だ。

これからの長期戦に備えて、出来るだけ体を休め眠れるだけ寝ておかなければならない。

「湯沢」で方向転換をして30分くらい走ったのだろうか、そのあたりまでは覚えているがその後の記憶がない。

米山サービスエリア

「それでは米山サービスエリアに着きましたので、トイレ休憩にします。ここで夕食などを取るようにして下さい。」という声で目が覚めた。時計を見ると9時00分になっている。念のため横浜駅西口のZESTで買ってきたサンドイッチと助六寿司を持っていたので、ここで、サンドイッチを食べたが、美味しい。実に美味しい。

「北陸自動車道」は昼でも交通量が少ない。10年前に走ったときには、閉鎖されているサービスエリアもあったくらいだ。「米山サービスエリア」は開いていたが、案の定食事に関する物はほとんどない。皆さんパン、お米、麺を手に入れることが出来ず、お菓子などを買ってバスに戻ってきた。9時17分出発。風が強く霰が降っている。

“よーねやまさんからーーくもーーがーーでーたーーーー、いーまーーーにーーゆだちーがーくるーやーらーーピッカラシャッカラドンカラリンとーおとーがーーすーーーるーーー・・・・・”という三階節が聞こえてくるようだ。


外は既に真っ暗になっているのです。ですから写真はありません。闇夜にいると思ってその情景を頭に描いてください。

いよいよ目的地の寺泊に入ります。冬型の気圧配置のためか、そこは日本海の荒波が堤防に砕け散る、「津軽海峡冬景色」を連想させる場所でもありました。「ああああーーーー、なみがくだける てらどーーーまりーーーー」


寺泊

3時25分、やがて道は山間地に入ってきた。その峠道を抜けると、突如前方に日本海の荒波が迫ってきた。バスは、海岸と平行に走る国道402号線「北陸道」を北上していく。この山間地は「弥彦山」から続く丘陵のようだ。電柱の標識を見ると長岡市寺泊となっている。国道沿いの家々は戸を閉ざし、ひっそりとして人影はどこにもない。それらの家は海に背を向けて建てられたものがあり、海に向かっている場合は玄関をサンルームで囲ってある。そのサンルームは物干場や、作業着置き場としても使われているようだ。それがない家は、玄関前に厚い塀を風よけとして作ってある。

バスは、左手にある駐在所を左折したところの、閑散とした大きな駐車場に停車した。3時31分。

添乗員の長尾さんが「皆さんここが日本海のアメ横「寺泊」です。駐車場など何かとお世話になりますのが「中央水産」さんですので、必ずそこに入って下さい。それではここの出発は4時30分を予定していますので、それまでごゆっくりお買い物をして下さい。」と言われ、皆さん商店の方へ散っていった。バスを降りると、日本海の冷たい風が強い。風速は10mくらいは有るだろうか、女性は髪の毛をバラバラにされるし、帽子をとばされそうな人も多い。
中央水産の店内 中央水産の店内

寒ブリ  紅ズワイガニ
 寒ブリ         紅ズワイガニ

サケ  スケソウダラ

 塩ザケ         スケソウダラ

ニシン ニシン 

言われたとおり「中央水産」の店内に入った。ここは日本海岸なので、関東地方とは違った魚が多いのが分かる。しかし、見ていると魚種はそれほど多い感じがしない。目立ったのは鮭、ズワイガニ、紅ズワイガニ、甘エビ、ブリ、スケトウダラ、ノドグロ、イカ、ミズダコ、ホタテといったところだろうか。その中でメインは鮭・カニ・ブリで、この三種類が店内に活気をつけている感じだ。もちろん塩辛などの加工品、カズノコ、スルメ、タラコ、イクラ、ノリ、アジの干物等々も売っている。鮭・カニを店先に並べ、串刺しのイカなどを焼いて匂いで客を呼び寄せてもいる。

しかし、これらの品々は東京のアメ横ならずとも、近所のスーパーでも売られているものばかりだ。ここ「寺泊」でも千葉県・静岡県産のキンメダイが置いてあったが、売られている物にその地域限定などということはあり得ない。

このようなお店はいくつあるのか、端まで行ってみた。

寺泊全景
         寺泊の商店全景

海から見て最も左手から並んでいる順に見ると

「ToTos」スーパーマーケットだが、店内にカフェが有った。お店は普通のスーパーで、総菜や野菜、お土産などを売っている。

「山六水産」中央水産と同じだが、店の奥で隣の「ToTos」と繋が

  っていた。

「角上魚類」ここは支店だと思う。

「ブルーシール寺泊」普通のおもちゃ屋さん

「金八」中央水産と同じような品揃え

「山六水産」黄色い看板で、中央水産と同じような品揃え。こちらが本

  店だと思われる。

「角上魚類」中央水産と同じような品揃え。こちらが本店だと思われ

  る。

海鮮丼を300円ほどで売っていた。

「志田佛壇店」なぜここに仏壇店が有るのだろう?お店の一角にソフト

  クリーム屋さんが

あるのもミスマッチでおもしろい。

「中央水産」緑の看板。海から見て、ここが右端のお店になる。道をは

  さんで右側にお寿司屋さんも経営している。

日本海からの身を切るような風に身を縮めながらバスに戻ってくると、程なく全員がそろって4時18分に出発をした。駐車場には大きめの公衆トイレが有るのに気づいたのは、お店のトイレを借りたあとだった。日本海の荒波は、もう少しで日が沈む「寺泊」の防波堤を越え、大きな波しぶきを上げている。


寺泊の商店数は思っていたよりも少なくて、ちょっと拍子抜けなところもありました。商品の種類はそれほど多くはありませんし、どこのお店に行っても同じものが売られていますので、もう少し工夫があればと思いました。

燕と三条は、以前訪れたことがあるのですが、時代とともに大きく変化をしているのです。伝統は大事にしなければなりませんが、大事にしすぎると時代から取り残されていってしまいます。だからといって伝統を捨ててしまうことは命取りになるのですから難しいことです。

技術伝承のために、伝統技能専門学校のようなものはできないのでしょうか。

 

燕三条ファクトリー・アウトレット・バスターズ

バスは、再び国道8号線に出て「新潟西インターチェンジ」へ向かった。空の雲は相変わらず速い勢いで内陸に向かって止めどなく流れている。この雲は関東地方へはひとかけらも入ってこないのだから、その雲は全て山地の雪として降り積もるのだろう。

54分に「北陸自動車道」に乗り三条を目指していくと、右前方に「弥彦山」が見えてきた。それ以外は、一面の新潟平野の水田だから、地面は全くの水平になっている。刈り取りは既に終わり、落ち穂でもあるのだろうか数十羽の白鳥の群れがその水田に群れている。2時12分に「三条燕インターチェンジ」で下りて一般道を進み始めた。インターチェンジの隣が新幹線の「燕三条」駅。新幹線のガードをくぐり、区画整理で直線になっている道を直角に曲がっては進みを繰り返し、2時33分に「燕物流センター」にある「燕三条ファクトリー・アウトレット・バスターズ」に到着した。

燕三条ファクトリーアウトレットバスターズ

燕三条ファクトリー・アウトレット・バスターズ

燕市と三条市は江戸時代の初期から和釘の産地で、1700年頃になると実用品から装飾品まで様々な金属製品を作り出している。その流れは今も続いているが、明治になると西洋の品物が入り金属加工産業は壊滅的になってしまった。その中でスプーンやフォークなどの“洋食器”の生産が始まり、世界に輸出されて国際的に有名になっていった。

しかし、1970年以降の急激な円高により、再び洋食器産業は大打撃を受けている。

店内  アウトレットのスプーン

 アウトレットの店内   安売りの洋食器

伝統工芸の刃物  伝統技術の包丁

このアウトレットは、2002年に作られたもので、洋食器を含めこの地域で生産されている品々を中心に、型落ちしたものや旧モデルなどを集め洋食器の大安売りをしているのだ。もちろん高級品も置いてあるが、本来の鍋・ざる・棚などの台所用品、刃物、農機具、園芸用品も販売していた。さしずめどこかのホームセンターの感じがしている。

ノーベル賞の晩餐会で使用されたのと同じ洋食器も展示されていた。

ただ、タジン鍋を見ていたら箱に“made in china”と書いてあった。これは燕三条の会社が中国で現地生産して輸入したものなのか、中国企業が生産したものを輸入販売しているのか分からない。それをはっきりとさせておくべきだろう。そのままでは、この地域の製品も中国製の安物と同じに見られるかもしれない。3時05分に出発。

大河津分水

冬の大河津分水 冬の大河津分水

雲が厚くなっているからだろうか、あたりが薄暗くなってきている。その中をバスは「寺泊」に向かって進み始めた。このあたりは分水町だ。国道116号線を南に進み、3時18分に「大河津分水」を渡った。この「大河津分水」は、1870年から、途中30年近い中断を経て、1922年に完成した水路である。新潟平野は広大な低湿地なので有数の米産地であったが、信濃川の大洪水の常習地帯でもあった。そのため「弥彦山」の東を北上していく信濃川の水の一部を西に流し、「寺泊」付近に新たな河口をつくる工事を考えた。工事は1870年に始めたが下流域の住民の反対で中断した。しかし、その工事は1896年の大洪水をきっかけに1909年に再開され、国家事業となって1922年に完成をした。その結果、洪水はほとんど起きなくなり、新潟平野の安全性は飛躍的に増加して生産は安定したが、良いことばかりではなかった。信濃川が運んできた土砂が大河津分水から大量に流出するようになったので、やがて信濃川の河口付近の海岸が後退をはじめ、大河津分水の新たな河口付近の海岸が遠浅になってきているという。



大河津分水を見られたのは大収穫です。見るとただの川みたいなものですが、その存在意義を知ると感動してしまうのですが、そんな気持ちになる人はほとんどいないことでしょう。次はいよいよ寺泊です。

北陸高速を降りて、新潟ふるさと村に着きました。ここで昼食です。

最近はこういった施設が増えているのでしょうか。

団体客の昼食提供、地場産品のテナント、おみやげ屋、イベント、トイレといったところが共通項のようです。

新潟ふるさと村

11時52分に「北陸自動車道」を「新潟西インターチェンジ」で下り、12時00分に国道8号線に入ってすぐのところにある「新潟ふるさと村」に到着した。時間も時間なので、ほかの旅行団のバスも何台か着いたばかり。

バス停の混雑   新潟ふるさと村のモニュメント

バスを降りての混雑    新潟ふるさと村の入り口

そのため、バスを降りて少し待たされたが、やがて案内された建物に入ると、そこは地元物産を販売するミニテーマパークのようになっていた。その建物は2階建てで、1階のロビーは吹き抜けになっており多くの人で混み合っていた。すると、そこの係員がハンドマイクで「ここには、新潟の名産が展示販売されています。ステージでは踊りが行われていますが、1時からはマグロの解体ショーが行われます。これからミニ丼とカキ汁の食券をお配りします。」すると係の女性が3枚綴じの食券を配り始めた。「皆さん食券をもらいましたか。それではご説明します。この食券で、目の前にある屋台のミニ丼を2種類もらえます。もらったら、2階へ上がり、“番屋亭”へ行って下さい。そこでカキ汁をもらい、席についてお食べ下さい。」ということで解散。

昼食の海鮮丼 一番人気があった海鮮丼とちらし丼

早速、屋台に並び「海鮮丼」と「ちらし丼」を食券と交換。それをトレーに乗せてエスカレーターで2階へ上がり“番屋亭”に入り「カキ汁」をもらって、空いている席に座った。ミニ丼一つが300円なので600円、カキ汁が200円で、合計800円也は無料。

12時17分から食べ始めたが、味はとても良い。量的には足りないと思っていたのだが、食べてみるとちょうど良い。満足して34分に終了。窓には冬の日差しがキラキラと輝いている。

館内の様子 館内ロビーのにぎわい

“番屋亭”を出て2階のテラスから1階を見ると、小さなステージでは若者達が踊りを踊っている。建物内にいる踊り手や太鼓の演奏者などを数えてみると40人以上になろうか。一体この人達は何なのだろうと思ってしまう。そこで披露されているものは、伝統舞踊や伝統演奏ではなく現代舞踊でもない。衣装もどこの国籍か分からないものを着ているので、これは何なのだろうと疑問がわいてくる。音楽のボリュームが非常に大きい。

1階に下りて、いくつか有るお店を見て回ると、お酒、お米、柿の種、洋菓子、おもちゃ、乾物、Tシャツなどが売られている。ステージの裏を歩いていくと、このあと行われる“マグロの解体ショー”で使われるマグロが準備されていた。

1時からショーが始まるというので、全体が見える階段の途中に上がって見ることにした。
マグロの解体ショー マグロの解体ショー
インドネシア産のメバチマグロ65kgがステージのまな板にのせられ、ショーが始まった。のこぎりや出刃包丁で解体していくのだが、板前さんの動きがちょっとぎこちない。また、そばで解説している人のトークもへただ。解体ショーはステージの上、観客はステージの下にいるから、観客は板前さんの手元が全く見えない。だから、何をしているのか想像して見ているしかない。解体に手間取っているときには、何でそうなっているのかが分からないから、しらけた空気が流れることもある。

頭を落としたら「兜焼き」の説明でもすればいいのに、「頭は“兜焼き”に出来ます」で終わりだ。もう少し話しを広げてもらいたいものだ。説明する人が、インドネシア産の生マグロなどと嘘を言っている。インドネシアから生マグロを持ってきたら、身が腐って刺身などでは食べられなくなってしまう。冷凍物を解かして持ってきたのに決まっている。解体したマグロは、隣の屋台で寿司の握りにして販売していたが、刺身の色が悪くとても買う気になるものではない。どうも身が少し焼けているような気がするので、このマグロは1本6万円ぐらいではなかろうか。マグロのあとには、ブリの解体ショーも行われたが、マグロのあとでは、魚体がいささか小さすぎるので、見ている人へのインパクトも小さくひっそりと終わってしまった。時刻も1時を過ぎていれば、見ている人は昼食を済ませている。解体されたマグロはなおさらに売れないことだろう。その後始末はどうするのだろうか。

1時30分になるとまた踊りが始まったが、見ているのも飽きてきたので、お店を見て回ったが、これといって買いたいものもなく、バスに戻ってきた。45分。するとほとんどの人が既に着席していて、47分には全員が集合してしまい出発。


目的はあくまでも寺泊ですから、新潟ふるさと村では昼食とトイレだけです。あとはエコノミー症候群にならないよう体のストレッチです。

 

谷川岳の下に掘られた関越トンネルはやはりとても長いです。

冬の寺泊ですし、雪国新潟ですから、徐々に雪が多くなる景色を見ていると、気持ちがだんだんそういった感じになってくるのです。これもその現場に行ってみないと経験できないものなのでしょう。

 

関越トンネル

 48分下り線の「関越トンネル」11kmを7分50秒かけて通過。まさに国境のトンネルを通過したから、路面は全面が雪で覆われている。これでよくスリップをしないものだ。10時00分「湯沢」。雪が降っているため、視界は100~150m程度になりノロノロ走りになってしまった。15分「塩沢石打サービスエリア」でトイレ休憩。
塩沢石打サービスエリア 塩沢石打サービスエリア
サー
ビスエリアの天気予報を見ると、この辺りは雪だが新潟の平野部では晴れているという。何か拍子抜けしてしまうが一安心。雪がかなり降っている中を10時30分に出発。
出発してまもなく予定変更のお話しがあった。移動ルートの関係から「新潟ふるさと村」で昼食を取ったあとに「三条燕・ファクトリー・アウトレット」へ行くと無駄がないようなので、時間の節約からも順番を逆にするという。
 

その話と同時に「新潟ふるさと村」のパンフレットが配られた。それによると、場所は、新潟市中心部からほんの数kmしか離れていないところにある。そこで90分の時間を取り、昼食を食べるのだが、ミニ丼2種類とカキ汁が提供されることになっている。パンフレットには13種類のミニ丼があると書かれているので、どれを選ぶと良いか悩んでしまう。無難なところでは「海鮮丼」と「バラちらし丼」あたりだろうと思うのだが、ミニという言葉から量的に足りるだろうかと心配になってしまう。また、1時からまぐろの解体ショーもあるからそれを見ることも出来るという。

バスは「湯沢」から「小出」に向かって下り坂をどんどん下りていくが、それに伴って天候はどんどん回復していくのがうれしい。10時55分、やがて道は大きく左にカーブして、魚沼丘陵を横切っていく。道の左右の水田は、名産となっている「魚沼産コシヒカリ」の生産地だろう。信濃川に流れ込む「魚野川」を渡っている。

11時05分、雪もやみ雲の切れ目から青空が見え始め「小千谷」に入ると、日がさしてきた。右手には魚沼丘陵が続いている。

北陸自動車道

11時15分、長岡市に入ってきた。「関越道」はここで終了し「北陸自動車道」を利用して新潟へ向かっていくことになった。平野の空は一面低い雲に覆われ、その雲は日本海側から「魚沼丘陵」「越後山脈」に向かって、強い圧力で絶え間なく流れている。この圧力は冬の日本海側でなければ決して見ることが出来ないものだ。しかし、毎日このような雲を見ていたら気持ちも暗くなってしまうだろう。

新潟平野に雪がない 新潟平野に雪が積もっていない

24分に、「信濃川」を渡るが、見附、三条あたりに来ると、田畑や家の屋根にも雪がほとんどないので拍子抜けする。

このあたりでは「北陸自動車道」と「上越新幹線」が平行している。バスは30分以上も走っていたのだが、新幹線の電車を一度も見たことがなかったのはどういうことだろう。

おもしろいことに、「北陸自動車道」のインターチェンジは「三条燕」新幹線の駅は「燕三条」となっている。市のメンツを立てるために順番を入れ替えたのだろうか。ご丁寧に、駅もインターチェンジも燕市と三条市の境界線上に造られている。

11時43分に旧巻市に入ってくると再び大粒の雪が降り始めてきた。左手には弥彦山が見えるはずだが、雪に煙って何も見えない。しかし、その雪も数分後にはやんでいる。


おそらく新潟平野も雪景色という気持ちでいたのですが、平野にはほとんど雪がなかったので拍子抜けです。天気予報でも大雪と言っていたのですが雪は山地だけだったのです。

横浜から関越へ抜けるにはいつも悩んでしまいます。

最短ルートは環状8号を使うのですが、悲劇的な渋滞に巻き込まれる危険性があります。

八王子経由もありますが、遠回りになる感じがします。

首都高速で東京の真ん中を走り抜けるには道が複雑すぎて怖いのです。

今回バスは東京の中心に突入していきました。おもしろいです。


発車

 やがて、申し込んだ人が全員来たのだろう、添乗員さんと運転手さんが乗ってきて、人数を確認し7時ちょうどに発車。

添乗員さん 誠実な添乗員の長尾さん

添乗員さんがいつも行われる挨拶を始めた。「おはようございます。私は今回添乗いたします長尾と申します。私はサラリーマンをリタイアしてから、趣味の旅行を生かして添乗の仕事をしています。1年ほどになりますが、よろしくお願いします。今日このバスを運転してくれますのは、天台観光の萩庭さんと池田さんです。今日は長距離移動になりますので、お二人で運転をしていただくことになります。よろしくお願いします。」拍手。その間にバスは15号線に出て左折し首都高速「三ツ沢線」に入りそのまま走って「横羽線」に乗っていった。東京湾の朝日が車内に入ってきたところだ。「今日のこの旅行は人数の関係でバス2台になっています。このバスは2号車で、33名の乗車となっています。車内風景 ほぼ満員の車内

バスのナンバーは707,天台観光ですので忘れないようにして下さい。何点か注意事項を申し上げます。走行中はシートベルトをお締め下さい。座席は現在座っていらっしゃる席で今日一日を過ごして下さい。リクライニングは出来るのですが使用は控えて下さい。車内は禁煙です。団体行動になりますので集合時間は守るようにして下さい。この後、長距離を走って参りますので、1時間30分をめどにトイレ休憩を取っていきたいと思っていますが、緊急の場合は遠慮なくお申し出下さい。今日は日曜ですから渋滞はないと思いますが、この前、軽井沢に行きましたときには、現地到着が1時になってしまい、観光時間を大幅に減らして帰ってきたことがありました。今回はそのようなことがないと思います。」
東京の首都高

バスは首都高速「横羽線」から14分に「大師橋」19分に「平和島料金所」を通過すると、右手には馬の追い込み練習中の大井競馬場が見えている。この辺りの道路は「1号羽田線」。「浜崎橋ジャンクション」を通過してから、ジェットコースターのような首都高速を走り、33分には「東京ドーム」の隣に出ていた。

すぐそこに「東京スカイツリー」が見えるがここからは5kmも離れている。道路は「5号池袋線」に入っている。45分「高島平」47分「戸田橋」49分「美女木ジャンクション」で「東京外環状高速道」に入ったが高速道路に信号がある。51分荒川橋を渡るときには前方に秩父の山々が見えてきた。

関越道

7時56分に「大泉ジャンクション」から、ようやく「関越道」に入ったが、ここまで約1時間で来たのは速い。新潟まであと291kmと出ていたので、旅行はまだ始まったばかりだ。

バスが時速90kmで快調に進んでいくその脇を、乗用車が軽く抜いていく。8時15分ごろ左手に見える山は高尾山や丹沢のようだ。その上に真っ白な富士山がよく見えている。やがて「鶴ヶ島ジャンクション」を過ぎて8時21分に「高坂サービスエリア」で1回目のトイレ休憩を取り、35分に出発。

高坂サービスエリア

高坂サービスエリアに止まっているバス

50分「花園」9時「上里パーキングエリア」、「上信越自動車道」の分岐点「藤岡ジャンクション」を過ぎれば、もうすぐ高崎だ。前方には上越の山が屏風のように迫ってきている。12分「前橋」を通過するときには、右手に群馬県庁の高いビルが「赤城山」を背景にして1つだけぽつんと立っている。右手の赤城山、左手の榛名山の山頂は雪景色。

何台かの対向車の屋根にも雪が乗っている。23分「赤城」を過ぎると赤城高原の山間地。トンネルを過ぎると畑や木の葉にも雪が残っているのは昨夜の雪であろうか。山がかすんでいるのは、今、雪が降っているところだろう。どうも今年一番の寒波というのはこのことだったのだろう。新潟がどうなっているのか不安な気持ちになってくる。33分に「沼田」を通過。雪が降っている。やがて雪はどんどん強くなり、高速道路の路肩にも積もり始めてきた。40分、あと10kmで「関越トンネル」に入るが、チェーン規制が始まっていた。





冬ですから雪は当たり前ですが、何か怖さも感じてくるのです。

いよいよ現代の国境のトンネルを抜けることになります。

おにぎり朝食 朝食のおにぎり3つ(やや食べ過ぎ)