手術日!! | 異型子宮内膜増殖症から子宮体癌と診断されたBearの日記

異型子宮内膜増殖症から子宮体癌と診断されたBearの日記

2014年11月 異型子宮内膜増殖症と診断され
2015年2月に掻爬手術を受けるも体癌1aとの診断となりました。
2015年4月に単純全摘(卵巣含む)手術をしました。

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手術当日!絶食絶飲!

ここまで来たらもうなるようにしかならない!


お友達がよく言ってた。

「何もせずに考えて悩むよりまずは行動して考えろ」と。

これは私に足りない部分だ。

何時も先回りして悪い方向にばかり考えてネガティブになる。


お友達のこの言葉に何度も励まされた。

今からでもそう言う思考にならないといけないなと思う。

すぐには無理でしょうが…(笑)


昨日飲み干した下剤でもう出すものがないぐらいになってて
お尻の〇がヒリヒリに(涙)


朝から看護師さんが来て「手術の時間が11時20分になりそうです!」

と言われ最後の腸のお掃除をすべく浣腸処置を…

病室→浣腸→ベッドとトイレの往復?と言う想像だったのですが
処置室に連行され(ほっ)見事浣腸デビュー。


なんだか生暖かい(少し熱い?)液体が肛門の中へと。

入れてる瞬間からもうトイレに行きたくなって
処置室にあるトイレ(で用を足してねと言われてた)に
駆け込んだ。


病室じゃなくてよかった…ほっ。


少しガマンしてと言われてたけどそんなの無理な話でして。
もう無理~~と座った瞬間おなかに溜まっていた最後の放出。


「終わったら見せてね♪」と言われてたので呼び出しボタンを押す。
見てもらう。(照)



そのまま部屋に戻って静かに「その時」を待つ。
妹夫婦も来てくれた。


11時10分ごろだったかな。


「そろそろ行きましょうか」と言われ点滴棒と一緒に手術室へ。
各階に関係者専用?のエレベーターがある。




妹夫婦に「2人で幸せに暮らすんだよ」と告げてお別れを言った。

精一杯笑ってエレベーターに乗り込んだ。

エレベーターに乗って手術室のある階へ。

エレベーターの中でキャップを被った。

金属類はダメなので髪の毛の長い私は輪ゴムで留めた。


さほど物々しいイメージはなかったものの
私の手術部屋へたどり着いたら厳重な扉が開き
手術に携わるスタッフの方々が出てきて一斉に取り囲まれる。


・名前
・血液型
・手術について等の説明があり、
私が直前まで飲んでいたサプリ(EPA等血液サラサラ効果)があったので
背中から入れる硬膜外麻酔を急遽中止に。(驚)


(ええ?そんな簡単に中止とかいいのぉ??)と思ってたのもつかの間
あっと言うまにベッドへ誘導されてお世話になった

点滴棒と(愛棒=相棒と呼んだら皆が笑った)さようなら。


あの注射は痛いですし、アルマジロの様に丸まらないといけなかったので
体の硬い私は少しほっとしたような。


心電図が胸のところにバンバンと貼られて行き
点滴の部分から色んなものが新しく注入される。


心電図・点滴・血圧計・体温計・尿量測定

パルスオキシメータ(指先に挟んで爪の色から呼吸や心臓の

状態を監視するらしい)等が装着されたらしい。


最後(意識を失う直前)に


「ここから麻酔が入りますよ。少し痺れがあるけd………」


けd………あたりで見事意識を失う。(笑)


麻酔って凄い。


掻爬手術の時と違って先生の姿は見えなかった。
麻酔が効いたのを確認してくるのかな。

手術前に先生の顔が見たかった。(笑)



意識が戻ったのは


「Bearさん~終わりましたよ!」

の先生(その時は先生か判らなかった)の声。

「リンパは…」(私)
「大丈夫だったよ~~」(先生)
「ありがと…涙」(私)


そして再び眠りに。


次に気が付いた時は集中治療室?みたいな場所だった。


「bearさ~ん、私の手握って見て~。」
「足動かしてみて~。」
「深く深呼吸してみて~」と言われ続け

それに応えてた気がする。
もしかしたら手術後の手術室でだったかも。



集中治療室担当の看護師さん達が手際よく様子をみてくれる。


「頑張ったね」と何度も言ってもらって涙が出た。
「頑張ったね」って誉めてもらったのはいつぶりだろう。

看護師さんが涙を拭いてくれた。


でも私は寝てるだけだったよ…
頑張ってくれたのは先生やスタッフの皆さんだ。

ありがとう。



旦那さんを看取った時も誰にも言ってもらえなかった。(笑)

もちろん息子を看取る事を放棄した親からも。


あ、一人だけ言ってくれた。

主人の会社の社長さんにご挨拶に行った時だった。

「あいつの為によく頑張ってくれたな」と。

涙が止まらなかった。



どれぐらいいたのか判らないけど私の様子が落ち着いてるようなので
目の前にいる治療室担当の方々に「ありがとうございました」と言い

そのまま病室に戻る事に。


掻爬手術の時もだったけど移動するのにストレッチャー酔い。
「酔いそう~」と言ったのも覚えてる。



病室に戻ると右手にナースコール、左手に痛み止め追加ボタンを
包帯で手首にグルグル巻きにされ
「もしもの時は押してね!」と時限爆弾スイッチの様に持たされる。
が、結局一度もお世話になる事はなかった。


時限爆弾(追加痛み止め↓)

ぽっちり押すと点滴からの痛み止めに追加で注入されるらしい。






少し冷静になってみると足に血栓防止のパフパフ動く装置が巻かれてた。
暖かくてモミモミが気持ちいい。


これは次の日には外された。



タイルケット一枚だったけどじんわりと汗をかいてた。




そう言えば手術前に弾性タイツを履いた。

弾性ストッキングは入院してすぐにサイズを測られ
私に合うサイズが渡された。


定価で2000円~ほど?らしいけど確か保険適用らしい。


通気性がいいように開いているのか

そこに目玉を書きたくなった。






病室に戻されてここからが私の戦い!

閉腹から腸の癒着が始まると聞いていたので
手術して数時間と言うにも関わらず
一体いくつの管が繋がれてるのかも判らないけど
右に左に寝返りを打ちまくる。(笑)


仰向けの時は腰を揺らして金魚運動。
時には膝を立てて右に左に…。

当然痛いです。(笑)


でも点滴からの痛み止めだけで十分耐えれた。

仰向けに寝てると少し吐気が。
横向けになると楽になった。


ベットの柵に掴まって何度も寝返りを打つ。




妹たちが手術後の説明を受けて戻って来た。


相当私のテンション上がっていたのか(おかしくなってる)
朦朧とした中、「帰って来たよ」のピースサインの写真を撮ってもらって
心配して祈ってくれていたお友達に送ってもらう。(笑)


当初3時間ほどの予定から延長1時間もかかったらしい。
その理由は先生が6戦目の勝利に向けて

丁寧に縫合、処置してくれた事。(笑)


待ってる間妹は「リンパ郭清になって長引いてるんだ…」

と思ってたらしい。

みんなどんな気持ちで私の帰りを待っててくれたんだろう。

本当にありがとう。


とりあえず安定してるっぽいしここは病院だし
「帰って大丈夫だよ」と帰らせた。と言うか
いつ帰ったんだ?(笑)



2時間おきに血圧や熱を測りに来てくれた。
ここは病院だ。
とりあえず無事終わったんだ。
後は回復を待つのみだ。


子宮と卵巣が無くなってしまうと言う事があって
自分でどうなるのかと思っていたけど
これからの事を悲観してネガティブになっていたけど
悪い物が取れてなんだかスッキリした自分がいた。

これから先の事は判らないけれど取ってよかったと。


生理の煩わしさもなくなるし。
そろそろ上がってもいい年齢だし。
あれだけ悩まされた生理前症候群ともおさらばだ。

でもこの先更年期がやってくる。
腸閉塞も怖い。


なによりもまず外来で最終的なステージが確定するまで不安だ。


これを書いてるのは退院してもう一週間になる頃だけど

昨日左目の奥にガンが見つかった恐ろしい夢をみた。(怖)



どこまで生活に支障あるか判らないけれど
それよりも今は悪い物は取り去ったと言う
スッキリ感が大きかった。


こんな気持ちになれた事に自分でも驚く。



長文読んでくださってありがとうございました。