聞いてみたかったなー。 | 《laugh&feel&think♡》Earth Angels Home〜あなたという可能性と出会う場所〜

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笑って、感じて、考えて。
「私」を知る為に、話そう!書こう!シェアしよう!
あなたという命は快適に生きる為にあるんだから。

Instagramの中で静かに見せて頂いていただけで猫ちゃんにも飼い主さんにも会った事無いし、言葉も交わした事無いんだけど、先日その猫ちゃんの四十九日だった。
元気だった時からInstagramでその姿を見る度に胸がキューキューなってて。
なんて言うか、頂いた命をそのままに生きる姿とそのままに愛して互いの命に敬意を払う姿に毎度物凄く美しいモノを見せて頂いていて。
動物って、本当に神様に近いなーっと思うし、
人もまたそうした愛を自分次第で生きる事が出来るなーとも思ったりして。
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(↑この子ではありません)
あー、私も、
私達もこの命のままに生きられますように。

大人になってからだと、自分が子供だった時の大人達のアレコレを割と理解というか、

「まあ仕方なかったよね〜」等と

納得したり出来る事もある。


横暴だった先生や
取り付く島もなかった母親や
呑んだくれた父親や

大人だって人間だから、日々何かを抱えて迷ったり悩んだり、ワクワクしたりして生きている。
大人だから全てを律して生きれる訳じゃない。
大人になって、大人になってもそうなんだとリアルに感じられる。

でも、大人より生きている時間が短くても、身体が小さくても、子供だってその心や感覚はその瞬間での無限大の中を生きている訳で、リアルな体験としてではなくても辛さやキツさ切なさやどうにもならない気持ち、喜びや嬉しさ、幸せや愛といったものをその時の精一杯で感じたり、理解する事が出来る。

まあ、私の場合はかなり早熟ではあったけど、友達だってみんな「大人の事情」をそれとなく理解したりしていたように思うし、みんなそれぞれの感情や理解を自分いっぱいに過ごしていたように思う。

今尚、色々と分かり合えない母親だけど、私も大人になったし、母親が生きてこそいてくれるので、あの頃どうだったか?という所謂本音トークみたいな事が出来る(と言っても彼女の記憶は素晴らしく都合よく、かつ、素晴らしく美化されていてその時のソレとは全く違っていたりする)けど、死んでしまった人とはそうはいかない。
何処までいっても「想像」や「想定」と言った域を超える事は出来ない。
どんなに素晴らしい霊能者が伝えてくれても、それもまたその人を介していて、本人とは違う。

呑まざるを得なかったとしても、父親が何をどのように感じ、考え、そうしていたかの「真実」はもう永遠の謎だ。
日々の小さな行動の中に父親なりの愛を感じ取る事は出来ていたけど、何も語らなかった父の想いをいくら想像したところで、私の希望的観測でしかなく、当人の真実ではあり得ない。
浮気相手とトンズラしてた事もあるような人だから、本当にただ呑みたかっただけかもしれない。

しかし、現実はどうだとしても、その時は子供だったけど、聞いてみたかったなーと思う。
まあ、「大人の事情」をそのままに子供に伝えるのも如何なものかとは思うけど、
父が何に喜びを感じ、どんな瞬間を幸せだと感じていたのか?
本当はどんな事が楽しくて、どんな事をしたかったのか?
私は子供でもそれをその時の精一杯で理解しようとしただろう。
実は私は父の事を何も知らないままだ。
そしてもう彼の真実を「知る」事はない。

人は誰でも「いつ伝える事が出来なくなるか」分からない。
それに伝えない事で本来体験出来たはずで体験したかった事があるとしたら、それからズレていってしまうのはなんだか寂しい。

本当はどうしたいのか。
本当はどんな風に愛を、生きる事を体験したいのか。
本当は悲しかった事
本当はキツい事
本当はツライ事
本当はもっと理解したいと思っているという事
本当は心配な事
本当は感謝している事
本当は謝りたかった事
本当は好きだという事
本当は大切で大切で仕方がないという事

無理する事なんてないのだ。
子供も大人もない。 
みんな同じその時々の未熟さを持って生きている。
恥ずかしい事でも何でもない。
何も言えないまま、分け合えないまま、与えられた命の本来の輝きを知る事もなく、もう二度と会えないなんて。

ねー。

惜しい気がする。

ただ呑みたかっただけだとしても、私は父の言葉でソレを聞いてみたかった。
もっと納得したかった。
だから私は伝えている。

表現して伝えようとしなければ、何も伝わらない事を。

抱きしめる事はそれとしてとても大切だけど、
それだけで全てが理解出来るなら、
人間は言語という文化を発達させてはいないだろう。
人間は神様からは遠い。
だからこそ、神様からもらった命の輝きを四苦八苦しながら伝え合う術を備えている。

恐れずに、
持っているものを惜しみなく、
愛を込めて、

生きよう。