
おめでとう。
ところでボクシングには、
モハメド・アリやマイク・タイソン、フロイド・メイウェザーといったこのスポーツを代表する黒人系の最優秀選手達がキャリアのピーク時に刑罰に処されるような現象がある。
ギレルモ・リゴンドーにいたっても、刑罰ではないにしても、キャリアのピークである現在を干されてしまったり、ティモシー・ブラッドリーなどはもっとも人気のあるスター選手に勝利してしまったために現在の状況に陥るという具合である。
これは、フリオ・セサール・チャべスに勝利してしまったオスカー・デラ・ホーヤやモハメド・アリに勝利してしまったラリー・ホームズに似たような状況でもある。」
この試合をマルケス有利と見た人は贔屓なメキシコ人(*修正しましたm(_ _ )m)くらいだろうと思ってましたが、
世の中にはホプキンズ対ムラットを互角だったとみるツワモノもいるそうです。
波紋というのは、
数々の其れに関する議論が行われたり、映像や文章が創られ投稿されたという事である。そして、その内容は一様に採点基準、評価態勢、ボクシングそのものに対する認識の違いについてである。
こういう風に世界中で同じ内容で訴えかけるような投稿がある状況というのは、基本原理が通用・機能していないという形骸化と退廃への警戒であり、そもそもの原則の違いという隔たりへの確認と他への理解のアプローチでもある。」
「本題に入る前に少し例え話でもしよう。
例えば、
アスリートは筋トレをする。
それはアスリートらしい見た目を手に入れるためかもしれないし、
ボクシングのような格闘競技では技術の不足を補うためかもしれない。
或いは、少しでも同等のライバルに差をつけるためかもしれないし、
技術面や生体力学的な観念から方法的動作を部位的な身体機能を高める事で向上しようとしているのかもしれない。
では、
一番もっともらしくて実際に多くのトレーニングの理由である後者の機能向上について考えると、之には専門的な知識が他の理由よりも必要とされる・・・というより、むしろ、決定的に正しい理解が必要とされるといえる。経験という学術的方法を介してね。
何故かというと、
同じ事をしているように観えて同じように真似をしたとしても、求めたものと違う結果が、大体マイナスの結果が、出てしまいそれへの処置まで考えるととんでもない負の効果を持っているからだ。
例えば「脚を使」うという言葉にしても、之が意味するのは脚の持つ機能を利用するという事だ。よって、脚の機能を向上させるためには、その構造を理解して結果機能が向上するような的確な強化が要求される。しかし、多くの場合、之を足そのものに負荷をかければ済む問題だと落とし穴的に思い込んでしまう。
暇さえあればトレッドミルやエアロバイクに飛び乗る人も多いし、姿勢を完全に無視したスクワットやうさぎ跳び、階段・坂道ダッシュをさも重要そうに練習している人も多い。
勿論、時として無理な事を続ける事が出来る強靭な精神を認めないわけにもいかないし、無理を押し通す気持ちの強さやその内に育っていく精神力も否定出来ない事実である。
ただその結果、
機能障害を招くような構造上のバランス不和を招き、更にはその事への返り見をご法度とする精神構造故に間違いの重ねがけ、調子が悪ければもっと強度や速度を増して間違いを繰り返すという状態に陥り、其れを他人にも催促するというある意味文化的なまでの形骸化に発展する。おかげで妙な大怪我や試合当日に大劣化する反応やパフォーマンスを経験する人も少なくは無い。
パフォーマンスにマイナス作用する精神力とは一体何なのだろうか?
ここでこの過ちに引き返せない仕上げをするのが節度というものである。
常に実際の現象に注意して、四六時中、度を越した修練・苦行を積んだ者になら遅かれ早かれ理の在るところと無きところは自然と判別できる。が、節度を保ち、ドグマに信念を捧げて虚偽を観る者には決して智慧や叡智は訪れないだろう。」
勝負において勝敗という結果が全てであるが、制限時間内で勝敗がつかず判定となった場合、勝敗に影響するのは試合過程における有効性である。では、ボクシングにおける有効性とは一体何か?」

以前バーノン・フォレストがシェーン・モズリーをスクールした時に、ハンドスピードがある奴にはジャブ打て!と陽気に言い放ってましたが、デラホーヤやコットがメイウェザーに、マルケスがパッキャオに有効だったのを見ればフォレストのアドバイスが如何に普遍的で核心をついているかわかるね。
このようにジャブというのはボクシングにおいてはワン・ツーというぐらい一番最初に繰り出されねばならないパンチである。その理由をここで説明する気は無いし、それが分からない人はそもそもこのブログを読んでいないだろう。
要するに、ボクシングというのはジャブさえ打ってればOK、Jim!なんだね。
これが分からない人はこれ以上文字を目で追ったところで時間の無駄かもしれない。」
ジャブは打ってたけど、下がりながらで大きいパンチをたとえ一発でも被せられると印象としては良くは無いね。ただ、この時ジャブを数発入れて被せられた相手のパンチをロールしていたなら話は別だな、だってダメージが違うのだからね。
多くにとってアウトボクサーというのはポイントだけを気にして、
さがって、打たれて、またさがるという認識から印象がすこぶる悪い。
ただ、経験があったり目の肥えたファンからすると、それは逃げているのではなく動いてるという概念になる。相手のパンチの威力を奪うためにね。その目安は下がりながらもその前後に活きたパンチを放ち急所に的中させているか、額や腕肘に当ててでも相手をコントロールしているかという風になる。
ポイントの原点はダメージの数値化に他ならないんだよな!」

普通は単純にポイントをダメージに変換すれば、多くポイントを取った方が被害が少なく、少なくポイントを取ったほうが被害が大きいという事になる。
しかし、パンチが余りに無いとかいう特別な理由などでダメージを置き忘れた形式だけのポイントを取る戦法だって存在する。だから、世の中にはボロボロの勝者と活きのいい敗者がいる事も多々ある事なんだね。
流石に書き詰めすぎたのでそろそろ切り上げたいが、
ボクシングは行為の有効性を競うもののはずだ。
では、
軽いパンチは外すわりに致命打をもらうボクサータイプはいつも不利だろうし、
ファイタータイプなのにパンチに威力が無かったら勿論不利だろう。
つまり相手を実利に欠けさせるというのが有効性を競う競技において更に有効に立ち回る術という訳なんだね。
ファイターからパンチを奪えば彼はボクサーのサンドバッグだし、
ボクサーからディフェンスを奪えばダンサー、オフェンスを奪えば曲芸士となるわけだ。
いい例がマルコ・アントニオ・バレラだ。
彼から左ボディを取ったら正直アベレージだ。
だから、自分の有効性を発揮できない相手だったジュニア・ジョーンズに勝てなかった。
バレラにモラレスのようなもっと優れたディフェンス意識や幅広いオフェンスがあったなら結果は変わっていただろう。
之は現代なぜボクシングがディフェンス傾倒になっているかという理由の大きな一つだと断言できる。
つまり、
キャリアが長くなるとかいうだけでなく、実際ディフェンスの対応力はオフェンスのそれをはるかに凌ぐ汎用性を持っているというだけなんだね。むしろ、こういう場合、之を理解している人は之が理解できてない人が之を理解できない事を理解出来ないんだね。
バレラのボディ打ちの話をしたけども、
ボディ打ちというのはガードとジャブにならんでボクサーファイターの最高の武器だ。
海外でならレオ・サンタクルズ、日本でなら井岡カズトをみれば一目瞭然だ。
逆にこういうタイプは純粋なボクサータイプとちがってショルダーロールやボディジャブを決して有効に扱えないし、それらは本人達にとっての弱点だ。
オールタイマーの火を吹くような対決であるシュガー・レイ・ロビンソン対ジェイク・ラモタの映像を見ると、ボクサーパンチャーであるロビンソンとブルファイターであるラモタの両者が共に最も優先して出し抜きあったパンチがある。
それがボディーブローだ。
この時代の選手はボクサー、ファイター関係なしにボディー打ちを嵐のように打つ。
つまり、このパンチはジャブよりもタイプを選ばない優秀なパンチという事であって、
如何にボクサータイプがジャブに頼るだけでも優秀なのに対してジャブやボディの打てないファイターやボクサーファイタータイプが稚拙で見かけ倒しの減量マシーンであるかを説明できたと思う。この理由からブランドン・リオスはパッキャオにタコ殴りにされるだろうと予想している。
このようにマルケスのようなタイプがジャブの打ち負けのみならず、ボディを再三打たれ自分の分は届かなかったというのは完全に後出に回ったという事だ。
ホプキンズ対ムラットにしても、
歩いてきて殴るだけのムラットのパンチの威力を1ラウンド開始5秒ぐらいで奪った時点で勝敗は決していたし、ロープ際でムラットのパンチをロールする度にボディブローを効かせたホプキンズとムラットの差は試合終了時の両選手の状態を見れば一目両全だったではないか。
最後に、ボクシングのスター選手や人気選手というのはお祭りのお御輿のようなもので、
その一挙手一投足に会場がどよめくような状況では何でもない事が有効と取られる事も多く、ただ前進しているだけでも立派な攻勢として採点に影響しているのも確かだろう。
これがボクシングの素晴らしさなのかくだらなさなのか、私はまだ知らない。」
おまけ