どこまでもサイケなこの浮世で
ホワイトカラーの保守というのが
構造についてとても保守的な役割を持つ事だとして
影のそのまた影を演じたとしても
この事の意義は誰彼の自覚や理解を超えて一層と深いものなのかもしれない
浮世の世界で成熟を保持した新芽が大衆の影を演じたとして影と光が取り替わったとしても、それは三文のオペラにしかなりはしまい
日本的伝統や芸能の成熟の印はまさに、どんな優れた素晴らしい芸能の妙や技能に関しても、作り物を作り物として判別できる境界として空間を引いている点であろう
それは清潔であり、神が愛づりそうではある。
栄養のないものを美味しく食べるのも
栄養を摂る事を守るのも
等しく文化的
ならば
一等気をつけなければいけないのは
何より先立って要点要領から全てを装う姦計
大衆の光はありはしても
光の大衆なぞあるものか
おまけ