ドラゴンへの道 | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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 「世界中にドラゴン旋風を巻き起こしたアクションムービーの革命児、ブルース・リー。」






「オハラッ!」

「そして、ブルース・リーに触発された有名ボクサー、パッキャオ。」





「速!」

 「スピードというのはボクシングにおいて最も注目されるべき要素だ。
いつの時代も最高の選手は最速であるか、ある程度の速度を有している。

1965年
戦法、戦術、マーケティング、全てにおいてシュガー・レイ・ロビンソン以来の革命をおこしたと云われるモハメド・アリが(ウィキペディアリンク=http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%8F%E3%83%A1%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%AA)、屈強な戦士であったソニー・リストンを、あのジャック・ジョンソンが使ったと云われるアンカーパンチなる技術で沈めた。

そのパンチには力強さというものが感じられず、まるで引っ叩くようなパンチだった。
現在でも、この試合は時代が時代だけに八百長だったとか言われることがある。(アメリカのボクシングにはマフィアにコントロールされていた時代があり、リストンはそのコントロールを受けていたとされる)


戦車の様な相手を、鋭いパンチで伸ばすそのスタイルは後に蝶のように舞い、蜂のように刺すという風に形容され、後の世界のボクシングに広く影響した。」

「アリはまさにボクシングのドラゴンなわけだが、本名のカシアス・クレイという名で呼ばれるのを嫌ったよね?」

「そうだね。
アリは、マルコムXやイスラム指導者に同調して、信念を持って名前を変えた

だからそれを芸名と勘違いして、自分をカシアス・クレイと呼んだ相手(フロイド・パターソンアーニー・テレル)をアンクル・トム(白人のマナーで生きる黒人)と呼び返し、What`s my name!?と相手を罵りながら痛めつけたりした。

後に陽気だったクレイから、ベトナム問題などで国外遠征が始まり、ドメスティックな不満がつのったアリだったが、アメリカ国外では静かな気品と尊敬を見せたそうだ。」

                     「僕もクレイと呼んでいたが、彼にとっては侮辱だったんだね。」

「ところで、カナダに旅立ったヨコちゃんだが、B.C.州のプロビンシャルトーナメントにノービスで参加し、見事トーナメント王者になった。カナダの西海岸は競争率が高くないといっても大したものだ。この場を借りて、おめでとう!と言っておく。次はオープントーナメント、或いは思い切って東側に行き、そこから憧れのデトロイトに入るのも手だね。
シーズンだけに1ヶ月で5試合は充実しているけど、身体にハードだから気をつけてもらいたい。」

「とりあえず、グッジョブ!


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