マカオの商人 | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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          光るもの必ずしも金にあらず


       ~ウィリアム・シェイクスピア(ヴェニスの商人より)~






「・・・シェイクスピアって天才だよな。英語には彼が創った言葉もあるそうだ。

名前を付ける事は何かを認識し識別する上で我々に必要な作業だが、新しい言葉が生まれるというのはまさに宇宙の神秘性と人間の科学性の間に閃く光だ。」


「そんな感じかしらんが、

金拳と銘打たれている興行(別名ゾウシミン・シリーズ)がマカオである。が、リゴンドーの試合は残念ながらHBOでは放送されないらしい。



煌めくアンチョビに落とされるビルの影

・・・



ところで、

先日のララカネロ



こいうのはリゴンドーを語る上で非常に役に立つように思う。


例えばある記者がゆってましたが、

カネロ
二人いて勝負したとしたら


お互いの獰猛さがぶつかり合って・・・



好戦的な試合となり、
どちらかのカネロが必ず有効になり劇的な幕切れとなる筈らしい。


・・・


逆にララ同士が勝負した場合



お互いがあまりに慎重で正確すぎて



試合は消極的なものとなり、
見ている側が幕を下ろすしかないような内容になるらしい。

・・・

このように各スタイルを批評する方法は様々だが、正直これは非常に偏った意見がベースの結果論でちょっといただけない。」




「こういうのは複雑だね。

強さのみを議題にしている場合なら、
強い者が強くない者の思う強さの条件を満たしている必要は無い。
が、逆に強くない者は強さの条件を強い者を通して理解し賞賛する。

しかし、
現実は万人にとって面白くなければ潤わないわけだからそう単純ではない。だからといって人が喜ぶだろうと思われる事も必ずしも受けるわけではないし、ままならぬものですな。

このようにして強さと金を天秤にかけてすったもんだしているうちに、ボクシングを慰みものにしだす連中も湧きだす浮世の仕掛け。


まぁアンチョビファンからすれば、

天然の塩付けして、干して、更には入手困難だなんて・・・いよいよ喉から手が出るほど魅力的なんですが、世の中この値打ちがわからないなんて希少価値というのがわかっていないな。

逆に我々はこんなおあずけ喰わされるほど犬のようになってしまうよ。」




「その意味でも、リゴンドーはこれに苛まれずにそれを対戦相手にぶつることでパフォーマンスの質を落とさない事が重要だろう。」


「どうやら我々は金じゃないものの光を認めているようだが、大切なのはその光りそのものじゃあるまいか。いよいよシリアスさを帯びてきたその希少価値によって是非その輝きを軸にした価値変動を願う。」



「この飢え満たされるはいつの日か。」







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