「気になる事は他人の噂!
今年からいよいよ真なる栄華を再生しそうなボクシング。
大変魅力的なカードが多く決定していて、
今月からアメリカの地上波に高いクラスのボクシングが復活。
そして何といっても
メイウェザー対パッキャオが遂に決定したという事。
数年前から何だか活発なボクシング世界の運動が今まさにピークに達してきているのかもしれないので、あえてこの時期を名付けるとしたら、ボクシング・ルネサンス期となるだろう。」
「ところで気になるのは、
HBOもShowtimeもこれを流すんだろうけど、
戦前煽りドキュメンタリーである24/7とオールアクセスは
どうなるんだろう?HBOがパッキャオでShowtimeがメイウェザー視点とかになるのか?共同制作か?史上稀に見る大試合だけにサブものにもワクワクしますな!」
「確かに、どちらのチャンネルで視聴するのか?というのも面白い関心だね。
HBOはランプリー、ケラーマンそしてジョーンズJr。
Showtimeはラナーロ、バーンスティンそしてマリナッジ。
(Wowowは高柳さん、小泉さんそして浜田さん+ゲスト?)
さて、皆さんはどの解説陣を選ぶのか。
・・・我々はHBOかな。
一体どっちが
この試合のアナウンサーになるんだろうか?
では、我々ボクシング原理主義も伊達だけどちょっとルネサンスっぽく古代ギリシャチックに考えてみようか。」
「うむ、伊達にな!
では、ボクシングというのは闘いの方法である。
そして、方法が求め導き出すものは答えと結果である。」
「然り。
これが人間と動物を別ける最初のことで、Reasonすることが出来るという事だね。
極端に言えば神を信じることが出来るとかいう事だろう。
人間はそうやってより高い位の世界や存在を認め信じることによって自己と全体を超越してきたわけだが、現代というあまりに人間賛歌的なものが実利に強い時代にあってはニーチェのように神の存在を否定しながらも人間を超越しようという超人思想は擬似的かもしれないがスポーツの世界に多く点在するように思われる。
現代ボクシング界で所謂超人的なステートにあるのが、ご存知、フロイド・メイウェザーJrとマニー・パッキャオの二人であり、この両者が対決するのだから天の神々も賭けに興じている事だろう。現世での掛け率は現在大体2対1でメイウェザー有利のようだ。
ところでボクシングにおいての神、答え・真理・結果とは何だろうか?」
だからこそ闘志が、技術が、全てが大切だ。
ボクサーはジャブやストレートを打つ。
何故か?
それは勝つためだ。
なにもボクサーだから真っ直ぐ手を出してるわけじゃなくて、それが勝つための法理であるからだ。」
「多分人間は、
そこが判らなくなって歯車が狂ってくるんだな。」
「皮肉なことに生真面目さや勤勉さという所謂、徳によってね。
そういった表面的な科学によって人間の内部が空洞化していくのは実に果敢無い。
ただ、まぁ確かに犠牲とはまぎれもなく人間の真理の一つだろう。
北欧神話の主神は、自身を木に首吊りして槍で貫く事で、自分に自身を捧げる事で文字を得たそうだし、奇しく釈迦も苦行の末に木のもとで悟りを開いたらしいじゃないか。
ボクシングの面白いところはねワトスン、
試合となるとそういった事や意識の高さなど本人以外わからないような本当に小さな事、些細な機微が大きな違いを生むという事だね。
勝負に関しては、無意識のうちになにをどう信じてしまっているかというのが最も重要な事であるのは万人が認めるところであろう。勝負の世界には負け癖の染みついた負け犬もあれば、逆に勝ち癖をつけさせるための噛ませ犬もいるじゃないか。
無意識の内にどれだけ強く我は勝利する者と信じているかが芯となり真となるのは至極当然だ。」
「信じるべきを信じているのか、そう思い込んで・込まされているのか。
言ってみれば拳闘とは言葉の代わりに体を使い勝利という真理に到達する方法で、そこに美しさがあるんだ。そう、ボクシングは動きの中の瞑想、禅といえるようなものであり、目的は勝利だ。勝利のためでないボクシングなんて命を捧げたってポーズ以外のなんでもないのさ。果たして我々はボクシングに立ち向かっているだろうか!それとも、それを盾と逃げ込んでいるのか??
ではここからが本題なんだが、
古今東西ピュージリストの執る方法には本質的に二つの系統があると思う。
それは、古代のソフィスト達のそれのようにレトリックであるかディアレクティックであるかという事である。
選手個人の心構えとしてはどちらしか持ち合わせないということは無いとしても、リングの中ではどちらかの性質が立ち優ることになると思う。
つまり、
自身が勝利するために、或は自分のボクシングの表現・執行を何よりも先ずの最重要として優れた技術や多彩な技・動き、優れた身体能力などで相手に意識・無意識的に負けを認めさせてしまう説得力のある雄弁的なレトリック的ボクシング。リングジェネラルシップやブローナーなどのように相手の行為は出来るだけ無視して無かったことにする唯我独尊的なものもこの系統の技術として分類できるだろう。
そして、
真理としての勝利に到達するために反対コーナーからやって来る相手とお互いに相手の理に適わないところを突いて、何方かが倒れない限り探究的で対話的なディアレクティック的ボクシング。相手に限らず自身が人間と真理との間の障壁となる事を考えれば、この問答法こそが初心にして奥義という感じがしないでもない。
ただ、これは勝負の世界にあっては実力は勿論いろんな条件が揃わねば成らないし、特に勝利の為に自分を隠す科学的ボクシングではなくて、勝利のために自分を曝け出す芸術的ボクシングであるのであるから意識的にそうなるようには誰にも出来ないだろうから、おそらくこの試合は何方かがレトリック的に立ち優ると思う。
人々のチャンピオン vs 背徳のヒーロー
コインの裏と表が遂にリングで向かい合うこの試合の具体的な考察・予想はもうちょっと勉強したら、もしかたら、書けるかもしれない。」
おまけ



