ボクサーとトレーナー | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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「日本では体罰の問題が取り沙汰された昨今。
体罰に絶対否定の意見もあれば、その必要性を説く意見もあるようだ。」


 

「教育とは難しいものなんだな。」

 
 
「スポーツなどの指導において、結果を出さなくても良い立場と、結果を出すところに存在価値がある顧問的な立場がある。自分の立場を考えすぎて暴力による服従を強いるとは女々しい奴らさ。自分の能力の無さをそれで補おうとするなんてな。

という訳でボクシングとその指導についてだ。

ボクシングでは時として選手よりも注目を浴びるトレーナー
それもそのはず、ボクシングという競技にはどうしても必要な存在で、まさに現場顧問なわけだ。

ボクサーはトレーナーに口答えしない。言われた事はどんな内容でも必ずやり遂げる。そうやって強くなっていくわけだね。昔、僕のアマチュア仲間がトレーナーは鞭持ち、ボクサーは働き馬だと教えてくれた。

この関係は形式拘泥の服従関係ではなく、むしろ信頼関係であるといえる。

しかし、世の中には奇怪なトレーナーも多い。

練習の過不足を整える筈が次々と選手に怪我をさせる、既に出来上がりつつある選手ばかりに付く、目的を欠如しているために目の前の選手に対する負けん気だけで出鱈目に指導する、気に入らない選手の邪魔をするといった、百害0利のなんちゃってトレーナーが多く存在する。キャリアの短いボクサーにとってこれは地雷を踏む事に等しく、これが、ボクシングにおいて大多数の成功者が親子や身内でトレーナーとボクサーの関係を築く背景にある。

よく選手と意見交換したり、選手主体で意見に沿ったり、逆に指示されるようなトレーナーも存在するが、はっきり言って選手からの信頼の欠如と、自身の能力の欠如の表れでしかない。

彼らはスポーツの腐敗と堕落の象徴みたいな存在なのだが、結果を出す必要が無い中間管理で元選手というケースが非常に多く、ボクサーはこれらの経験・実績の無いトレーナにはよく注意すべきだろう。

ただ、
ボクサーとトレーナーの問題は広く、単純に能力だけではなく相性の関係もあるので、能力があっても馬が合わない、能力は無いが相性が非常に良いなどのケースもあるようだ。

従って、ボクサーの重要な仕事のひとつに先ずトレーナーを探すというのがある。これはボクサーにとっては本当に死活問題だ。
海外ではトレーナーも結果を出せなければ選手側からすぐ切られてしまう分、シビアだと言える。」

「しかし、世界のボクシングには偉大な指導者が多いな。

 


 
 
 
 
 
 
 
言わずと知れた名トレーナー達だな。」

 
 「彼らの教えを請うために旅に出るボクサーも多い。
ボクシングの一つの魅力には旅、遠征というのがあるが、これが正にその要素だろう。
古いトレーナーでは、


 
 
  
  
  
 

 名ボクサーの後ろに名トレーナーありといったところか。
特に最後の写真のジャック・ブラックバーン氏はあの史上初の黒人世界チャンピオンのジャック・ジョンソンに続いてあのジョー・ルーイスをも育て上げた、ある意味エディー・ファッチトレーナーをも凌ぐような偉業を成し遂げている。許されざる黒とまでいわれたジョンソンに静かなる男と呼ばれたルーイス、正反対の二人の名を歴史に残したんだから全く凄い人だね。」
 
 

                                 「おい、俺たちの事忘れてるんじゃねぇか!?」
 

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