
ポストファイト考察では、試合の実際の内容を照らしつつ可能な範囲で選手の意識や方向性というものを考えてみたい。
いずれは、もっと普遍的な本質に迫っていきたい。私の欲求は常に、真理への到達に他ならないのだから。」
「それにしても、メイウェザーの試合というのは雰囲気が違う。おそらく奴の試合自体が帯びている価値、つまり本人のキャリアのみならず、その立場としてボクシング世界の流れに作用するという意味があるんだろうな。」

では考察、
第3ラウンドあたりからスピードの上がり始めたメイウェザーとスピードの落ち始めたゲレロ。
理由はいくつか考えられる。
・ゲレロがメイウェザーについていこうとして失速してしまった。
・メイウェザーが相手のスピードを殺した。
・コンディショニングの差が出た。
・上記全てを発生させる上でメイウェザーが技術を実際に適応してゲレロに駆け引きを強要した。
・ゲレロの方は、睨んだ通り、間合いを積極的には潰さずにリング中央を陣取ってプレスをかけ、ダイレクトライトに対して左ボディ打ちを伏せ、相手が出てこなければ出来るだけジャブという、デラホーヤ戦を踏襲する形をとった。
・メイウェザーの方はスピードやスムーズさに頼るのでは無くて、ホプキンズのように技術の種類自体を切り替えながら適応してゆく達人スタイルだった。 そういう面では、今までよりも強くなっていると思う。
右をジャブのようにポットショットとして使い、相手が用意していた対処に対処する形で打ち方を変え、体の角度を変えたり潜ったりした。
そうやって途中、相手の伏せをアッパーに限定させておいて、同時に前足重心でゲレロを間合いから出させようとしたりして翻弄し、迷ったゲレロの出したジャブを自分のジャブで打ち破って、リードの高いサウスポーの布陣を機能停止にまで追い込んだ。技術面で見ればボコボコにしていたね。
多くの相手トレーナーそして対戦相手はやぶにらみだと感じる。
そして、そうさせるのがメイウェザーの強さだと思う。
メイウェザーやホプキンズのスタイルは、主に相手の行動をキャンセルし機能を低下させる事で相手に強さを発揮させずに勝つ事だ。だから、年をとっても若い連中とやりあえる。
はっきり言って、世界で最も研究されているであろうメイウェザーが勝ち続けるには、年齢的にそれしか無いよ。
血統、英才教育、才能、意欲、当為、努力といった全てを兼ね備えた類を見ないぺディグリーであり、今まであらゆる障害を乗り越えて来たメイウェザーが、長いキャリアの終わりにホプキンズのようなタイプになる事は理に適っているし、彼にはそれが十分可能だったね。」
「ぺディグリーといえば、ギャーリー・ラッセルJrも凄い。試合のしすぎて学校に出席できず、家庭教師を雇うほどだったらしい。
・・・我々、身のある紳士、ものの判った少数派ハードコア・ボクシング野郎も絶滅危惧種という意味では立派なぺディグリーだな!」


「メイウェザーは試合前のプレスでゲレロの親父が
うちの息子が女に手を上げるような奴を懲らしめるぞ! アイツ(メイウェザー)は素行の悪さは親父譲りだな!
と挑発したのに対してメイウェザーSrが激昂するのを冷静にたしなめたりと、精神力・集中力も高かった。あまり私情に拘らずプロ意識が高いという事だね。
ロバート・ゲレロは最後までリスクを負って突っ込むような事はしなかったね。
つまり、損するだけだと思ったわけだ。どうやっても勝ち目は無いと感じたんだろう、リスクを背負わないときはそういうものだと思う。しかし、メイウェザーがこちらの行動パターンを限定した時はこちらもあっちの出方を予想できるはずだ。そうのためには、メイウェザーがこっちをどういう状態に持っていこうとしてるかを直感的に読んで、そこから逆算しないといけない。或いは、とても完成されたスタイルでリングジェネラルシップを行使して、メイウェザーをそれに対処・解決させれば誘導的に先手を取れるはずだ。
最後の瞬間まで変化と適合も必要だが、やはり仕事の半分は準備だというのはボクシングにおいても至言だと思うね。
レオ・サンタ・クルズなんかを観ても、ボクシングというのは方法論であり、身体能力や才能なんかよりは常に何が大切か見失わない精神力と集中力、それに則る勇気が必要というのが良くわかる。そして、そうしたものが偉大な選手のポテンシャルであり、それは画面越しでも十分伝わってくる。忍耐とはよく言ったものだね。
残念ながら多く蛮勇と勇気は区別されない。実力も大切だが、何かを達成する事というのも重要で、それを成し遂げるための勝負をしている選手達に対して分別を欠いた者達による暴力や破壊が存在する。が、そもそも我々の住むこの世界というのは混沌としていて、そこに法則や美を見出す事の出来る人間達が条件的に能力と実りを得られる訳だがね。」
「この世はギブ・アンド・テイクすかなぁ。」
おまけ