プリンシプル | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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 「このブログは題名にある通り、プリンシプル(原理・原則)を重視したいという願いの込められた一つの活動でもある。

ただただ自論を展開するんではなく、決して蒙昧な偏見や好みのみが判断基準であるような下手な宗教としてボクシングを語ることを慎みたいと常日頃気を使っているのだが、そこがやはり酒の肴・実際性に乏しい偏執してるだけの趣味程度にしかボクシングを認識できていない人たちとの垣根であると感じる。

まぁ、そういう人たちは総じて、プロフェッショナルな客観性やお客としての意見でもって世の中の厳しさや全体的なスポーツの立場・役割に着眼した、目の前の人間や芸術に対して時として必要不可欠な役割を果たす意見を述べるものだが、こういう人たちの小さく出来上がってしまったハードボイルドや帰納的な快楽主義を目の当たりにした時、ある種類の人間達は‘‘時に打ち所が悪くて生き物が死ぬ”ような感覚を覚え、全体がそちらに傾倒しすぎないないようにと考えてしまうのだ。

自論だが、之が若くして出来る人は深く考えてない人。年老いて出来る人は肝の据わってる人だと思う。」


    「行動としてでなく、願うという行為の明朗さには痛く原理的な力を感じるな。」




 「だから、我々としては直感や感性、そしてその意見に運命や或いは差す魔も出来る限り受け入れたいという姿勢があるのです。結局、全ては力への意思であり、努力というのは自己に属するものだけれど結果というのは自然の成り行きなのだからね。

意固地にもそこが悟れない人は一度美しい夜景なり壮大な風景を望み、自分を曝して見るといい。

ボクシングは科学だけれど、現時点の私にとっては現象に着目する自然科学であり、応用はそれを超えて重視される分野では未だないわけだ。だから、一般的人種(肌の色ではなく)的肯定も否定も全く理解不能なわけで、こういう姿勢が先進的であれ後退的であれ常に時代や文化に相容れぬとうことが凶とでるか吉とでるかは、出たら目というまさに観察の世界であり、人生が掛かっている分、博打ともいえない事もないわけです。」


 「おぉ!最後のは、理性的姿勢と倫理的情緒がブレンドされた珈琲のような薫り高さがあったな。」
 


 「そういうわけで、今回はメイウェザー対アルバレス第7ラウンドの出来事から話を展開したい。

例えば、芸能界随一のボクシング愛好家として知られる香川 照之氏がメイウェザー対ゲレロで後半メイウェザーをホプキンズのようと形容したように、専門的な思考をする人たちは着眼点が一般と異なる。

このようにエキサイトマッチではジョー小泉氏や個性豊かなゲスト達が優れた着眼点で発言する事が多く、とても勉強になるし、我が意を得たりと得意な気持ちにさせてくれたりもする。


メイウェザー対カネロでのゲストは村田涼太選手。

この日、ガルシア対マティセ戦から村田選手が完全に見落とされているガルシアのテクニックを指摘したり、ジョーさんがガルシアの打ち終わりの立ち位置の変化を指摘したりした。

番組の終盤ではジョーさんが22世紀のボクシング像に投影されるディフェンスの進化を語り、何とも味のある回となったわけだが、ガルシア戦でのお二方の意見に私の意見を付け加えて纏めると、ガルシアは打たせずに打つ事の実現に重要となる合理的で単純な行動が自然なほど訓練されていて、マティセの被害を見れば判るようにパンチを強く食わせている。ポジション取りを意識したディフェンシブなボクシングでありながらマティセ相手にタッチボクシングに陥らないというのは非常に優れたテクニシャンの証明であるし、これをするには致命打に対する防御センスが高いのと気持ちの強さが必要だと思える。


ここでやっとこさ本題に入るが、

メイウェザー対カネロ第7ラウンドでジョー小泉氏が、メイウェザーの放ったロングのアッパーがカネロのディフェンスを貫いた事にとても注目していた。

その後、村田選手がメイウェザーの重心移動の自在さについて言及。



・・・素晴らしいコメンテーティングだったとしか言いようがない!




「拳キチの陶酔。」

 
  「諸君の中には、ここまで前置きをしてみてもこの事の重大さが判らない愚者も居るだろう。しかし、そんな事はどうでもいいのだ!

問題は、わが国にロングアッパーの特異性とその原理について言及する事ができる解説者とゲストがいたという事実だけなのだ。

例えば、わが国には過去から現在に至るまで、それこそ悲劇のとか、浪速のとか、防衛記録とか、怪物とか最短とか、金メダルとか、世界同時とかいうけばけばしい、安光りする、世俗的な、胸焼けする、成金主義な、チンドン飾り立てた特別ではなく、こういった特別!が存在しないのだ。

世に語られる所謂天才ではなく、体現化された天才精神・・・!


それがこの証、ロングアッパーという光沢なのです。」



「ホームズはもう駄目なので私が説明しよう。

 
 
ロングアッパーというのには非常に柔軟な身体の動きと、パンチを切る距離を変えられる重心移動が求められる。 之はただ放てば良いというものではなく、勿論相手に効かなければならない(その角度と距離で打たれる方からすれば未知な分効くけども)し、当てる事が出来なければならない。

実用的にロングアッパーというのを扱う選手は歴史的に見ても少ない。
例えばロベルト・デュランやマイク・タイソンのように下から上への距離が長いのではなく、実際に距離のあるアッパーなわけだから、こういうパンチを放つ選手を見分けるのは造作もないが実際に之に気づく人は異常に少なく、今回の事はジョー小泉氏のボクシングアイの確かさを証明しているようなものだ。


今回はそんなロングアッパーをぶっ放せるスペシャルズを紹介しよう。



                     リカルド・ロペス


 

 いわずと知れたボクシング界の最高到達地点。
彼を原型とするスタイルやボクサーが世界中に居るが、マルケスやジョニゴン、実の息子までもが全然近寄れてないのを見ると、いかに特別なボクサーであったかがわかる・・・。


恐怖のロッキー・リン戦



彼のパンチを見て多くがアッパーというものを勘違いしてカウンターの藻屑と散っていったが、決して彼のせいではない。マルケスも真似しているようにカウンターでアレを入れて来るんだから堪ったもんじゃない。というか、失神する。

ジャブからでも、クロスからでも、ボディーブローからでも必殺のロングアッパーをセットできたゆえに、大砲のような火力を懐を深くしながら放ち、次に何処に居れば良いのか試合前から知っていたような足運びで完全無欠に近い試合をした。





               「俺のはな、なげ~んだよ!」と兄貴。


 


                     カール・フロッチ
 

左右の、特に右のロングアッパーの効果は絶大で、現在活動中のボクサー達のなかでも郡を抜いて特筆されるべきロングパンチャー。ロペスやメイウェザーと違ってボディワークやフットワークは無くて、とてもステーショナリーだが、最近はジャブがめっぽう巧くなっていて、ウォードと再戦すれば今回こそはコブラ対マングースの競った試合になると予想される。


                相手のハイガードを逆に利用したり

                顎もろともガードを粉砕したり
 

         ボクシングがわかる女ならイチコロという程の代物である・・・。






                  フロイド・メイウェザー
 
 
もう説明は必要ないでしょう・・・。
アウトボクシングもインファイトも、ロングもショートも何でも御座れのスーパースター。
L字ガードは柔軟で、ガードも鉄壁で、挙句の果てにやたら打たれ強いという天才。しかも誰よりも努力するとも言われていて、ほとんどスーパーマン。


 
 
いずれも一角の人物達に囲まれ、ロングアッパー打てるのは俺だけ、という自信に満ちた輝きを放つJr。」


「名著「荒野の狼」で、ヘッセは‘‘人間の生活が本当の苦悩、地獄となるのは、二つの時代と二つの文化と宗教とが交差する場合に限る”と書いたが、こうしてみるとリングという場所はまさにあらゆる意味でのクロスロードであり、勝敗という明暗の分かれ道でもある。

そこは評価の単位で言えば、時空を超えた空間でもあり、ボクシングの王者などという者はいずれも茨の王冠に苛まれる苦悶の人であり、そこからある超人的な陶酔を得るのであろう・・・。

今日は練習をサボって録画を観直した甲斐があった。」



おまけ