「人が机に向かって物を書くとき、そこには必ず深遠な意図、教訓が盛り込まれてある。それは歴史を通じて、多く批評家達によって明らかにされている。もはや小説、あるいは映画に至っては教訓など顧慮に入れる必要など無いというわけだ。」
「本当だよ。この本のテーマは何ですか?とか聞いてくる人がいるけども、これがテーマですで言い切れるものなら、わざわざ小説なんか書かないよ。」
「全くですな。ボクシングも最近は、試合のテーマやなんやくそったれと、テレビジョンで垂れ流してますが、ありゃ何のこっちゃ?」
「意気地をだして命を賭けりゃあ良んだ。テーマが何だ、やりたいままよ。俺達、神のご意思で生まれてきた、つまりテーマそのもの。死神様がピリオドってなもんよ。」
「世界は死で満ちているな。」「命を懸けるとは、その表の生をなのか、それとも裏の死をなのか、丸ごとをなのか?はっきりしてくれないか?今日日、片方だけをって意味だけどな。」
・・・そういえば、今日、面白い記事を読んでね。
憲法改正についてだ。
無関心な人も多いけど、改正される条目と付け加えられる条文を読むと、日本が軍隊を持った時に国民徴兵を行えるという事なんだね。ここで僕が読み取った教訓というのは、つまり憲法とはなんたるかを知らねばだ。」
「僕はね、ワトスン、君に負うところが実に大きい。
君は自ら光を持たなくても、光を伝達する事で天才を刺激するという目覚しい能力を備えている。ささ、聞かせてくれ。君の思い違いを!それを辿ることで僕はまた真実にありつけるし、だから側に置いている。」
「・・・なんて奴だ。」
「それじゃあ、
憲法とは一体なんだろう?
それは統治体制における根本規範である。
大日本帝国憲法が日本国憲法というのに改正されたのは第二次大戦敗戦後。
基本的人権の尊重というのがその原則にある。
例えばアメリカには、人々が自立的に自分達を、犯罪などのあらゆる暴力から守るための権利がある。銃火器の所持だね。
これには何と自分達の政府から身を守るという意味までが含まれているんだね。
そこには正義や美徳の問題がある。国は自分達にどんな理由でも人を殺すなといいながら死刑を行ったり戦争を行ったりする、という意見がある。ほんと真っ直ぐな奴らさ。だから怒らせると手が付けられない。目には目を、毒を以って毒を制す、そして毒は薬にもなる。確かに一理ある意見だとは思うが、また別の話だ。」
「確かに権力と腐敗は夫婦みたいなものだろう。
しかし、アメリカで起こる犯罪の大部分が銃によるものであることや、それに伴う犯罪の多様性、特に事件の低年齢化など、目を覆うような現実があるわけだ。
それに、自分の気に入らない事があると銃を抜いたり、自分の主張を銃で通したりなんて暴力以外の何物でもない。そんな連中が大義を謳っても、自分がおいしくないというだけでモラルを謳ってるようにしか思えない。
だからこそ、合理的に武器の変わりの憲法というのが設けられているわけだね。民衆のためのなんとやらだ。つまり、剣よりペン、平和の武器なわけさ。
しかし、憲法成立以前に、この国は長い歴史を重ねていて、日本という国が明治から大正の近代化の波に飲み込まれて流されてしまわないように団結できるよう成立されたのが帝国憲法らしく、敗戦というものが憲法の改正を取り繕ったわけだが・・・一度、力によって改正され、今、民意によってまた改正されようとしているね。」
「嗚呼、僕らはコインのようだ。国のための国民、国民のための国という別途な考えでなく、二つで一つという両面を有して回転し続けている!
ここで思い知らせておくがね、ワトスン君。
ここはボクシングについてのブログだ。
我々がここで議論する事が許されるのはね、どんなに無知蒙昧な連中が物事を関連付ける能力を欠いていて本質を見抜けずにいたとしても、ボクシングに関係している事なんだよ。
・・・憲法改正~?
拳法改正の間違いだろっ!」
「!」
「という訳で、今回は拳法改正。
減量についてだ。
ボクシングにおいて文字通り大きなウェイトを占める減量。
これは建前としては余分な体重をしぼり適性階級でベストな状態でリングに入るためだ。
しかし、現実は自分より小さな相手と戦うため、というよりも、そうしないと自分より大きな相手と戦う羽目になるという意味がある。減量は今ではボクシングの伝統であり美徳だ。
次の映像はマックスボクシングとセコンズアウトの特派員、お馴染みスミティーによるリング・ドクターマーガレット・グッドマンさんのインタビューだ。
とても有意義なインタビューで、リング・ドクターという現場の知見でボクサーの宿命である脳へのダメージなどについて述べている。脳ダメージとの因果関係が懸念されているパーキンソン病や認知症については未だ解明されていないが打たれる事で発症の確率は高くなるらしく、多種のパンチドランク症状を抱えるあのテリー・ノリスもやはりスパーリングを多くしていた。
スミティーが現役だった80年代は当日計量の時代だったらしく、アマチュアと同じで計量と試合の間に数時間あり、そこで水分を戻してから試合に出た。そして、年齢などで体重を作れなくなると上の階級に移動する事が余儀なくされた。そこでボクサーが無理な減量で健康面に多大な被害を出さないように設けられたのが前日計量だが、それが今や逆効果となっているらしい。
ボクサーはもはやボクサーではなく、試合と試合の間に体調管理を怠るようになり、そもそも居るべきでない階級で試合をするようになった。
つまり、唯一取れる最良の方法は当日計量であるらしく、連日計量で前日計量を行って更に当日に一定以上の増量を認めない方法が最善であるというもの。
それには理由がある。
選手が一日で信じられない程の体重を増やしても所詮は水分なので、むしろ身体の動きは鈍くなる。ここでは語られていないが、脳と頭蓋骨の間には衝撃を吸収するための水分で出来たバリアのようなコーティングがある。が、無理な減量によってそれが枯渇したら、24時間ではその再構築に十分でなく、結果重大な脳への損傷を招くリスクを負う訳だ。」

「パンチドランクか・・・
ボクサーには金も何も残らなくたって、出来るだけ健康な身体と脳味噌くらいは守りたいな。」
「そうだね。勝者とは決して渇き果てる者ではなく、潤う者の事だと信じてるよ。」
おまけ


