夢を歩けば | ボクシング原理主義

ボクシング原理主義

ボクシングの原理原則に則っとりながら技術論や方法論を分析考察。技術や意識の向上を目指したい、いちボクサーの見識メモ。
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 「あるとき、わしは夢を見た。 

夢でわしは蝶じゃった。 無上に喜び飛んだのじゃ。 

果たしてあれが夢なのか、わしが蝶の夢なのか、どちらが現(うつつ)で夢なのか。

わしはそれをまだ知らない。」

 「真相は、まどろみ溶けたわけですな。 

もしかして、我らはまどろみそのものでは? なんだか頭が割れそうだ。」
 


 「・・・やはり無心という事か。」
 
 

「三十郎氏どうされた、そんなに表情曇らせて?」

 
 「きっと彼は悩んでる。
この世を彷徨い、迷ってる。

嗚呼、魂! 
さすらい、迷い、答えを出す。

そのために! 
剣なぞ手にして旅に出た。 

ただ前へ、
決めつけないのが決まりごと。

そうさ人生大博打、 
神のサイコロ、出た目が我ら! 
・・・さ。」
 
  

「ものは言い様。」

  「道化がいるのは良い事だ。
 
どんな舞台も道化だけ!心静けさ保つのは。
彼は悲劇を軽くして、喜劇をずっと潤わす。

僕はね、ワっつぁん、時々さ、
区別がつかなくなるんだよ。

我らが道化を笑うのか、道化が我らを笑うのか。」

「次は真似かよ、先生の。」

 
   「しかし浮世はやるせない。

正義で頭に血が昇り、誤ち犯して満たされる。
それを見越して倦怠し、たやすく虚無に呑みこまれん。

とにかく、可笑しくできている。

醜い女は愛想良く、裏で全てを馬鹿にする。
たとえ愚かな女でも、信じる者は美しい。
見た目でないとは言うものの、全ては露骨に表れる。
禿げた頭に弛んだ肉、老いさらばえた為ではない。
若さは知らぬ為ではない、何かを忘れた為でもない。

皮肉な定めもあったもの!

徳と努めて信じたために、冷たい目つきに駆り出され、やってはならぬ事をした。
腐った女そのままの、つまらぬ男であるけれど、礼儀挨拶お手の物。
純粋この上無いけれど、礼儀を知らぬ無頼者、こいつも意気地が足りぬだけ。
愚か者が地位を得て、偽らざる者現れぬ。
そこを突いて金にする、そんな作家が取繕い、辻褄あわせの本を書く。

いつまでたっても逃げている、アイツも言い分あるけれど、つまるところが金次第。
昔の友に会ったけど、思い出させてくれたのは、結局いつかの失望よ。
綺麗事のその意味が、手を汚さずに生きること。

受けた屈辱思い出し、腹の虫が騒ぎ出す。
いつか殺すと捨て置いて、酒の肴と流すのみ。
つまりそれが誘惑で、己の道を出てしまう。

そういうことが判らねば、夢の道は歩けない。
そういうことも判らない、鳩の群れに一羽居て、一体何に成れるのか。 

そういうわけで今後とも、信じるものは刃のみ。
自分も他人も贔屓無く、語る事なく切り捨てる、真理の如き刃のみ。

それを失くしてしまったら、全てを孤独に達観し、時も忘れてまどろまん。」
 
 
 おまけ