バトル | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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 「我思う、ゆえに我在り


全てに対して懐疑的な姿勢を持つというのは大切です。

これは懐疑的になる事自体が目的なのではなく、信じるに値するものを割り出そうとする信念の活動である。したがって懐疑自体が目的とならぬように努々注意しなければならないし、そういった懐疑自体が目的の状態の人間にも注意しなければならない。

それは前進を止めてしまうからだ。


ところで、
今週末はアンドレ・ウォードの試合。

そして、
WBOがリッキー・バーンズテレンス・クロフォードの指令を出したそうな。」





「詰んだな。」

 
 

 


 「先週末、日本でローマン・ゴンザレスが、当ブログの論である(これからのファイタータイプ)のお手本となるような強さを見せ、山中選手が左ボディクロスを上手く当てて相手を試合放棄状態まで追いやった。


アメ~リカでは、
マーティロスヤンがアンドレイド相手に(負けはしたものの)サークリングやスイッチしながらの飛び込みでダウンを奪ったりして翻弄した。これはこれからアグレッシブ・ディフェンスを崩す一つの方法として確立されそうである。(すでにされているのかもしれない)


マイキー・ガルシア対マルチネスは戦前の予想通りマルチネスの曲者ぶりが発揮された。
見事なカウンターでガルシアからダウンを奪い、以後カウンターを使ってガルシアに攻撃を躊躇させてから攻め入ったりとしたたかに闘っていた。最後は脳みそが頭ではなく腹にあったのかと思わせるほど上と下の打たれ強さにコントラストがある感じのボディでダウン。そのまま10カウントでKOとなった。

ガルシアはその後ユリオルキス・ガンボア戦を要求。



問題のメイン、
ドネア対ダルチニアン。

ドネアは勝利の瞬間まで完全にリードされていた内容だった。
試合をドラマチックにする演出だったのかもしれないが、本当は最後のあれを序盤3ラウンドの内にやってのけなければならない立場である。




試合を観る限り、
ドネアはリゴンドー戦によって我々がカウンターパンチャー・コンプレックスと呼ぶ状態に入ったと思える。

説明するとこうだ。

ボクサーには打たれる恐怖を知らないからこそガンガン前に出れる時期がある。
(自覚症状や認識不足、過度の興奮、恐怖を知ってもそれに懲りずに前に出る事を持ち味にして、巧みな選手をも乱打戦に持ち込むタイプも存在する。)

多くの場合、効果的なカウンターを浴びせられる事によって戦いを支配されてしまう事を経験した者は以後前に出る姿勢を失ってしまう

大体の場合(発想や能力的に不可能でない限りは)このカウンター恐怖症に陥る者は自らもカウンターに取り組もうとするし、最悪カウンターに細心の注意を払うようになる。

このような流れで多くの者は打たれる恐さについて知り、之が自分と相手に持つ影響力についても知るので、之を上手く利用したスタイルとなるのである。

このような事が原始的な闘争から原理的なボクシングへの必然的な歩みであるが、結局これが所謂カウンターの取り合いや、カウンターを注意しすぎ合う展開を生み出す要素であって、俗に言うつまらない試合になるのである。」




「泥試合から塩試合へ。」




「これを把握しているかしていないかで評価や採点もそれぞれ変わってくるのだろうが、実際にはこれはB~Cクラスの選手の問題であるといえる。


ボクシングとは他の競技と違って無駄な動きや間違った行動の代償を支払う、根本的には減点性質のスポーツである。レベルが上がる毎にミスを犯した分の代償が大きく必然になっていくので、間違いに敏感で限定的なスポーツであると言える。(逆にこれに引っかからないのであればOKという自由度も同時に存在する)


この様な特殊な条件と重圧のかかった空間であるボクシングの世界でAクラスに分類されるべき選手達は、その重圧のなかでも自由に攻めていける・手を出し続け相手に働きかける事で試合の流れやジャッジの印象を自分に持ってくる事を知っている選手。


これが出来ずに実際に負うかも知れないダメージや不都合に捉われて、目の前の相手と共同で起こり得る最大の危機を防ぐための儀式のような舞踏を舞うのが、空間を超越できないでいるのでBクラスだといえる。或いは、度胸でこれを試みるが実力不足のためにこれに失敗する者も実力がないのだからそうだと言える。

Cクラスは、
そもそもボクシングの空間を展開できない選手。
Bクラスほどの注意力を持たないためにあらゆる地雷を踏み自滅するタイプであり、実力や認識・判断力が相手を下回るために相手が展開した空間についていけなかったり、ボクシングの空間で窒息してしまう段階の選手。



つまるところ真のボクサーとは、
原始的な闘争の姿勢に原理的なテクニックなどの理解が加わった状態の者のことだろう。


自分から動き、攻める。
相手の攻めにはカウンターを施し、ずっと自分のターンで相手が自暴自棄になったところを打ち倒す。

相手の手が出無くなったり防戦一方になれば、一方的に攻める。
反撃を狙い済ましカウンターを入れる。

綺麗にテクニックを施す事が出来なかったり捌ききれない場合は、
常に相打ちすらも覚悟して相手の攻撃の穴を突く。

ファイトをボクスする。
ボクスをファイトする。

原始的なだけで原理的に翻弄されても、原理と原理が相殺している中で勝利に向かって前進する原始的な姿勢を欠いていてもいけないのであるから、原始的な闘争の姿勢を失うことなくボクサーへと成長した者


こうしてみると残念ながらドネアはあらゆる意味で非常に劣化している。
西岡戦の時、左フックのカウンターやダイレクトクロスを封じる構えでドネアに常用外のスタイルを迫った西岡選手に対して見せた基本に能動的な姿勢も完全に失われていて、パンチを貰う事への危険意識とダメージやポイントへの要領だけが考え方に影響し、まともにボクシングする事を阻害するほどに悪く働いている印象を受ける。

そもそもテクニック面ではダルチニアンに勝った事が無いであろうドネアの持ち味は自身のテクニック不相応の好戦的な姿勢であった筈である。(ドネアは基本的にカウンターパンチャーで、前に出ると攻防ともに劣化する選手であるのに努めて前にでる事で能力と知名度を上げてきた)


ドネアには、

リゴンドーによって叩きだされてしまったあの信念を

取り戻してほしい。」




おまけ