ドネア対ダルチニアン、ガルシア対マルチネス考察 | ボクシング原理主義

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 「来年一月のヴィクトー・オルティスの相手は、なんとあのルイス・コラゾらしい。」


「ワンダフル。」

 
 「いよいよ恵まれないボクサー達のための踏み石として、実力と反比例する名声を手に入れ始めたオルティス。

ボクシングそっちのけでテレビでダンスしたり、映画に出演したりとミッキー・ローク二世といった感じだ。
 

コラゾはこれが最後のチャンスかもしれないし是非ものにして欲しい。



明日はいよいよドネアダルチニアン

この試合は勿論ドネアが有利だろう。

ダルチニアンは誰がみても適性階級を越していて、確かにフットワークや諸々のテクニックに独自の力強さを感じさせる。が、バンタムで山中選手と試合した時同様にアップライトで後退されればそれまでという程この階級に適していない。

例えば、メキシコが誇る特別なテクニシャンであるファン・マヌエル・マルケスが、
階級を上げるに伴うパワー不足を解消するために段々とアップライトからクラウチになっていったように、何かを得るために何かを犠牲にするというのが階級制覇の偉業にはつき物だ。

日本の亀田興毅選手にしても、
世間に亀ガードと形容される事があるあの構えは、フルクラウチというボディを近距離の角度あるパンチ以外から隠す姿勢で更に距離を取るために相手からすれば頭以外に打つところが無く、コチラもそれを誘導的に回避・カウンターする事が出来る優れものなわけだ。

同じ戦法を取る選手がアリメイウェザーコットというように脚がなければ取れない戦法でもあるが、これを取る理由というのはやはり階級を上げることによる相手の火力の上昇と自分の機動性の上昇という事だろう。


このような理由から、ダルチニアンには火力不足だけではなく、火力を添付するために発生するであろう機動力の値の無変動(もしかしたら下降するかもしれない)があり、ドネアが無茶しなければ勝てる見込みが無いように思える。



マイキー・ガルシアロッキー・マルチネス・・・

世の中には理解できない事が山ほどある。

自分にとってのその一つ、というか、その一人がマルチネスだ。
 
打たれ弱いのかと思えば打たれ強く、火力が無いのかと思えば凄く効果的なパンチャーで、不器用に見えてテクニシャンで、体が鈍そうでフットワークがある・・・ただ、間違いなく体力と根性がある。

こういうのは大体調整の良し悪しから来るのだろうし減量の問題でもあるのだろうから何ともいえないけども、マルチネスは努力家だと感じるし乱戦・混戦の予感がしていて競りそうである。


マルチネスは相手の動きを読んでパンチを上手くすりこませること出来るし、案外ガルシアの真価が問われる試合なんではと思える。

期待を込めて

マイキー・ガルシアのKO勝利

と予想しておくが、
マルチネスだけは本当に分からん強さを持っていると思う。」




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