「無限の闇、放たれる光、命が在り、影が差す。これが、この世の理である。
肉体は精神を宿し、精神が肉体を御する。
ボクサーがボクシングという瞑想に絶え間なく耽っていると、
まるで宇宙と繋がり神と対峙したような悟りを得るのである。
その悟りの言葉がこれだ。」
ボクサーが本当にボクサーになれる時は、良いファイターが目の前にいる時だけだ。 ~ジョージ・ファアマン ~
*MMAの人気とリングやロープではなく金網という品性の無さについて問われ
金網なら私がロープ・ア・ドープされる事も無かった。
~G.F~
*ファイトハイプのインタビュー中、マクドナルドのドライブスルーで注文した時
ソーセージ何とかマフィン2つ、ソーセージ抜きで。
~フロイド・メイウェザーJr~
「凄すぎて何が何だか分からないよっ!」
「このように時として偉大なボクサー達は、人智を超えた、計り知れぬ神の御業を証言する。つまり、偉大なポテンシャルを秘めたボクサー達の動向を追う事は常に我々に何かを暗示しているのではないだろうか。
今週末は英国のルーク・キャンベルなど面白そうな試合が沢山行われるが、
何といっても一番注目はミドル級のゲンナディ・ゴロフキン。
最近ではこのゴロフキンやダニー・ガルシア、日本では村田金メダリストのように優れた技術を有していながらも、あまり綺麗に試合しようとし過ぎないタイプがボクシングにおいて最も高いレベルでも活躍したり世界中で台頭してきている。個人的にはワシル・ロマチェンコからも少しそんな印象を受ける。
この一連の出来事は、
これからのファイタースタイルというのは技術・能力不足から発生するのではなく、高く洗練された技術や理解を経る事から発生し、そういった意味でファイターの時代の到来を暗示しているように思える。
何故なら、
これからのボクシングにおいてはファイターはボクサーを逆に迎え撃つスタイルとして全体的な認識の変化が行われてくると思われるからだ。」
モハメド・アリがクラシックボクサーを一掃し、それに限定的に対処とは言わないがある種そういった形でケン・ノートンやジミー・ヤングといったタイプが活躍した。
アリがジョー・フレイジャーを苦手とし、フレイジャーがより強力なファイター、パンチャーであるジョージ・フォアマンを苦手としたのも面白い事実である。
方法論的なボクシングという言葉を我々は好んで使うが、
これを説明するために少しボクシングの理論について話そう。」
「例えば村田選手は方法論的なボクサーだ。彼は、相手にスコアを許さないために急所を優れたガードで固め前進する事が出来る。
この前進できるところが村田選手と内山選手や亀海選手とが決定的に違うところだけども、
例えば内山選手はクラウチでガードをしながらも後ろ脚に乗る事で擬似的なアップライト、セミクラウチの状態を作り出し相手のパンチの威力を殺そうとする。これはウィンキー・ライトやロイ・ジョーンズJrと全く同じ工夫である。
そして普通、このスタイルはボディ攻撃から始まるピティーパタースタイルに屈する。よって、内山選手はこのタイプの選手とやるまでは真の実力を計れないという事になる。
村田選手はこのまま前進できる。
つまり急所を隠す擬似的なアップライトからさらに腰を深く落す事で弱点である下段の穴を塞いだわけである。弱点であるサークリングに関してはリング中央を陣取るリングジェネラルシップで相手がロープまで下がれば万事解決というわけだ。
このまま相手に接近して先ずボディ打ちから叩く。右ならマイク・タイソンのように、左ならリカルド・ロペスのようにといった具合だね。」
「理論的には、これはポイント的に見てもペース支配の観点からしても非常に優れている。
ただ実際には、余計に避けず威力を殺しつつガードするが、やはり打たせる分ダメージを受けるスタイルだともいえるわけだし、リングもカットするがカットしている最中に打ち合えない事も穴ともいえない穴だ。」
「ただ、一流のボクサーというのはそういった穴ともいえない穴をつく事を知っている者だといえる。ギレルモ・リゴンドーのようにこちらの方法を見抜いて、その気になれば延々と下がってサークリングしながらも強力なパンチを連射できる事でコチラをリング中央に釘付けにする事が可能な選手相手なら相性が悪い。
勿論、技術的にも体力的にもコンディションされていなければ不可能だが、これを可能にして初めてアスリート、ボクサーとしてプロフェッショナルであるといえる。
ミドル級あたりでこのスタイルなのはセルジオ・マルチネスとアンドレ・ディレルだね。
要するに、これまでのボクシングではファイターの問題となるのはボクサー、そして、ボクサーの問題となるのもまたボクサーといった世界だったわけだ。
ところが、近頃はボクサー・ファイター両殺しのベーシックファイタータイプが増えている。
その中には本当の意味で階級の頂点を極めたダニー・ガルシアも含まれる。
週末のゲンナディ・ゴロフキンもその一人、というか第一人者と呼べると思う。
ゴロフキンがガブリエル・ロサドと試合した時、ロサドの狙いは先週のクイリン戦と同様に相手を下がらせる事だった。(クイリンは下がることで見事に失速し、オフェンス力に欠けるロサドに攻め込まれた)
ところが、ロサドには結局ゴロフキンを下がらせる事が出来なかったので、多くの中でゴロフキンの評価は未だ下がる・らされるまで分からないというもののはずだ。
村田選手同様に、試合開始から中央を譲るのではなくそこを死守する相手と対峙するまで。
私もその一人だと告白しておくが、それを覆す映像がここにある。
御覧のようにゴロフキンはチャべスJrを傷つけないないように丁寧にスパーリングしているね。
こんな事は実力差のあるスパーリングでは当たり前の風景だが、問題はゴロフキンが手を抜く事で非常に高いレベルの下がるボクシングを見せていることだ。
これはゴロフキンが下がった時、失速するというよりむしろ巧くなる可能性を大きく示していてる。
言ってしまえば今回、ゴロフキンを下がらせるために用意された相手とも言えなくも無いスティーブンスは、あまり下がらずにガードからの強力な反撃や隙を見て襲い掛かるスタイルなので是非頑張ってゴロフキンを下がらせてもらいたい。
是非ゴロフキンの裏の顔を暴いて欲しい。」
おまけ の中にこそ、真実がある。

